『聲の形』大今良時著 子どもの純粋な残酷さに覚えがある

難聴の女の子と、価値観のぶっ飛んだ男の子

ハンディキャップな女の子モノ、で語り終わるには余りある素晴らしい作品でした。

最初は別マ、それからリメイク版が少年マガジン、そして現在(2014年10月現在)連載中なんですね。
耳が聞こえない女の子と、空気の読めない男の子。
いびつなボーイミーツガールとでも言えますか。

ただ、この作品の何が凄いって、子どもの純粋に悪な様子の描かれ方ですよ。
荻上チキさんとの対談では、

大今 最初は、「嫌いあっている者同士の繋がり」を描こうとしていただけなんです。そのふたりの間を思い浮かべると、たまたまいじめが挟まっていた。だから描いた。いじめを「売り」にしようとしていたわけではありません。描きたかったものを描くためには、いじめという行動が、発言が、その時の気持ちが、必要だったんです。

とおっしゃっていますが、いやいや、子どもの残酷さ、いわゆるイジメとしてあらわれるんですが、これが直視できないのに皮膚に伝わってくるほどに心に染みます。
そこに関わる大人の狡猾さね。担任の先生は、小学校のときのあたくしのクラスのイジメをどう思っていたんでしょうかね。
koekata

『志乃ちゃん』も名作でしたが

読んでて思い出したのはこの作品。押見修造著『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』

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これは吃音症に悩む女の子の話なんですが、これも名作でしたね。
吃音症を克服しようとする、乗り越えようとする、そういう話でした。

しかし、この『聲の形』はハンディとどう付き合っていくのか、というところに、今のところ終始してます。
耳が聞こえないということは、声も上手くは発することが出来ないということ。
症状はより重いと言えます。

今後の展開がきになります。

聖地巡礼サイトとかあるのね。

漫画の時点でのロケハンを回っているサイトを発見。
すごい執念です。感服。

http://togetter.com/li/655873

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』