『男の作法』 感想後編。まだまだ言い足りない、言及し足りない

前回の続き。
池波先生、仕事についてもおっしゃってる。

役人でも会社員でも身銭を切りなさい、と。仕事そのものにね。同僚と酒を飲むことじゃないんだよ。しかし、いまの人は仕事に身銭を切らないねえ。職場でいつもお茶を入れてくれる人がいるでしょう。そういう人に盆暮れにでも心づけをする人が、まあいない。毎日おいしいお茶をありがとう……そういってちょっと心づけをする。こりゃ違いますよ、次の朝から。当然、その人に一番先にサービスする。そうすると気分が違う。気分が違えば仕事のはかどりようもまるで違ってくる。
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これはね、もう、全然出来ていません。
仕事とプライベートわけまくってるおじさんですからね。
身銭切らないの何の。

確かに、投資は無理だとしても、声をかける、心遣いをする、そういうのが大切なのかしらん。
性格的に難しいですけどね。

また、これも好きなセリフだったなぁ。

人間というのは自分のことがわからないんだよ、あんまり。そのかわり他人のことはわかるんですよ、第三者の眼から見ているから。だから、 「君、こうしたらいいんじゃないか……」  とか、 「君、あれはよくないぜ……」  とか、言うだろう。  それは傍から見るとわかるんだよ。  だけどそのときに、 「何だ、お前にそんなことを言う資格があるか、お前だってこうじゃないか……」  と言ったらおしまいなんだよ。だから、言ってくれたときは、 (なるほど、そうかもしれない……)  というふうに思わないとね。ぼくなんかもなかなか出来ないことだけどね。  お前だって何だ、そんなこと言う資格があるのかって言われたら、ぼくなんかも書いたり、しゃべっていてこれが本になるようなことはとても言えないわけですよ。
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池波先生、なかなかプラトン的です。
誰が言ったか、ではなく、何を言ったか、で判断しろってね。

これは難しい問題。あたくしなんぞが口を出せるもんじゃない、と考えている辞典ですこしあたくしはソクラテス的です。

また、お金の問題も身につまされたなぁ。

若いときの金の使いかたは、残そうと思ったら駄目ですよ。  だけどね、そこがぼくらの若い頃と現代と違うところで、いまは、やっぱり若いうちから残そうと思わないと、家の一軒も建たないでしょう。  だから、サラリーマンになって若いうちに結婚すれば、すぐ残す……残すというよりも、家を買うためにローンへ入るなりなんなり、金をためるというよりもいきなり借金をして、いろいろ将来の計画に備える、そういう時代になってきたわけだ。もう、時代が違うわけだよ。  ぼくらのときは万事に、たとえば株屋してなくても、世の中に余裕があったんです。町の左官屋さんでも、大工さんでも。世の中に余裕があったというのはどういうことかというと、自分の小遣いを持っていたわけだよ、金高の大小にかかわらず。つまり、家庭の生活以外の小遣いというものが、それぞれ分相応にあったということですよ。いまはそれがなくなってしまったから、世の中が味気なくなってしまった。
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我が家もお小遣い制ですし、色々思うところはありますな。
固定資産持ちたくないおじさん、でもある自分にゃ、さらに問題は複雑であるように思えますな。

昔のように、男は外で働き、責任を持って女房子どもを養う、女は家事を引き受けて男が安心して外で働けるようにするということであれば、何かのときに男が家事の手助けをするのは、それだけで充分、愛情の表現になる。ほんのちょっとした男の心遣いを、女のほうも敏感に感じとめるわけだよ。  だけど、いまのような世の中になると、みんな普通になっちゃって、女のほうがなんにも感じなくなっちゃう。  男のほうが台所をやったり、赤ん坊の子守りをしたり、買物に行ったりすることが、いまは日常茶飯事。当然のようになっているでしょう、若い人たちには。その人たちはもう、愛情の表現というよりも「お茶を飲むように当然のこと」としているわけだ。そうすると、生活のどこにも劇的なものなんかないということだよね。  すべて男と女の問題がそうであると同様に、いまの世の中全部が劇的な世の中ではなくなっちゃったんだよ。

また、我が家もよく夫婦喧嘩をしますが、それはこういうことに起因するもの、という要素もなくはないですよね。
常にドラマチックな要素を、というよりは、当然と思わない要素を。真新しい要素を。
難しいですなー、池波先生。

難しいよ、ほんと。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』