『男の作法』 囚われずに拘れるのが大人なんですかねぇ、池波先生

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存
  • 0

「蕎麦屋に長居は無粋なのか問題」

何事も粋にこなさなきゃいけない、という意識、あるじゃないですか。

とくにあたくしなんぞ、落語やってますからね。
蕎麦たぐるときにモタってっと粋じゃない、みたいな話はあります。

でも、そういう固定概念すらも、池波先生に言わせると無粋なようで。

もちろん、蕎麦だけじゃなく、色々なことに「これはこうじゃなきゃ」なあんてぇものが、人にゃいくつかあるはず。
あたくしも、あんマンはこしあんが好きです。

この本は池波先生のそういった「俺の流儀」がつらつらと書いてあって、タイトルが「男の作法」ねぇ。池波先生とはいえ、随分と無粋なタイトルをおつけになる。
まるでそれに反すると男じゃないかのような。そんなことはないでしょうし、本人の本意ではないでしょうけれどね。誰だこのタイトルつけたの。

男というものが、どのように生きて行くかという問題は、結局、その人が生きている時代そのものと切っても切れないかかわりを持っています。この本の中で私が語っていることは、かつては「男の常識」とされていたことばかりです。しかし、それは所詮、私の時代の常識であり、現代の男たちには恐らく実行不可能でありましょう。時代と社会がそれほど変わってしまっているということです。
location11

ご本人もこうおっしゃってますし。
と、冒頭では控えめでありますが、しゃべっている内容を読むと、結構居丈高に来てますけどね。それも含めて、ありがたく拝読いたしました。

食い物編

例えば。
みんな大好き、「めしばな」ですと、こんなのがあります。

普通のわれわれが住んでいる町のそば屋に行って食べると、そばつゆが薄いでしょう。あれだったら全部つけていいんだよ。あるいは田舎で食べるそばは、たいていみんな、おつゆが薄いんだから、あれまで先にちょっとつけて食べることはないんだよ。  そういうことを言うのは江戸っ子の半可通と言ってね、ばかなんだよ。冗談言っちゃいけない、本当の東京の人は辛いからつけないんだ、無理してつけないんじゃなくて。東京のそばのおつゆはわざと辛くしてあるわけだ。先へつけて口の中でまざりあってちょうどいいように辛くしてある。だから、こうやって見ておつゆが薄ければ、どっぷりつけちゃえばいいんですよ。
location526

てんぷらは、親の敵にでも会ったように、揚げるそばからかぶりつく  鮨の場合はそれほどでもないけど、てんぷらの場合はそれこそ、 「揚げるそばから食べる……」  のでなかったら、てんぷら屋なんかに行かないほうがいい。そうでないと職人が困っちゃうんだよ。  だから、てんぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくようにして食べていかなきゃ、てんぷら屋のおやじは喜ばないんだよ。
location871

吸いものにしろ椀盛りにしろ、お椀のものが来たらすぐそいつは食べちまうことだね。いい料理屋の場合はもう料理人が泣いちゃうわけですよ。熱いものはすぐ食べなきゃ。  よく宴会なんかで椀盛りが出ても、蓋をしたままベチャベチャしゃべっているのがいるだろう。あるいは半分食べて、食べかけでね。それは一気に食べちゃわなきゃいけない。 (そういうことを知らないから、われわれは、来るなりすぐに蓋を取って食べたんじゃカッコ悪いんじゃなかろうかなんて考えちゃうんです……)  本当のいい料理屋あたりになると、もう本当にすぐ食べるようにして神経を遣って、その吸いものの温度なり何なりを考えて出してくるわけだからね。
location894

いいことを仰る。さすがに食べ慣れていらっしゃるかたの意見。
内田百閒の御馳走帖以来の、感銘を受けためしばなですね。

特にすき焼きの流儀

すき焼きの流儀の話は大変に面白かった。

いい肉を使うか、安い肉を使うかで、すきやきの作り方は違ってくる  すきやきというのは、上方式に砂糖と醬油で、まず肉を煮て、あとで野菜を入れて煮るというやりかたと、東京のようにある程度、肉も野菜も一緒に入れて、割下といってすでに調合してあるだしを鍋に入れて煮て食べるというやりかたとか、いろいろあるわけですよ。  これもやっぱりその土地それぞれのやりかたで、うまいと思って食べればいいんだけど、ぼくが家でやる場合は肉による。いい肉、あんまりよくない肉、高い肉、安い肉、肉によってやりかたが違うはずなんだな。  ぼくが家でやる場合は、いい肉を使ってやるときは割下をつくるわけです。かつおぶしと醬油とみりんで、砂糖を使わないで。そんなに濃くしない。  それを少し鍋に入れて、それがバーッと沸騰してきたら肉を入れて、ちょっと一呼吸して一度裏返しにして、煮過ぎちゃったらもう駄目だからね、さっと火が通ったかどうかぐらいの感じで食べるんだよ。
location1274

はじめは何にも入れない、肉だけ。割下が煮立ってなくなったら、また注ぎ足して、ほとんど肉を動かさないように自分で取って裏返すぐらいにしてパッと食べれば、割下も濁らないわけです。そして肉だって本当にうまいわけ。  そのうちにだんだん肉のエキスが鍋にまじってくる。また注ぎ足して、具合がよくなってきたら野菜を入れるんだけれども、ぼくは野菜はねぎだけです。  それで割下が煮つまってくれば、ねぎと肉を最後はちょっと入れて、ちょっと濃い目にして、ごはんを食べるようにするとかしますけどね。  結局、肉のうま味ということを考えれば、こういうやりかたがいいとぼくは思うね。だけど、安い肉の場合は一緒に煮立てちゃったほうがいいと思うね、濃い割下でね。 肉を四、五枚食べるごとに、割下をかえるのが、ぜいたくなすきやきの食べ方  肉とねぎ以外は、ぼくは入れない。というのは、しらたきなんか入れると水が出ちゃうから狂っちゃうんだよ、割下の加減が。豆腐だって相当水が出るし、それはねぎだって水分があるわけだが、まあ、ねぎだったら合うから。ねぎは斜めに切らないでブツ切りにする、いいねぎだったら。そして鍋の中に縦に並べるわけよ。そうすると、ねぎというのは巻いてるから、その隙間から熱が上がってきて、やわらかくなるしね。だから、ねぎはあんまり長く切らないわけだ。立てて並べやすいようにね。横に寝かせたらなかなか火が通らないよ、ねぎというのは。  うんといい肉を薄切りにして、こういうふうにやるのがまあ、一番ぜいたくなすきやきじゃないかな。  それで、出来れば一つの割下が煮立ってきたところで肉を四、五枚食べたら、それをパーッと捨てちゃうのがいいんだよ。それで、水なりお湯なりでちょっと鍋をすすいで、また新しい割下でやれば一番ぜいたくなんだよ。
location1284

良いめしばなですよ。読んでいるだけですき焼き食べたくなる。
最高ですね、もう。たまらない。

また、麦酒の飲み方ね。
これ、奇遇にも完全にあたくしと同意見ね。
それか、知らず知らずのうちに、池波先生の本著に影響を受けた誰かの薫陶をあたくしが受けている可能性も大ですけどね。

なみなみと注いでグーッと一気にやるときのうまさはむろんあるけど、何回も何回もビールばかり一気に飲めないでしょう。だから、そういうときは、コップに三分の一ぐらい注いで、そのたびに一気に飲むようにしなきゃうまくないんだよ。  それなのに、ちょっと飲むとすぐ店の人や何かが注ぐでしょう。接待のときもそれをやるからいけないんです。悪循環で全部飲めないからコップに半分残るでしょう。そうするとそのまま放っておくと何か気がつかないみたいでね、怠慢のように思われやしないかということになる。  だからそういうときは、たとえば客を接待したとき、まず、 「ありがとうございました……」  と挨拶をして、みんなと乾杯して飲んだら、新しいビールを客のそばに置いて、 「ビールはご自分でお注ぎになったほうがうまいと思いますので、ここへ置かせていただきます……」

うーん、そうですよね。瓶ビールが美味いですよね。

なんて。語りたいことは山ほどあります。
その2に続く。

The following two tabs change content below.
都内在住のおじさん。 2児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です