『抵抗の拠り所』 三好さん、かっけぇよ。

友人に勧められて読みました。

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ご本人はプロレタリア劇作家だそうですが、あたくしは全く観たことも聞いたこともなかったのです。
古い友人に「これは俺のバイブルだ」と言われ、体よくあしらっていたものの、Amazonで只で読めるので読んでみたところ、いたく感動しました。

左翼的な活動に疑問を覚えたということでしょうかね。
非常に共感出来ます。

 文学者は、社会全体からの暗黙の付託によって生まれ、それへの責任をせおって立っているものです。これは、私の主張や希望ではなく、客観的にそうなのです。飢えてはならぬし、飢えるべきではない。
このばあい、「社会のなかに多数の飢えたものがいる。それを無視できないだけの誠実さがあるならば、文学者はペンを捨てて社会全体の救済におもむくべきだ。またそのペンを社会救済の仕事にむけるべきだ」といったような考えも、私には甘く見えます。ペンを持たない「文学者」などありうるはずはないし、文学が他の目的の「用具」になりうるなどの考えは、傲慢であると同時に、卑屈な妄想であります。
文学者は虫のせいやカンのせいで文学者になったのではない。また趣味や慈善のために文学者になったのでもない。のっぴきならず、しょうことなしにつまり石が水に沈むように文学者になってしまったのだ。
at location 61

ポジショントークのような気もしますが、この人の文章からは誠実さが読み取れます。
いや、劇作家ですから、信用してはなりませんが、とはいえ、陶酔に過ぎるかもしれませんが、いささか感情に説得力がある。

いい言葉じゃないですか。「文学者は社会全体からの暗黙の付託によって生まれる」。かっこいいね。

さきの戦争中にしても、そうでした。戦前も戦争中も私の思想は戦争に賛成せず、私の理性は日本の敗北を見とおしていたのに、自分の目の前で無数の同胞が殺されていくのを見ているうちに、私の目はくらみ、負けてはたまらぬと思い、敵をにくいと思い、そして気がついたときには、片隅のところでではあるが、日本戦力の増強のためのボタンの一つを握って立っていたのです。
at location 323

しびれます。きっと、僕も同じ立場になっていたでしょう。弱いから。
大きなうねりのなかで、生き延びていくためには自分を感化させずにはいられない。それはいかんともしがたいのです。

そう決心をつけたら私は落ちつけました。不安はあります。不安はどこまでいっても、ついてまわるでしょう。しかし根本的なところで安心しました。つまり自分の生活および仕事と、起りうる困難な事態との関係では、私は水中を下へ下へと沈んでいったすえに、私の足は水底の地面にやっととどいたのです。それは貧弱きわまる、一尺四方ぐらいの地面ですが、しっかりした岩でできた地面で、私がその上に立つことはできます。
at location 140

いいですねぇ。車谷長吉のよう。真摯に生きるということは、こういうことかね。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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