『私の体を鞭打つ言葉』 西洋哲学エッセーとしては最高でしょう

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これほど分かりやすく面白い西洋哲学解説書は他に知りません。

突如、現れた哲学アイドル、衝撃のデビュー作!
抱腹絶倒の超自伝的「哲学の教え」。

とかくこの世が生きにくいのはなぜだろう。
生きていくうえで、理由はわからないけれど、なぜか浮いてしまう、はみ出てしまう、
普通の人生を生きられずに苦しんでしまう。
そんな悩みを持つ人は決して少なくありません。

本書の著者、原田まりるさんもそうでした。
ところが、高校生だったある日、一冊の哲学書との出会いが彼女を変えていくこととなります。
破天荒な哲学者たちの生きざまや考え方に触れるうちに、
哲学書の中に息づく「体を鞭打つ言葉たち」が彼女の人生に光を注ぎ込み、
彼女は「生きていく強さ」を手に入れることができたのです。

元レースクイーン日本一、元アイドルにして、現在は哲学ナビゲーターの原田まりるが
自らの体験をもとに初めて書き下ろした、抱腹絶倒の超自伝的「哲学の教え」とは?

あくまで「西洋哲学」の「解説書」というか「エッセー」みたいなものですが。
それでも、自らの体験から読み解いている感じは、経験に重きを置くショーペンハウエル先生も認めてくれるんじゃないでしょうか。あたくしは好きです。

あたくしは他人の哲学を必要としない、というか、理解できないタイプの残念な素質の持ち主なので、そういった哲学センスのない人間に受けるのかも。
真面目に西洋哲学を学んでいるひとからすると「ケッ」的なところは多いかもしれませんね。
実際、筆者は自分の我がすごく強い方のようで、西洋の哲学者の権威を持ち出して倫理とか社会を否定しているような嫌いはなくはないでしょう。反抗期に聖書や古文書、哲学書におのれの存在の居場所を求めることはよくあることではあるのですが、「盗んだバイクで走り出す」的な、ヤンキー論理を感じてちょっと萎えてしまいます。

あたくはヤンキーや尾崎との相性が良くないのでね。
そいや、この方は尾崎大好きって書いてあったかしらん。

ニーチェは著書の中で、世界や人生には、決定的、絶対的な意味はなく、さまざまな苦悩も繰り返されると述べ、人生は「永劫回帰」としている。
永劫回帰とは「ただ、なんとなく繰り返される」という意味であり、世界や人生にあらかじめ「意味」など用意されていないと唱えているのだ。
そこでニーチェは、意味があらかじめ用意されているわけではない人生を生き抜くうえで「超人であれ」と言っている。「超人」とは何かというと、永劫回帰のただ繰り返されるだけの、意味を持たない苦悩に満ちた世界の中で気力を失くし適当に生きるのではなく、「生きていく意味」を己自身で見つけ出し、新しい価値観の創造者となれという教えである。
つまり、自分自身の人生の中で、追求すべき価値観は、あらかじめ用意されていて誰かしらから、与えられるものではないのだ。
at location 334

ニーチェ。分かりやすいね。

「われわれは恋をしていると、自分の欠点をひた隠しにするが、──それは虚栄心からではなく、ただ恋人を傷つけまいとするからなのだ」(『喜ばしき知恵』フリードリヒ・ニーチェ著、村井則夫訳、河出文庫)
ニーチェは毎日このような気持ちでザロメと過ごしていたのだろうか。 「凄い男だと思われたい!」という気持ちよりかは、「哲学者として凄いと思ってくれた彼女の気持ちを裏切りたくない!」という一心でこの一文を書いたのかもしれない。
このように人は恋をすると、自らを偶像化することで、相手の期待を裏切らないように心がけることがある。
そして、それと同様に好きな人のことを偶像化して見つめるという一面もあるのだ。
恋人という存在は「自分にとって特別な存在であるという契約」ではなく、「特別な存在の中でも最上級の存在であるという意思」のもと、成り立つ関係ではないかと、私は思う。
ラブラブな恋人同士の関係は、双方がアイドルであると同時に、双方がアイドルファンの心境に近いのではないだろうか。
恋人にとって自分はアイドル的存在であり、尚かつ恋人のファンでもあるので「たがいに夢から覚めさせない」でいる努力こそ、恋がマンネリ化せず、ときめきが長続きする秘訣であると思う。
at location 1310

これもニーチェ。ザロメとの関係を持ち出して書いてあって、非常に分かりやすい。

 「自分が不当な扱いを受けているように感じる」のは、実はナルシストの発想である。
自分の能力が公正に評価されていないと感じる裏側に、「自分はできるのに」という自信が潜んでいる証拠でもある。
しかし、ほかにも大きな「原因」が潜んでいることに、私は気づいた。 「努力が足りない」でも「不当な扱いを受けている」でもない。
原因となっているのは「周囲の評価に期待している」ことである。「努力しているのだから、人に認めてもらいたい」と思うのは当然の気持ちかもしれない。
しかし、「自分が納得できるかどうか」ではなく、「人に評価されるかどうか」ばかりに重きを置きすぎた場合、取らぬ狸の皮算用であるにもかかわらず、「他人からの賞賛」を過度に期待してしまう。そして、結果として期待していたような「評価」が返ってこなかった場合に、憎しみや苦しみに変わってしまうのである。
at location 1808

あぁ、ちょっとわかるなぁ。
ナルシシズムって厄介よね。

 ショーペンハウアーの言葉によると、「名声を得る」ことは「現象」であり、「成果」としてではないのだ。 「現象」として何かを成し遂げた後に手に入る「名声」を、「成果」として定め、「成果」に固執しすぎる行為は、表面だけを取り繕う行為にすぎない。
自分の内面や本質を高めようとする行いとは、まったく意味が違ってくるのだ。
欲望を満たしてくれる「富」や「名声」や「快楽」は、何かを選択するうえでの、おまけ程度に捉えていたほうがよい。
at location 2060

元アイドルさんだからこそ言える、ともいえるし、元アイドルのくせに、ともいえる。けど、ちゃあんとその辺を背負って発言している感じがすごく好感を持てます。

いい本でした。悩んだらまた読みたい。

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都内在住のおじさん。 2児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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