『行人』① じわじわくる味わい

漱石文学のなかでも、かなり好きな方です。

[amazonjs asin=”4101010129″ locale=”JP” title=”行人 (新潮文庫)”]

明治期の文学者、夏目漱石の長編小説。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1912(大正元)年〜1913(大正2)年]、「友達」「兄」「帰ってから」の後で胃潰瘍のために中断。続く「塵労」は1913(大正2)年9月16日から11月15日まで、計167回の連載となった。行人とは旅人のこと。一郎にとってお直との夫婦関係の苦悩は弟次郎が関わることによって「死ぬか、気が違うか、夫でなければ宗教に入るか」という人間の存在の苦悩そのものへと深まっていく。

長いんですよ、これが。とにかく。
読むのにえらい時間かかっちゃって。なにせ漱石の作品は読むのに骨です。

位置: 135
「結婚すると子供が欲しくなるものですかね」と聞いて見た。 「なに子供が可愛いかどうかまだ僕にも分りませんが、何しろ妻たるものが子供を生まなくっちゃ、まるで一人前の資格がないような気がして……」  岡田は単にわが女房を世間並にするために子供を欲するのであった。結婚はしたいが子供ができるのが怖いから、まあもう少し先へ延そうという苦しい世の中ですよと自分は彼に云ってやりたかった。すると岡田が「それに二人ぎりじゃ淋しくってね」とまたつけ加えた。 「二人ぎりだから仲が好いんでしょう」 「子供ができると夫婦の愛は減るもんでしょうか」  岡田と自分は実際二人の経験以外にあることをさも心得たように話し合った。

なんというか、こういう、他人(あるいは社会)と、自我と、その間にいて右往左往するだけの小説っちゃそれまでなんです。大きな事件が起こるわけじゃなし。
ただ、その淡々と流れる日常を、こんなにも丁寧に描かれると怖くなってくる。

『春にして君を離れ』に似ているかもしれません。内面の不一致やすれ違いは、どこにでも横たわっていて、ときにそれを恐怖に感じるよ、ってね。

位置: 631
自分の一瞥はまずその女の後姿の上に落ちた。そうして何だかそこにぐずぐずしていた。するとその年増が向うへ動き出した。あの女はその年増の影から現われたのである。その時あの女は忍耐の像のように丸くなってじっとしていた。けれども血色にも表情にも苦悶の迹はほとんど見えなかった。自分は最初その横顔を見た時、これが病人の顔だろうかと疑った。ただ胸が腹に着くほど背中を曲げているところに、恐ろしい何物かが潜んでいるように思われて、それがはなはだ不快であった。自分は階段を上りつつ、「あの女」の忍耐と、美しい容貌の下に包んでいる病苦とを想像した。

最初に出てくる「病気の女」ね。こいつの、今で言うところの精神病というか、その冷え冷えとした恐ろしさ。「容貌」なんて漢字で書いたら格好いい。

位置: 947
三沢は変な男であった。こっちが大事がってやる間は、向うでいつでも跳ね返すし、こっちが退こうとすると、急にまた他の袂を捕まえて放さないし、と云った風に気分の出入が著るしく眼に立った。彼と自分との交際は従来いつでもこういう消長を繰返しつつ今日に至ったのである。 「海岸へいっしょに行くつもりででもあったのか」と自分は念を押して見た。 「無いでもなかった」と彼は遠くの海岸を眼の中に思い浮かべるような風をして答えた。この時の彼の眼には、実際「あの女」も「あの女」の看護婦もなく、ただ自分という友達があるだけのように見えた。

この三沢氏の変人ぷりもまた、いいんです。
突拍子もない変人ではなく、ただ、すこし、変わった人。その薄気味悪さみたいなものを丁寧に描くと、人間って怖く感じる。

位置: 1,417
母は長い間わが子の我を助けて育てるようにした結果として、今では何事によらずその我の前に跪く運命を甘んじなければならない位地にあった。

漱石っぽい皮肉。

位置: 1,431
そこへ行くと自分はまるで子供同様の待遇を母から受けていた。「二郎そんな法があるのかい」などと頭ごなしにやっつけられた。その代りまた兄以上に可愛がられもした。小遣などは兄にないしょでよく貰った覚がある。父の着物などもいつの間にか自分のに仕立直してある事は珍らしくなかった。こういう母の仕打が、例の兄にはまたすこぶる気に入らなかった。些細な事から兄はよく機嫌を悪くした。そうして明るい家の中に陰気な空気を漲ぎらした。母は眉をひそめて、「また一郎の病気が始まったよ」と自分に時々私語いた。自分は母から腹心の郎党として取扱われるのが嬉しさに、「癖なんだから、放っておおきなさい」ぐらい云って澄ましていた時代もあった。

また、家族の様子も良く出来てる。兄と弟と母の距離感が、巧妙。こういうのを丁寧な描写というのでは。具体的で、多くを語りすぎない、行間に篭った悲喜こもごも。

位置: 1,698
自分の見た彼女はけっして温かい女ではなかった。けれども相手から熱を与えると、温め得る女であった。持って生れた天然の愛嬌のない代りには、こっちの手加減でずいぶん愛嬌を搾り出す事のできる女であった。自分は腹の立つほどの冷淡さを嫁入後の彼女に見出した事が時々あった。けれども矯めがたい不親切や残酷心はまさかにあるまいと信じていた。

兄貴の奥さんね。「こういう人、いるよねー」ってなる。
それを漱石が描くとこうなる。

長くなったので稿を改める。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする