『行人』② 兄貴がまた、いい具合に神経質なんだ

この物語の焦点は、前半は兄貴のものです。

位置: 1,823
二人はすぐ山を下りた。俥にも乗らず、傘も差さず、麦藁帽子だけ被って暑い砂道を歩いた。こうして兄といっしょに昇降器へ乗ったり、権現へ行ったりするのが、その日は自分に取って、何だか不安に感ぜられた。平生でも兄と差向いになると多少気不精には違なかったけれども、その日ほど落ちつかない事もまた珍らしかった。自分は兄から「おい二郎二人で行こう、二人ぎりで」と云われた時からすでに変な心持がした。

位置: 2,053
「好い景色ですね」  眼の下には遥の海が鰯の腹のように輝いた。そこへ名残の太陽が一面に射して、眩ゆさが赤く頰を染めるごとくに感じた。沢らしい不規則な水の形もまた海より近くに、平たい面を鏡のように展べていた。

心理描写と風景描写。前者はストレートに、後者はきらびやかに。
「鰯の腹のように」なんて例え、一生使えない気がする。

位置: 2,583
「あなた今夜は昂奮している」と自分は慰撫めるごとく云った。 「妾の方があなたよりどのくらい落ちついているか知れやしない。たいていの男は意気地なしね、いざとなると」と彼女は床の中で答えた。

ここだけ抜き出すと変な想像をしてしまいそうですが、何もない。何もないところでもって、義理の姉はこういうことを言うのです。

位置: 3,024
「おれは自分の子供を綾成す事ができないばかりじゃない。自分の父や母でさえ綾成す技巧を持っていない。それどころか肝心のわが妻さえどうしたら綾成せるかいまだに分別がつかないんだ。この年になるまで学問をした御蔭で、そんな技巧は覚える余暇がなかった。二郎、ある技巧は、人生を幸福にするために、どうしても必要と見えるね」
「でも立派な講義さえできりゃ、それですべてを償って余あるから好いでさあ」
自分はこう云って、様子次第、退却しようとした。ところが兄は中止する気色を見せなかった。
「おれは講義を作るためばかりに生れた人間じゃない。しかし講義を作ったり書物を読んだりする必要があるために肝心の人間らしい心持を人間らしく満足させる事ができなくなってしまったのだ。でなければ先方で満足させてくれる事ができなくなったのだ」

この物語の本質その1でしょうか。
そう杓子定規に考えるなよ、と読んでいて思うのですが、そこを杓子定規にしてしまうのが勉強バカたる所以。

位置: 3,461
「私は今寡婦でございますが、この間まで歴乎とした夫がございました。子供は今でも丈夫でございます。たといどんな関係があったにせよ、他人さまから金子を頂いては、楽に今日を過すようにしておいてくれた夫の位牌に対してすみませんから御返し致します」と判切云って涙を落した。 「これには実に閉口したね」と父は皆なの顔を一順見渡したが、その時に限って、誰も笑うものはなかった。自分も腹の中で、いかな父でもさすがに弱ったろうと思った。 「その時わしは閉口しながらも、ああ景清を女にしたらやっぱりこんなものじゃなかろうかと思ってね。

この父親もまた、遊び人風でいいんだ。兄貴とまるで似ていない。
そこが家族ってやつだね。面白い。

位置: 3,902
兄は臭い煙草の煙の間から、始終自分の顔を見つめつつ、十三世紀だか十四世紀だか解らない遠い昔の以太利の物語をした。自分はその間やっとの事で、不愉快の念を抑えていた。ところが物語が一応済むと、彼は急に思いも寄らない質問を自分に掛けた。 「二郎、なぜ肝心な夫の名を世間が忘れてパオロとフランチェスカだけ覚えているのか。その訳を知ってるか」  自分は仕方がないから「やっぱり三勝半七見たようなものでしょう」と答えた。兄は意外な返事にちょっと驚いたようであったが、「おれはこう解釈する」としまいに云い出した。 「おれはこう解釈する。人間の作った夫婦という関係よりも、自然が醸した恋愛の方が、実際神聖だから、それで時を経るに従がって、狭い社会の作った窮屈な道徳を脱ぎ棄てて、大きな自然の法則を嘆美する声だけが、我々の耳を刺戟するように残るのではなかろうか。もっともその当時はみんな道徳に加勢する。二人のような関係を不義だと云って咎める。しかしそれはその事情の起った瞬間を治めるための道義に駆られた云わば通り雨のようなもので、あとへ残るのはどうしても青天と白日、すなわちパオロとフランチェスカさ。どうだそうは思わんかね」

パオロとフランチェスカ、三勝半七。
『艶容女舞衣』、歌舞伎とか浄瑠璃ですわな。よく知らんけど。
この時代の人はみな歌舞伎とか浄瑠璃を知っていたのか、それとも漱石はそういう演芸とか好きだったから知っていたのか。

現代も不倫だ何だというのは皆の好きなところですが、それは自然の醸した恋愛が偏屈な道徳を超えた瞬間だからなのかもしれません。

位置: 3,920
「二郎、だから道徳に加勢するものは一時の勝利者には違ないが、永久の敗北者だ。自然に従うものは、一時の敗北者だけれども永久の勝利者だ……」  自分は何とも云わなかった。 「ところがおれは一時の勝利者にさえなれない。永久には無論敗北者だ」  自分はそれでも返事をしなかった。 「相撲の手を習っても、実際力のないものは駄目だろう。そんな形式に拘泥しないでも、実力さえたしかに持っていればその方がきっと勝つ。勝つのは当り前さ。四十八手は人間の小刀細工だ。膂力は自然の賜物だ。……」

そして漱石はいつだって敗者の方に寄り添うのです。
これがこの人の味ですね。道徳にも、自然にも、勝てない人に寄り添う。

この兄貴がブツブツいうところ、好きだなぁ。

稿を改めます。

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