『お母さんの「敏感期」 モンテッソーリ教育は子を育てる、親を育てる』 言っていることは肌に合う

子育て本も結局、好き嫌いに集約されるところがあります。

[amazonjs asin=”416771745X” locale=”JP” title=”お母さんの「敏感期」―モンテッソーリ教育は子を育てる、親を育てる (文春文庫)”]

20世紀初頭、イタリアのマリア・モンテッソーリ博士が生み出し、今も世界中で支持されている「モンテッソーリ教育」。その一番の特徴は、子どもには特定の事柄に特別な感受性を発揮する「敏感期」があることを指摘し、その重要性を唱えたこと。本書は、わが国のモンテッソーリ教育の第一人者である著者が豊富なイラストとともに解説する、育児書の決定版です! 『お母さんの「発見」』とあわせてどうぞ。

結局こういう本は 好き嫌いに収斂されるところがありまして、モンテッソーリ教育と言うか相良さんの言うところの理想的な子供が「自分の育てたい子どもの理想像」とうまく噛み合っているからこそ納得できるものに仕上がってるんだと思います。子育てというのは難しくて、これが正解というものはなかなか確立できていませんよね。理論上正しいことを実践するというのが実際にめちゃくちゃ難しいときもある。
親も完璧じゃないし、時間もお金も労力も限られているとなれば、そりゃあもう、「肌に合う」で決めるっきゃないか!と思うこともあります。共働きの家じゃ、モンテッソーリでも幼稚園に行くわけにいかないしね。

位置: 197
何のためにおけいこごとをさせるかと言ったら、集中してひとつのことをする喜びを知るためである、と今は断言できる。その意味では何でもいいのだ。

位置: 423
小さいときにもっとも大切なのは、「日常生活のことをひとりですること」だと示唆しているのです。

我が家の上の娘は、習い事もままならず、日常生活のこともなかなか一人ではできない。教えて演らにゃならんのですがね。

位置: 266
脳の発達とこのように密接に関連しているわけですから、大人がはいはいしている赤ちゃんをすぐ抱きあげたり、いつもいつもベビーカーに乗せて移動して、四つんばいの機会を奪ったり、歩行器に入れて脳の刺激となる活動を省略させたりすると、脳の発達を妨げ、いろいろな問題の原因をつくります。  だからくり返し強調しますが、自然の法則によりもっとも大事なことは、「新しい段階へと順調に入っていけるかどうかは、その前の段階をうまく終了してきたかどうかに、全面的にかかっている」ということです。  ですから、おけいこごとや塾通いを、このような脳の発達の部位と順序などにおかまいなく、大人が勝手に「子どものために」「将来のために」「受験のために」「競争に勝つために」などの大義名分で押しつけてしまえば、優秀な頭脳どころか取り返しのつかぬ粗末な頭脳にしてしまうことだってありえましょう。

頭の痛いところです。
すぐ抱っこしたりするのは、かえって良くないことですね。

位置: 1,468
①敏感期の感受性にうながされて自分から環境にかかわっていく能動的で積極的な行動が、いつも認められた生活   ②知性の法則にそって、自分のイニシアティヴと自分のリズムで考えながら活動を進める自由を保障された生活  この二つのことが認められ保障された日常生活を幼児期にもった子どもは、自分で考えて行動する個性と創造性をもった人になります。

位置: 1,816
ブルームというアメリカの教育学者が、芸術と運動と自然科学の三つの領域で、世界のトップクラスになった人たちが、小さかったときどんな教育を受けたかを、大々的に調査研究しました。その中で「家庭と初期学習の役割」について興味深い報告があります。  その人たちに共通している一つのことは、親たちが、家庭のいろいろな雑用や責任を小さいときから分担させたということです。四、五歳ごろから、日常生活において子どもに適切に責任をもたせて自律的に行動できるように何度もくり返して強調したというのです。

色々やらせる、自分でやらせる。そういうことですな。
先回りしてあれこれやってあげるというのは、これはこれで問題があるのかもしれません。

下の娘についても、起きたらベッドから食卓へ連れてってあげてるし。食事机やエプロンも用意してあげてる。
そうじゃなくて、自分でやらせる。これが大切なのかもしれません。

子育て本は面白いね。己の役割を見つめ直すいいきっかけになります。