高校野球にハマれない理由

今日同僚と話していて改めて思ったのですが、やはりあたくしは高校野球にはハマれませんな。
プロ野球が好きで毎日スカパーで観ているにも関わらず、高校野球ということになると極端に興味がなくなるのです。

何故かということについて、大きく分けるなら3つの理由で好きになれないんですな。
同僚と話してて明確になりました。感謝せねば。

「涙の風俗」と化している

球児自身が己に酔っていて、「なんとか皆に感動を」とか思っているフシ、ありませんか。

応援団が同じTシャツを着て「頑張って皆で涙しよう」的なことを背中に書いていたりして。あれはどうにも好きになれないです。
もはや「泣かせ」に来ているんですな。

「泣ける」ということを自ら名乗ることの下品さを、あまり世間の人は指摘しませんね。
先日の映画ドラえもんにおける「ドラ泣き」と同じ、傲慢さを感じます。白けます。
「感動するかどうかは結果であって、俺は野球が観たいだけ」と強く思います。

応援席の部員の団結が気持ち悪い

これは、あたくしがひねくれているのが悪いのだと思うのですが、応援席に居る大量の部員を観ると不快になります。

有名高校の部員ともなると、3年間、一度も一軍の試合に出ない人もいるでしょう。
そういう人を観ると、どうにもやるせない。

彼らはスタンドで応援するために野球をしているわけじゃないでしょう。転校とは言わないまでも、他のことしたらどうだい?と強く勧めたい。高校3年生でしょ?他人の野球のためにわざわざ兵庫まで来る必要、あるの?って。

規律の強い部活もの全体に苦手感があるので、正直、そこ由来の毛嫌いではあるのですが。
あたくしの子供が3年間スタンドで応援させられるんだったら、あたくしは強く転向を勧めますね。野球が出来る場所は高校だけじゃないわけですし。

大人の都合が気持ち悪い

主にテレビ朝日と朝日新聞ですが。
「熱闘甲子園」やら新聞やらで、礼賛されている高校野球の現状は、誰もが知っているほど過酷で、実はその過酷さを、読者視聴者は楽しんでいるじゃないですか。

あれは気持ち悪い。
腕よちぎれよと投げている投手に感動はしません。

残酷ショーを楽しみにしている大人を観ると、「ローマのコロッセオで囚人がトラと戦わされているのを楽しみにしている貴族」を観ているような感覚に陥るんですな。

ま、常識がないのは自覚しています

とはいえ、そんなこと言っているあたくしのほうが非常識で、そう肩肘張らずに楽しんだほうが得だというのは重々承知しているんですけどね。

プロ野球は好きですが、高校野球が好きになれない。
そんなことを考えてみました。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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