大谷 弘至著『小林一茶 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』感想 苦境をユーモアで克服する

「ビギナーズ・クラシックス」シリーズのファンです。
たまに変なのもあるけど、これはアタリかと。

身近なことを句に詠み、人生の辛さや切なさを作品へと昇華させていった一茶。古びることのない作品を、人生に沿ってたどりつつ、やさしく鑑賞する入門書。

好きな作家や作品の全体像を掴むのにちょうどいいんですよね。しかもちゃんと読み応えがあるという。

この本もそれで、著者さんも主張強めで、読みやすかった。立場がはっきりしているほうが読みやすいこともありますね。

一、一茶の時代

位置: 228
一茶の同時代人、 葛飾北斎 といった絵師たちは、肉筆画よりも浮世絵を描いた。浮世絵は木版によって安価に大量生産することが可能であり、大衆によって大量消費された。

日本史上初めて庶民の時代だった、ということでしょうね。

位置: 233
それは一つ前の世代の 与謝蕪村 や 池大雅 といった絵師たちが裕福層のパトロンに依頼されて、一点物の肉筆画を描いていたのとは、大きな違いがある。

本当にそうだ。市井の人々が文化の担い手になるのって、結構大変なことよ。19世紀初頭ですでにそれが出来ていた、というのは誇れることであります。

ニ、一茶の人生とその思想

位置: 263
一茶の苦難についてふれようとすれば枚挙に暇がない。
文化十一年(1814)、五十二歳で信濃に帰ってからも幼い子どもたちをあいついで亡くし、年少の妻に先立たれ、晩年は大火で家を焼け出されてしまう。
こういった悲劇の連続ゆえに、一茶はかわいそうな人だといわれる。また、そのせいで、ひねくれたといわれる。一茶という人を語るとき、また、その俳句を語るとき、どうしてもそうした偏見がつきまとってしまう。
しかし、一茶の人と作品をみていく上で、いちばん大事なのは、一茶がいかにかわいそうな人であるかということではなく、一茶が人生上の苦難をいかにして乗り越えていったか、そしてどのように作品にそれを昇華していったかということである。そこに一茶の思想が集約されているのだ。

ふむ。苦境を文化で克服する、というのは好きな話です。そこにおちゃらけが入れば尚のこと。

位置: 276
もうひとつは明治時代に入って、 正岡子規 が一茶の特徴を「主として滑稽、諷刺、慈愛の三点にあり」と指摘して以来、一茶につきまとっている、もうひとつの偏見、「一茶の句は子ども向けであり、深みがない」ということについて再検討するためである。
子規の指摘は一面においてはそのとおりであるが、あくまでも一茶の一側面でしかない。子規が強調した側面がよく出ている句が、一茶のよく知られた句になってしまっているのである。

よくある話で、「◯◯?あぁ、あのCMの人でしょ?」みたいになるやつ。実は色々やっているのをファンは知っているけど、一般的にはそのキャラクターで切り取られてしまう、みたいなやつ。

父の死

我星は どこに旅寝や 天の川

位置: 1,023
一茶はいつも孤独であった。
三歳で母を失い、十五歳で家を出される。父を失ってからは、 継母 らを相手に長らく遺産相続争いをすることになる。葛飾派のなかでも居場所が無くなっていく。

どことなく淋しい句だね。孤独、しかし、ユーモラス。

一茶、結構好きだな。

By 写楽斎ジョニー

都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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