前回はトータス松本さんの自伝を読み、今回はいよいよブラック田ヨンピル氏のを。
2009年、活動休止!ウルフルズの真実がこの1冊に!
つい先日、活動休止を発表したウルフルズ。そのオリジナル・メンバーであり、一度脱退後に復帰を果たした“問題のベーシスト”ことジョン・B・チョッパーが書き上げたバンド・ストーリー。ウルフルズという人気バンドを舞台に、初心者としてバンドに加わって以来、“トータス松本”という才能と闘い続けた男、ジョン・B・チョッパーが綴る、魂の青春物語です。また、バンド関係者30人以上への取材を元に構成したノンフィクション『芸の花道』や、活動休止発表後のメンバー最新インタビューも特別収録!
そして2014年活動再開し、2018年ウルフルケイスケがウルフルズを休止。
好きなバンドの内輪もめ、正直みたくない。でも、出ちゃったら読むしかないじゃない。
p37
もうこの頃からスタジオ という場所が居心地のいいものではなかった。スタジオでは逃げ場もだいたい窓もない。結局は出音が全てなので それがダメなら当然煮詰まる。
きっつー。1990年だから、『爆発オンパレード』の頃。その頃からもう、彼は限界の予兆があったんだな。
p49
大阪では「タヌキ」といえば 「きつねそば 」が定番だ
そんな馬鹿な。。。。油揚げがきつねじゃんか。。。。
じゃあ、大阪で「きつね」というと何が出てくるんだ?
その答えに答えてくれるサイトが↑。「ハイカラうどん」という言い方を初めて知った。
p70
会う時はいつも酔っ払っているのに まともなことを言う。はるは歌をうたいながらベースも弾く。歌、 書く曲、ベースライン、リズム感、酒の飲み方、彼女—- 全てに生き様があってかっこいい。Theピーズを知る人であれば そんなことは承知であろう。ウルフルズもアルバム「ラブソングベスト stupid&honest」で Theピーズの曲「実験4号」をカバーしている。
実験4号、かっこいいよね。
ある種のカリスマなんだろうな。あたくしの周りにもピーズ大好きな人いましたね。あいつ今何してるんだろうな。
p90
ディレクターの小安さんのアイデアで大滝詠一の「びんぼう」をカバーすることになった。ナイアガラ人脈の銀次さんにとって 大滝詠一さんは 師匠にあたる人。かなりのプレッシャーだったに違いない。
あたくしは先にウルフルズに出会ったので、順序が逆になってる。
もちろん、大滝さんのもかっこいいけど、ウルフルズのもかっこいいんだよな。
いいよね。そしてこちらがウルフルズ。こっちもかっこいい。
うーん、この頃が一番、ロックンロールとブルースの配合がちょうどいい頃かもしれない。ウルフルズのどの時期が好きか、というのは議論になるだろうが、あたくしはこの頃の配合が一番好きだなー。
p99
松本君は作詞作曲はもちろんのこと、特に、歌うたいとしての才能が飛躍的に開花した時期だったように思う。収録曲「ウソつけ!ウソいえ!ウソぬかせ!」の歌取りでは一発 テイク OK。シンプルな3コードのロックンロールだったが、こういう曲こそ、歌の上手い下手が如実に出る。
確かにこれはロックンロールだ。こんな曲あったね。懐かしい。
p103
この「SUN SUN SUN ’95」は (中略)ウィザーの「バディ・ホリー」が 元ネタ で
バディ・ホリーの曲かと思ったら、違った。ウィザーというバンドなのね。存在を知らなかったぜ。
ちなみにこれがウィザーらしい。
知らなかったぜ。ちょっと流行った風だ。見たことあるかもなー。
p106
KC &ザ サンシャインバンドの「that’s the way」の印象的なイントロが遠くに鳴っている。 それに合わせて「ガッツだぜ! 鼻息~、ガッツだぜ!溜息~」と声が乗っている。 はじめは何が起こってるのかわからなかった。ところが聞いてるうちに状況が把握できた。
これが元ネタかー。確かに、そうだ。「ええねん」もそうだけど、トータス松本はアレンジャーとしての腕も凄い。もちろん、作る曲もいいんだけどね。
p138
思えばいつも、目の前には「トータス松本」という壁があった。何かを自分なりに クリアしたと思ったそばから その壁が立ちふさがった。意識すればするほど それは高く 頑丈になっていった。どうにかしなければという 焦りは、それに向き合うだけの才能が自分にはないということを無情にも突きつけるだけだった。本当はそこから全てが始まるのだが—–平たく言えば—–僕はサボった。気づかないふりをした。そして逃げた。けれど、どれだけ必死に逃げても事実は正確な足取りで僕に追いつき、そして言うのだ。「お前には才能がない」—–踏みにじられた気持ちは、行き場のない思いに姿を変え、僕の中を ギチギチに満たし、僕は僕を見失った。
ジョンBさんもプライドが高い。諦めたところから人生が始まる人が大半なんだけどね。諦められないというのも、難儀するもんだ。もしかしたら、僕らファンが持ち上げたのも良くなかったのかも。持ち上げられ慣れた人間に、敗北を認めさせるというのはそれはそれで辛いのか。
p145
この時期 僕は 松本くんの歌を聴くのが辛くてたまらなかった。
歌詞もより個人的なことを綴るようになっていたし、ウルフルズ自体も、圭介さんがリーダーではあるが、実質 バンドを引っ張っているのは 松本君だった。それは誰の目にも疑いようがない事実だった。その大きさと戦えるだけの 何もかもが僕にはもう残っていなかった。
だからといって単純に服従できないのがジョンBさんのプライドなんだろうな。素直にその戦線から逃げればいいのに、とあたくしなんて思うけどね。
そのポジションも捨てることが出来ないのであれば、ただ辛いだけ。
芸の花道 ウルフルズ・ノンフィクション
ウルフルズのノンフィクション。
今までのジョンBさんの自分語りではなく、あくまで事実に基づくもの。これを先に読むと更によかったのかもしれない。
p198
年が明けて 1990年。ケイスケとトータスは 東京進出を現実的に考え始めていた。目標であり ライバルとしたのは、ボ・ガンボスだった
実は、あんまりよく知らないバンドなんですよね。ただ、聞くとかっこいい。なるほど、目標とするだけある。
p212
では 子安にとっても それは危険を伴うかけだったのか? 実はその決断にこそ 数々のヒットをものにしてきた 子安のディレクターとしての鋭い感と深い洞察力を見ることができる。まずウルフズの荒削りでむき出しの個性を商品にまで磨き上げるためには、 曲と詩それらの根本を徹底的に見つめ直させる必要があった。単なる アレンジャー 的なプロデューサーに務まる仕事ではない。過去の作品がそれを証明していた。そしてその仕事を ウルフルズ と共にやっていくにあたって「大阪出身」「 元バンドマン」という出自、さらには 大滝詠一のもとで鍛え上げられた「明快な音楽理論」、伊藤の持つ これらの要素は完璧にバンドにマッチすると思われた。子安が伊藤銀次 をプロデューサーに起用したのは決して 伊藤のネームバリューに頼ったものではないということがわかる。真剣にウルフルズをなんとかしたい、その思いが伝わってくる人選だ。
今それを聞くと「なるほどな」となりますね。ウルフルズに大滝サウンドのウィットが入った、一番バンドサウンドのバランスが「ウケる」バランスだった時期じゃないかな。
p217
「これは君の 敗者復活戦だ」
伊藤は大滝にこう言われたという。伊藤 がウルフルズ を成功させることの責任を自らの中に引き入れた瞬間だったのかもしれない。出来上がった曲は「びんぼう’94」 として アルバムに収録された。一度も 大滝から褒められたことがなかった 伊藤は「俺のよりも かっこいい」と初めてにして最大の賛辞をもらった。
こういうのは本当に嬉しい瞬間だよね。師匠に認められるというのは別格の嬉しさがある。
それにしても、このあと活動を休止し、復活し、ケイスケさんが抜け。バンドとしては更に混沌とした時代に入ったといえるかもしれない。最新アルバムも、全然いいんだけど、どうにも寂しさが残る。なんだろうね。このあと彼らはどうなっていくんでしょ。引き続き定点観測します。