医療系ドラマはエモい。人の生死があるからね。
第十回 小学館 文庫小説賞受賞、2010年本屋大賞 第2位。
神の手を持つ医者はいなくても、この病院では奇蹟が起きる。
栗原一止(いちと)は信州にある「24時間、365日対応」の病院で働く、29歳の内科医。ここでは常に医師が不足している。専門ではない分野の診療をするのも日常茶飯事なら、睡眠を3日取れないことも日常茶飯事だ。妻・ハルに献身的に支えられ、経験豊富な看護師と、変わり者だが優秀な外科医の友人と助け合いながら、日々の診療をなんとかこなしている。
そんな一止に、母校の医局から誘いの声がかかる。大学に戻れば、休みも増え愛する妻と過ごす時間が増える。最先端の医療を学ぶこともできる。だが、大学病院や大病院に「手遅れ」と見放された患者たちと、精一杯向き合う医者がいてもいいのではないか。悩む一止の背中を押してくれたのは、死を目前に控えた高齢の癌患者・安曇さんからの思いがけない贈り物だった…。
日本中の書店員が感涙し、発売1年足らずで映画化が決まった大ヒット小説。
表紙絵といい、ちょっと森見登美彦味ですよね。狙ってるのかな。
男好きのする文体。当然、あたくしも大好き。
第一話 満天の星
位置: 42
ちなみに、私の話しぶりがいささか古風であることはご容赦願いたい。これは敬愛する 漱 石 先生の影響である。
漱石好きとしては、ここらでガッツリ掴まれちゃうよね。お前もか!おれもおれも!
位置: 380
ふいに雲がきれいに切れて、あたりに月明かりが満ちた。
十三夜のわずかに頭の欠けた月が、帰路を青白く染める。アスファルトまでが月光を受けて青い。静まり返った青い道は、このままどこまでもどこまでも、この世ならざる地まで続いているような、そんな妙な気分にさせてくれる。
この「あの世の親近感」ね。そんなことを思わせてくれる。城下町というのはそれだけで良い装置なのだ。
位置: 423
軒下にはネズミが、屋根裏には 鳩 が住みつき、始終、人ならざるものの羽ばたきやら足音やらが聞こえる御嶽荘であるが、この「桜の間」だけは、細君の徳に伏してか、心地よい静けさを守っている。
細君の異質さ、気高さをコミカルに演出。
位置: 483
いつでもお気に入りの古風なブライアーをくわえて、ゆらりゆらりとやっている。
ブライアー、パイプですね。いいよなー。そのうち始めたいなーとは思っている。
位置: 568
「人事権というのは医局にとって伝家の宝刀なのだ。地方の病院の院長たちは医局から医者が派遣されなくなることを恐れて、 右顧左眄、医局の長たる教授に頭をさげにこなければならない。いろいろと 闇 の中での取引が生まれる素地になる。おまけに」
また一杯をあおる。男爵が注ぐ。
「医者の側からしてみても、医局の都合ひとつで山奥の病院へ飛ばされてはかなわん」
人間社会の構図。それを気高い主人公が酒に任せて嘆く。いいじゃないですか。高潔な感じがよく出ている。
位置: 582
慢性的医者不足に悩む大学医局が、若輩とはいえまもなく医者六年目にもなる私という人間に目をつけ、医局への入局をすすめるようになってきた。先日は、医局長なるえらい先生から直接お電話がかかってきた。
「栗原君もそろそろ大学病院に来てはどうかね?」と。そして、
「大学でしか学べないことがたくさんある。いいチャンスではないかね?」と。
困ったものである。ほうっておいてくれればよいのにまことに面倒なことである。
学士殿が口をひらいた。
「ドクトル、私には医局制度の難しいことはよくわかりません。でもこの五年間で多くの患者さんたちと大切な関係を築いてきたのでしょう。そういったものを捨てていくほどの価値が、あの白い巨塔にあるのですか?」
にこやかなまま、また核心を突いてくる。
学士殿もいい味だ。嫌いな人は居まい。
位置: 719
「バカヤロウ、こんなに楽しいことやってるってのに、のんびりパターなんぞ振ってられるか」
「楽しいこと?」
「死にかけてる人間をなんとかして助けるってことだ。グリーン脇のバンカーから直接ホールインを 狙う時よりドキドキする。一番楽しい時だろ?」
「不敵」と「不敬」がきわどいバランスでブレンドされた 凄みのある笑みだ。こういう笑いはよほどの修羅場を見てきた医者でなければ格好がつかない。この人は、患者を助けられることが、どうしようもなく楽しいのだ。
大狸も見事に好人物として描かれています。悪い人が出てこない、ノーストレス小説。
第二話 門出の桜
位置: 1,560
「噓 ではないのだ、学士殿。あなたの博識は事実だ。高卒だろうが大卒だろうが、古今東西の書籍に通じ、ドイツ哲学に 造詣 深く、ニーチェを語らせればその弁理と博識は他を圧して余りある。そのことは誰よりも私がよく知っている」
このようなわかりきったことがわからぬのであれば、ことごとく私が言うまでだ。
「学問を行うのに必要なものは、気概であって学歴ではない。熱意であって 体裁 ではない。大学などに行かずとも、あなたの八畳間はまぎれもなく哲学の間であった。あの部屋には思索と英知がれ、ひらめきと発見があった。こんなことは今さら言葉にするまでもないことだ。八年をすごしたその探究の道になにを恥じ入ることがある」
そこで医学方向の話に振らず、あえてここでこんないい話を持ってくる。夏川先生、策士ですね。ぐっと心掴まれる読者諸賢は多いハズ。
位置: 1,737
壁、床、天井のすべてに満開の桜の絵が描かれていたのだ。
両側の壁にはどこまでも続く桜の並木道。天井には舞いあがる無数の花びら、床には降り積もった 朱鷺 色の花びら……。桃色、 撫子色、 石竹色、千変万化に移ろい変わる桜の園、そこに一陣の風が吹きぬけ、 颯と舞い上がって視界を染める桜色、その一瞬を 捉えた絶景。
視界のすべてが夢色であった。
朗々とした漢詩を読んでいるような、リズミカルな文章。石竹色、なんてそう簡単に描ける色じゃない。なんだか中島敦を読みたくなりました。
第三話 月下の雪
位置: 2,251
病いの人にとって、もっとも 辛いことは孤独であることです。
著者が医者である、という事実から、もはや何も言えない。短くも完璧な小説ですね。