やつら、本当にいけ好かない。
歴史問題の全体像を理解するための最良の書
歴史認識問題、歴史修正主義…、
なぜ「歴史」は炎上し、差別意識を助長するのか?いま世界的な争点になっている歴史問題について、
歴史学だけではなく、社会学や国際政治の視点から、
その背景に何があるのかに迫る。
と、いきなりヘイトをカマしましたけど、やっぱり間違っているし好きになれないんですよね、歴史修正主義者。この本は、そんな彼らを冷静に分析し、反駁する、良書でした。「嫌いだ!」と感情でぶん殴るだけじゃ、それこそ奴らと同じ穴の狢ですからね……。
はじめに
ページ: 7
著者は、二〇世紀の世界史を「植民地主義忘却の世界史」と呼びます。ひとことで言えば、第二次世界大戦後の国際社会が、戦争や植民地主義の加害事実の不正義を過度に追及することをやめ、棚上げにすることで均衡を保ってきた現代史です。
いきなり思想強めの「はじめに」。そりゃそうかもしれない。過度に追及しないほうがいいという「大国の都合」で世界が回っているのも事実でしょうね。
ページ: 12
問題は、修正主義版「物語」に代わる「歴史の全体像」をいかに示すかということに尽きるわけです。
結論が出ちゃった。そうなんですよ。オルタナティブなナラティブが必要。
第一章「歴史」はどう狙われたのか? 倉橋耕平
ページ: 26
日本版「歴史修正主義」として名指しされる人たちの物語=歴史観には、特定のパターンがあります。よく用いられるのは、東京裁判史観の否定、沖縄集団自決強制否定論、南京大虐殺否定、「慰安婦」問題の否認などです。とりわけ、先の「つくる会」の「声明」にもあるように「慰安婦」問題は大きな論争になります。
なるねー。今でもまだ色々言う人達が大勢いる。あったことを否認するのはまさしく歴史修正主義。歴史を修正して何をしようってのかね。
ページ: 32
そして、非専門家が語る歴史は、刺激的かつ煽情的な商業メディアの展開手法を用いて読者を囲い込み、勢力を強めていきました。言い換えれば、歴史は、学会のような場で学者が互いの仕事を評価しあう「文化生産者の評価が重視される歴史」から、書籍や雑誌が売れることを重視する「文化消費者の評価が重視される歴史」へと転換していったと言えます。
歴史の民主化、というかな。歴史というジャンルそのものが衆愚化してしまう恐れが。YouTubeで勉強しました!みたいな人が思っているより多いから、こういうことになるんだよね。
ページ: 33
2007年3月16日、第一次安倍晋三政権は、辻元清美・衆議院議員の質問への答弁書(内閣衆質166第110号)を閣議決定しました。そこには、「(1993年の河野談話の発表までに)政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と記述されています。すなわち、「狭義の強制はなかった」を政府見解としたわけです。これが、政府の「公式見解」で、歴史が〝修正〟され始めた出来事で、2007年は「公式見解の歴史修正主義元年」となったと言ってよいと思います。
アジア・太平洋戦争をどう捉えるか。細川護熙氏曰く「侵略戦争」、自民党右派の「侵略の意図はなかった」、どっちなんでしょうね。流石に「侵略の意図はなかった」は無理筋だと思うけど。ただ、そこから2015年の「戦後70年談話」につながるわけだ。
ページ: 38
自由社の教科書が検定不合格になったとのニュースを耳にして、私は大変驚くとともに、嫌な予感を感じました。学び舎の教科書が検定不合格となる可能性を考えたからです。多額の資金を投入して作られる教科書の検定不合格は教科書出版社にとって死活問題です。不合格となり教科書が出版できなければ経営は成り立ちません。結果、教科書会社の文部科学省への「忖度」がこれまで以上に大きくなることが危惧されます。
不合格のリスクを避けるため、教科書出版社の安倍政権や文部科学省への「忖度」が強まれば、各社の教科書から個性が失われ、政府文科省の意向に沿った画一的な記述になってしまう恐れがあります。(略)これは、歴史修正主義の浸透というよりも、教科書検定にたいする国家権力の強化という点で、さらに深刻で危険な状況であると思います。
権力の恐ろしさよ。思想が強めの権力というのは本当に苦手だ。左右どちらも。
ページ: 40
私たちの社会や文化には、以前から「文化消費者による評価が重視される歴史」に類するものがありました。歴史小説や、歴史を題材とする漫画や映画などです。けれど、それらは歴史を題材にしていますが、歴史を書いたものではありません。
でも、これらを素人に混同するなというのは難しい話で。そもそも歴史と物語の境目は、古代史になればなるほど曖昧でもあります。
ページ: 41
第一に、この現象は、ある種の「ヘゲモニー争い」だと捉えることができます。
ページ: 42
彼らの狙いは、「(史実には)確定していない部分がある」「議論が必要だ」等の指摘を繰り返すことで、歴史的な事実を確定させないことにあると思われます。歴史修正主義者の歴史観にとって不都合な史実を「うやむや」にすることで、歴史についての知識が十分でない者の思考を停止させ、沈黙させることで、自らのイデオロギーに基づく歴史観を大衆にじわりじわり拡げていくことこそが、最大の目的だからです。
事実、歴史修正主義者が、歴史学の通説を否定するような史料を提出したことはありません(提出された議論も反論がなされています)。しかし、繰り返し疑義を提示することで、多くの人々に「本当のところはよく分かっていない」「難しい問題だ」という印象を与える(=思考の停止)ことには成功しています。結果、〈「慰安婦」問題はなんとなくヤバそうだから、触れないでおこう〉(=沈黙)という状態を作り出し、そもそも歴史学で認められていない「慰安婦」問題否認論を徐々に浸透させていこうとしているのです。
ヘゲモニー、つまりは覇権を取れなくとも、覇権を取らせないことには成功しているということね。これは各所にみられるところ。納得感あります。確かに「諸説あるよね」で終わること、往々にしてあります。そうじゃないんだ、諸説あっても歴史学者の間では否定されているんだ、ということを語るには相応の知識が必要ですからね。
思考の停止と沈黙は歴史修正主義者の思う壺、というわけですな。難しい状態だなぁ。
ページ: 48
一般に、このような言説は「愛国心」の発露と考えられますが、歴史修正主義者のそれは、思想史学者の 将 基 面 貴 巳・オタゴ大学教授の言葉を借りれば「ナショナリズム的パトリオティズム」ということになります。それは市民的な祖国の「共通善」を重視する「共和主義的パトリオティズム」とは異なり、ネイション(国民・民族)の独自性や優越性に固執する愛国心です。
いい言葉を聞きました。「ナショナリズム的パトリオティズム」。独自性や優越性に固執する愛国心。まさに現在、日本で起こっている極右運動の中心にある概念だと思います。母国依怙贔屓というか。
それにしても(しょうぎめん)って名字、すごいね。先祖は真剣師だったりするのかな・・・?
ページ: 50
左派右派どちらの立場であれ、イデオロギーが歴史研究の成果を利用してきた側面は否定できませんが、イデオロギーを補完するために、歴史を創作したり改竄したりすることがあってはなりません。
全くその通りなんですが、そういうことをする人たちはこの本読まないだろうなぁ。
ページ: 54
是非は別として、精神世界の特徴は「信じること」にあります。そこでは、人々は自分の信じたい世界を信じ、見たい世界を見ることができます。そこで語られる歴史は、「私が見たい歴史」に過ぎず、社会科学の歴史とはまったく別のものです。このようにして、歴史修正主義は「歴史を超えて」行っています。
カエサル曰く「人間は望むことを喜んで信じる」。まさにそれです。人間だからある程度は仕方ないんだけど、まったくそのままじゃ動物と一緒です。我々には科学があるわけで。
ページ: 55
その論理構造は、信念が事実に先立つという点で、スピリチュアル系や歴史修正主義、ナショナリズム的パトリオティズムのそれと相似です。その親和性によって、商業分野においてこの三者が結びつき、大きな市場を作っています。
なんとも無念な気持ちになるのはあたくしだけかな。阿呆が喜んでそれに飛びついているのをみると、「人間は愚かだ」と思わざるを得ません。
ページ: 56
事実にたいして信念が先立ち、そこから演繹し、それを正当化するために歴史を持ち出す方法で「選別的思考」( 第三章 参照)を行うことが、歴史修正主義や右派・保守思想にはあり、それを実体化するために節合するものは、自己啓発でも、スピリチュアルでも、ネットでも、縄文でもよいという態度を読み取ることができます。
中島岳志さんの新著も縄文だったな。あたくしの専門である縄文をそこに持ち出されるのはとても不快だ。
とはいえ、ちょっと主語でかい気もする。まともな右派の人もいるので、そこは気をつけたい。
第二章 植民地主義忘却の世界史 前川一郎
ページ: 74
激しく弾圧を受けながらも、ケニアは1963年に念願の独立を果たします。初代大統領に就任したのは、同盟を長らく指導してきた穏健派のケニヤッタでした。彼は、イギリスと独立交渉を重ねるなかで、闘争時に「マウマウ」闘士に対してなされた虐殺行為や拷問の責任を追及することを断念しました。「マウマウ」闘士の名誉回復も諦めざるを得ませんでした。第二代大統領のダニエル・アラップ・モイも、ケニヤッタの政策を受け継ぎ、イギリスとの関係維持に腐心しました。
まったく門外漢なので何もいえませんが、そういうことってあるよね。日本だって吉田茂のやったことが手放しで称賛されるわけではないように。限られたソースをどう最適に使うか、が最も逼迫した課題だった時代だったろうしね。
ページ: 75
他方、内戦を経て1980年に成立した南部アフリカのジンバブウェのように、白人が所有する大農場を強制収用し、植民地主義の過去を清算しようとする動きもありました。同国のロバート・ムガベ元大統領(2019年に死去)は、長期にわたって強力な独裁政権を敷き、実力行使に踏み切った人物です。
この本の欠点として、どの章をどの先生が書いたのかが、わりと分かりづらくなっています。あえてそういう作りにしたんだろうけどね。
この章を担当されている前川先生は、非常に植民地主義の精算についてタカ派な意見をお持ちなようだ。おっしゃっていることは正論なんだが、現状世界の否定を含むド正論というのはまた取っ付き難いものでもありまして。少しでも是正が必要、という程度なら取っつきやすいんだけどね。
ページ: 79
植民地支配により被害を被った旧植民地の側から、裁判に訴えて補償や賠償を求めたり、旧宗主国政府による公式な謝罪を要求したり、記念碑の建立や歴史教科書記述の見直しを求めたりといったさまざまなかたちで、「正義の回復」を求める動きが世界各地で起こってきたのです。アカデミアの世界では、「謝罪の時代(The Age of Apology)」とか「賠償の政治(Reparation Politics)」といった言い方をしています。
なかなか既得権側の人も謝らないからねぇ。人間の歩み寄りの難しさを感じます。もちろん謝罪は謝罪だけじゃ済まないだろうからね。
ページ: 82
見落としてはならないのは、そうした冷戦体制が結果的に、かつての植民地主義的な支配の構造を同時に温存させることにもなっていたという点です。冷戦的世界の広がりの裏側で、植民地主義的世界がしたたかに生き延びていく──。ここが、現代史を理解するポイントです。
人間が主義主張で反駁し続ける限り、植民地主義的な支配構造は撤回されないと思いますね。自分の国が謝るのを良しとしない政治家は沢山いるでしょう。世界的に平和の機運が高まった戦後すぐくらいじゃないですかね、素直にそれができるのは。
ページ: 88
基金の設立と被害補償により、ドイツ政府が国家として法的責任を認め、国家賠償を行ったわけではありません。あくまで人道的補償という立場で補償金を拠出しました。
そのあたりが民主主義の限界という気がしますね。どこの国にもタカ派はいて、「何が何でも賠償は嫌だ」という精神で、そして平等に一票を持っていますからね。配慮すりゃ、当然積極的に法的責任は認めないわな。
ページ: 89
要するに、歴代(西)ドイツ政府が取り組んできたナチスの「過去の克服」は、法的責任による国家賠償措置を否定し、道義的責任に依拠して対処するというパターンを繰り返してきたのです。
うーん、著者はその行動が不満なんでしょうかね。落とし所のような気がするんですけど。ただ、確かに「植民地主義を不問にする」行為ではあるんで、そこは後世の人間がどう考えるかですね。
第三章 なぜ”加害”の歴史を問うことは難しいのか 前川一郎
ページ: 139
ご存じの通り、かつて歴史修正主義的な書籍のトーンは、〈植民地支配の謝罪を強いて、戦前の日本を罪人の如く扱う自虐的歴史教育から日本人の誇りを取り戻す〉という類の、いわゆる「自虐史観」批判でした。(中略)ところが最近では、「つくる会」関係者というよりは、著名な学者も参加したうえで、〈国際社会のなかで日本が歩んできた道を見つめ直し、世界で果たしてきた責任や貢献を再評価する〉という、どちらかと言うと目線を世界に向けたトーンで、そしてポジティブに、明治から現代にいたる日本近現代史を学術的に再評価する動きが見られるようになりました。
それは知らなかったなぁ。最近の修正主義者はそんな感じなのか。でも、それはウケるだろうな。
ページ: 139
それは、〈明治以降の日本の近代化と国際化の努力と、その達成を正当に評価せよ。1931年から45年は例外的な失敗である〉という物語の「型」です。
なるほど、そう来ましたか。それも、確かに大衆受けも良さそうだ。ただ、筆者としては、「それじゃ韓国併合や植民地支配の責任を総括しているといえない」という主張じゃないかな。
難しいね。そこまで徹底してフラットに歴史と向き合うのは、大衆心情として難しいんじゃないかな。
ページ: 144
いずれにしても、ここで最後にあらためて確認しておきたいのは、そうして前提とされる欧米中心の国際社会は、前章から見てきたように、戦争責任を厳しく追及する一方で、植民地主義の過去を今日まで総括できずにいるということです。
これは本著を経て一番驚いたことですね。確かにそのとおりです。総括はいつの日になることやら。一生出来ない気もします。
第四章 「自虐史観」批判と対峙する 呉座勇一
ページ: 162
歴史学で言うところの「実証」で歴史的事実を解明することは不可能で、畢竟歴史は物語にすぎない、と言われてしまうと、「じゃあ誰もが歴史を好きなように語っても良いじゃないか」と曲解されかねない。ポストモダンが実証主義を相対化し、右翼がそれに乗じて「物語」を垂れ流したということです。
そこには大きな乖離がある。我々素人も積み上げ精査されてきた実証主義的「歴史」に敬意を払うべき、と思いますね。ナラティブの弊害だなー。
ページ: 169
少し前に話題になった「江戸しぐさ」に対して、歴史学界の反応は非常に鈍いものでした。江戸しぐさとは、芝三光という人物が提唱し、NPO法人江戸しぐさが江戸時代の商人たちのマナーという触れ込みで普及させたもので、「傘かしげ」や「こぶし腰浮かせ」など多数のしぐさが紹介されました。2000年代には小中学校の道徳教材(副読本)などに掲載されるほど有名になりました。ところが江戸時代に実在していたことを示す史料は全く存在せず、歴史学者なら偽史と一目で分かります。にもかかわらず、アカデミズムの歴史学者で正面から江戸しぐさを批判した人はいませんでした。
このあたりは本当に難しいところよ。「江戸しぐさ」のNPO法人は「江戸っ子大虐殺」があったと主張するトンデモ団体ですからね。このあたりも我々の「先祖崇拝」のような儒教心をくすぐるから非常に悪質。「江戸は出来ていた」というのは大概、トンデモですね。
どうでもいいけど、大虐殺界隈、あったりなかったり主張する人が極端で大変だな。
第五章 歴史に「物語」はなぜ必要か 辻田真佐憲
ページ: 187
昔から歴史には、大学など研究機関を拠点とするアカデミズムの書き手と、雑誌など商業媒体を拠点とするジャーナリズムの書き手がいると言われてきましたが、私は明らかに後者に属します。具体的には、半藤一利、保阪正康、澤地久枝などの各氏が挙げられます。ノンフィクション作家と呼ばれたり、昭和史研究者と言われたりするような方々ですね。
こういった人たちは、「物語」の優れた使い手でもありました。だからこそ、広い読者を獲得できたのです。そして今から振り返れば、かれらの活動こそが、より良質な物語を提供することを通じて、歴史修正主義の拡散を抑止していた面があったのではないかと思うのです。
さあ、出ました辻田氏。お目当てではあります。
やはり人間は物語理解を嗜好する生き物ですからね。どうやったって物語が必要になる。歴史を歴史のままに理解するというのは、なかなか難易度の高いもの。それこそ歴史の教科書がつまらないように、歴史の一次資料というのは面白さが分かるまでが難しい。
ページ: 191
なにせ、歴史修正主義者たちの本は、分かりやすく、読みやすいのです。一冊読めばすべて分かったような気になる。しかも、日本がいかに美しく偉大であったかという「快楽」までおまけでついてくる。「実証主義的マッチョイズム」の称揚は、ときに逆効果になりかねないと恐れるゆえんです。
「一次資料を読まなければ歴史好きとは言えない!」みたいなのを実証主義的マッチョイズムというんだろうけど、確かに逆効果だよね。知識欲と快楽までついてくる、そっちの物語のほうが引きは強いに決まってる。
ページ: 192
この商業主義的な部分は、悪く作用すると、ヘイト本を生み出す温床になります。版元が昨今この手の本を続々と出すのは、イデオロギー的に賛同しているからというよりも、たんに「儲かる」からでしょう。いまは出版不況なので、愛国ビジネスが生き残り策になっているという面があるわけです。
情けないねぇ。。。新潮社も最近クルド人のヘイト本を出していたけどね。矜持をみせてほしいところ。逆に「うちはヘイト本出しません!」みたいな宣伝の仕方、ナシなのかな?
ページ: 192
そうではなく、この「いかがわしさ」のなかで、いかにやっていくかを考えるべきなのです。これにたいして、「あの出版社は政権に近いので、絶対にその本を買わない」などと言う人もいます。個人の行動なので好きにすればいいと思う一方で、これを突き詰めると、どんどん出版業が干上がっていくのではないかと危惧します。
社会全体で出版離れをすると、読む人と読まない人の分断が更に加速しそうな気がしますね。ただでさえ、「情報源はYouTube」という人が驚くほど多いのに。
ページ: 195
そこで、物語を「安全装置」として用いること、言い換えれば、より良質な物語を提供することで、劣悪な物語を抑止すること、これが考えられるのではないか、というのが今回の提案です。
まさに辻田氏はそれを体現している、という認識。半藤一利氏らの系譜といっていいんじゃないかな。
ページ: 195
とはいえ、よく観察しなければなりません。そこでもてはやされているのは、本当に実証主義的な地道な方法論だけなのでしょうか。ネットを見ていると、むしろ「実証が物語を征伐したぞ」という 物語 が、面白く、痛快で受けているだけのようにも見受けられます。
換言すれば、「実証 vs. 物語」は架空の対立軸で、むしろ実際には、物語と「 物語否定の物語」 というメタ物語 が対立しているのではないでしょうか。
これは非常に重要な指摘。結局、実証というのはそれほど影響力を持たずにここまで来ている。確かに「今は1192作ろうではなくて1185作ろう鎌倉幕府なんだぜ」というトリビアは流行れど、理由(守護・地頭を設置する権限をもって鎌倉幕府成立とみなす)はそれほど流行らない。
あくまで物語vs物語の勝負になるというのは留意点ですね。
ページ: 201
その点、自戒を込めて言うのですが、「戦前」という言葉は要注意です。あれも戦前、これも戦前と一緒だ──という指摘は、あまりに単純すぎます
「昭和」や「平成」にも同じことを感じますねー。
ページ: 209
座談会には、その対立や不信を氷解し、信頼関係を醸成する機能があったように思います。お互いをまったく知らない人たちが集まって、とりあえず話をしてみることで、違った立場や意見の人同士であっても、共通点が見つかったり、認め合えるところが見つかったりといった作用が起こりえます。雑誌が減少し、座談会文化が衰弱してしまったことにより、知識人と呼ばれる人びとの間に、相互の信頼関係が失われてしまったのではないかと思います。
これは面白い指摘。雑誌が衰退し、「座談会文化」がなくなったことで対話の機会を失った、というのは再現性のある物語じゃないかな。「実は◯◯がチャンネルとして機能していた」というのは歴史でもよくある話で。
第六章 【座談会】「日本人」のための「歴史」をどう学び、教えるか
ページ: 229
日本の歴史教育では、日本は満州事変を契機に国際社会から孤立し、間違った道を進み始めたと教えていますが、反対に言うと、それ以前の日本の近代化の歩みは概ね肯定的に語られています。けれど、植民地主義を批判する、植民地主義を清算するという立場から見れば、例えば、ワシントン体制に代表される1920年代の国際協調も、帝国主義国家同士の談合に過ぎないという話になってしまいます。
明治政府~戦前の外交戦略とどう向き合うか、というのは非常に重要な指摘。「日中戦争以降が間違っていた」と安直に捉える、いわば結果論に飲まれるのは危険ですね。負けたから間違っていた、というのでは「勝てば官軍」というのと同じですからね。