やっぱり村での殺人事件はどことなく横溝正史臭を感じてしまう。これは習性とでもいうべきものだが、この習性を持っている人が結構多いらしい。

“うわさ”が5人を殺したのか?

この村では誰もが、誰かの秘密を知っている。
2013年7月、わずか12人が暮らす山口県の限界集落で、一晩のうちに5人が殺害され、2軒の家が燃やされる事件が発生した。凶行に及んだ男が家のガラス窓に残した貼り紙に書かれてあった「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」。メディアはこぞって「犯行予告」と騒いだが、真相は違った……。
気鋭のノンフィクションライターが、拡散された「うわさ話」を一歩ずつ、ひとつずつ地道に足でつぶし、閉ざされた村を行く。発表のあてもないまま書いた原稿を「note」に投稿したところ思わぬ反響を呼び、書籍化。事件ノンフィクションとしては異色のベストセラーとなり、藤原ヒロシ、武田砂鉄、能町みね子ら各界の著名人からも絶賛の声が上がった。
事件から10年という節目に、新章となる「村のその後」を書き下ろし加筆して文庫化する。

「隣のバカは火事より怖い」というけれど、本当に火事になっちゃうんだから困るしかない。

犯人は統合失調症だったのでしょう。でも、いつから?そんな疑問が最後まで解決しない。当たり前だけど。ノンフィクションだからね。

発生

位置: 64

 だが翌日の昼前、その聡子さんも、遺体で発見された。遠方に住む娘が自宅を訪ね、二階に血まみれで倒れている聡子さんを見つけたのだった。
 昨夜から連絡がつかなかった石村さんも、その数分後、自宅を訪れた県警に遺体で発見された。すぐに、村の入り口に黄色いテープの規制線が張られた。現場検証が始まる。 「二軒の火災による3人の死亡」が、「5人の連続殺人と放火」に姿を変えた瞬間だった。

ゾクゾクする展開。すわ!連続殺人!

位置: 83

「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」

 山口県周南市金峰(みたけ)で 21 日夜、全焼した民家2軒から3人の遺体が見つかり、翌 22 日に別の民家2軒から新たに2人の遺体が見つかった事件で、火災現場で見つかった3人はいずれも頭部に外傷があり、ほぼ出火と同じ時刻ごろまでに死亡していたことが、司法解剖の結果わかった。県警は、3人が殺された後、放火されたとみている。
 県警は 22 日、5人が殺害された連続殺人・放火事件と断定し、周南署に捜査本部を設けた。県警は同じ集落に住む男( 63)が何らかの事情を知っているとみて、自宅を殺人と非現住建造物等放火の疑いで捜索した。男は行方が分からなくなっている。(中略)
 全焼した山本さん方の隣の民家には「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」と、放火をほのめかすような貼り紙があった。(朝日新聞 2013年7月 23 日)

怖すぎな展開。火事・殺人はすべて計画だったのか。これは八ツ墓村の匂いがプンプンとします。そりゃ、新聞も群がるわな。

夜這い

位置: 163

 この事件についてはそのような認識を持っていたが、依頼された取材の目的は少し違っていた。編集者は、金峰地区における〝夜這い風習〟について取材をしてきてほしいと頼んできたのだ。

古い村・連続殺人・夜這い というキーワードとなると、いよいよ津山三十人殺しだよね。おもしろがってそういう依頼をしたがる人の気持ちはよーく分かる。痛いほど分かる。面白がりすぎだけど。

位置: 438

 保見と同じように、閉ざされた集落に住むひとりの人間が突如として近隣の者たちを皆殺しにする事件を、私は他にも知っていた。1938年に岡山県津山市の貝尾部落で起きた「津山三十人殺し」である。実際、山口連続殺人事件を〝平成の津山事件〟と報じたマスメディアもあった。
 田舎の集落で、周囲に馴染めないひとりの男が突如として村人たちを殺害してまわる……たしかにふたつの事件は似ている。津山事件の犯人は、当時 21 歳だった 都井睦雄。 匕首 と日本刀、九連発ブローニング猟銃を携え、自宅で祖母の首を 刎 ねたのを皮切りに、わずか一時間半の間に 30 人を殺害し、近くの山で猟銃自殺した。山中へ逃げた保見光成は自殺まではしなかったが、このふたりが、自らも暮らす集落の人々に対して、強い嫌悪感を抱いていたことは共通している。

このあたりまで読むと、あたくしのテンションはマックスですね。もう「間違いない!平成の津山事件だ!」と無責任な盛り上がりを一人でしてニヤニヤ。読者というのは本当に勝手なものです。

疑惑は静かに潜む

位置: 902

「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」
 この貼り紙は当初、ワタルによる事件の犯行予告と思われていたが、そうではなかった。事件の数年前に、河村さんの家の風呂場でボヤ騒ぎがあり、その直後に貼られたのだ。そして、その犯人は「ワタルじゃない」。確信をもって皆が言うのである。

「だったらいいのに!」という誠に失礼で無作法な願望を見事に現実は打ち砕く。一瞬でもそう思った自分を恥じる。しかし、現実はもっと後味の悪く、筋書きのないものだったんだな。

古老の巻

位置: 2,173

根も葉もない、何の根拠もなしに、皆その、誰かがひとりを叩き上げて悪者にしてしもうた、ちゅうことじゃ。うちは全く身に覚えのないことで、親父もわしも、村八分にあったちゅうことやね。
 ここの地域の特性じゃな、これは。
 特性ちゅうのは……貧乏人の揃い、ちゅうたら大変失礼じゃけど、ここは、そんなに裕福な人が少なかったために、自分中心にしかものが考えられんかったちゅうことじゃな。

松本清張先生なら社会派ドラマにするところだろうけど、現実はそこまで悲痛一辺倒でもなく。ただよくある村八分で、ただ泣き寝入りするしかなかった。そういうことが平然と行われていた村だった。事件との因果関係は不明。スッキリはしないけど、そういうことなんだろうな。現実だなー。

判決

位置: 2,973

よく統合失調症で用いられる用語でそれを『屈曲点』というんですが、ある時点からガクッと社会生活レベルが下がるポイントがあるんですね。たとえば、有名高校、有名大学と順調に進学し、ちゃんと就職した人が、突然働けなくなり、以後ニートをしていたりとか。もうその時点で怪しいと思うわけです」

心当たりがある。確かにそういう転換点のようなものが、あるひとにはある。急にメンタル崩す人とか、もしかしたらそういう屈曲点に当たっているのかもしれない。

位置: 3,030

ワタルに殺害された被害者らの遺体には頭蓋骨の骨折があり、なかには口に棒のようなものを突っ込まれた形跡もあった。聡子さんは、歯が折れていた。村で囁かれている自分のうわさを止めたい、黙らせてやろう、黙らせるしかない。そんな気持ちから起こした事件だったように、私には思える。

うーん、想像はしちゃうよね。ただ、相手はいかんせん統合を明らかに失調している方なので、理屈だけで解明するのは無理筋のような気もするけどね。

位置: 3,264

「今日の判決も、被告人としての判決。遺族に対しての思いは彼にどこまで伝わっているのかなと思いますし、どこかの社が広島拘置所で被告人にインタビューしていましたが、全く反省の色もない。反省もせず死刑になっても何の意味もない。ちゃんと反省してご家族の思いを知ってから死刑になるのならわかるが、悔しいだけだなと思いますし、判決は聞けましたが、残された遺族にとっては今からがスタートです」
 そう、ワタルはこのままでは事件を反省することはないのだ。本当によいのだろうか。

良いわきゃないけど、仕方がない。落とし所だろう。他に妙案があるなら教えてほしい、てなもんです。難しいね、人が人を裁くのは。それにしても妄想性障害というのは人間の扱える領分を超えた病ですね。価値基準を別に作らなきゃならないから厄介であることこの上ない。

単行本あとがき

位置: 3,298

 いま、普通の〝事件ノンフィクション〟には、一種の定型が出来上がってしまったように感じている。犯人の生い立ちにはじまり、事件を起こすに至った経緯、周辺人物や、被害者遺族、そして犯人への取材を経て、著者が自分なりに、犯人の置かれた状況や事件の動機を結論づける。そのうえで、事件が内包している社会問題を提示する。これが昨今のスタンダードだ。介護殺人や少年犯罪をテーマにした書籍など、世に出回っている事件ノンフィクションを数冊読んでもらえれば、だいたいがこのスタイルであることに気付くだろう。
 いつの頃からか、出版業界は、このスタイルにはまっていない事件ノンフィクションの書籍化には難色を示すようになってしまった。ノンフィクションは新書と同様、読み手に何らかの〝学び〟や〝気づき〟を与えるものでなければならないというのである。

あたくしもその傾向に加担してきな自負はあります。松本清張の影響下に未だにあるのかな。社会問題を根底に置かないと物足りない、カタルシスを感じない、そういう風潮があるのかもしれません。

確かにあたくしも「因果応報」的な話が好きで、その型でないとモヤモヤすることが多々あります。悪人を「悪人」のまま味わえないといってもいい。絶対悪などない、という価値観に染まっているのかも。

位置: 3,309

「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」。  始まりは、ワタルの家の窓の貼り紙からだった。事件当時、この不気味な川柳は犯人の犯行声明だと騒がれた。わずか 12 人が暮らす村で5人もの人々が殺害された事件は、一般のメディアだけでなく、ネットユーザーにも火をつけたのである。
 そうこうするうちに「村八分」のうわさが〝祭り〟を呼んだ。

(中略)

強い関心を持たずに事件の報道を耳にしていた「事件と無関係の者」たちは、いまも、そう信じていることだろう。これは「Uターンしてきた村人が、他の村人たちに村八分にされた挙句、恨みを抱いて犯行声明を掲げたのちに起こした事件」なのだと……。第一報が世間に与えるインパクトは強力で、そのイメージはなかなか払拭しづらいものだ。

いかに事件にレッテルを貼って、型にはめて、情報化して、処理するか。そういう「作業」をあたくしも行ってしまっていたという自覚はあります。ただ、それもある程度は処世術ではあるでしょう。そうしないと情報の波を処理しきれない、情報の波をそんなに処理する必要はないのかもしれないけど、それはまた別の問題かと思います。

[文庫版に寄せて]宇宙基地から左へ回る

位置: 3,402

 書籍で私は村八分説を否定したものの、いまもYouTubeには「村の嫌われ者が復讐」「限界集落の闇」など派手なタイトルが付けられた動画がアップされており〝村八分の男による復讐〟説は消えることがない。

うーん、難しいのは、村八分の要素がなかったかというと嘘だと思うんですよね。ワタルのような統合を失調していそうな人が訳わからんことしていたら、距離をおく人がいたっておかしくない。それを村八分の要素がないかというと、あたくしは違うと思うんだよな。

型にはまっていない事件ノンフィクション、もやもやしながらも面白い。結局Why-done-itは解決せず。

投稿者 写楽斎ジョニー

都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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