これはよいあとがき
私立探偵フィリップ・マーロウは化粧品会社の経営者ドレイス・キングズリーのオフィスに呼ばれた。彼の妻はどうやら男と駆け落ちしたようだ。マーロウは妻の安否確認を依頼され、その足取りを追うことに。だが、たどり着いた湖の町でマーロウが見つけたのは、別の女の死体だった――。旧題『湖中の女』の新訳版
久々にマーロウでも、と思ったけど、微妙でしたね。
雰囲気はハードボイルドだけど、内容は……あまりピンとこない。風景描写とかもあまり頭に入ってこず。好きな人はどういう想像をしているのかな。
水死体、と読んだ時点で何となく「でも本人じゃないんでしょう?」という気持ちになりました。悪い客だ。
それにしてもあとがきが秀逸。あたくしが微妙だと思った理由がバッチリ書かれていました。村上春樹、やるな。
位置: 1,430
「あんたのもうひとつの考えについて言えば、それはただ馬鹿げているとしか言えんね。自殺をしておいて、誰かに殺されたように見せかけるなんて、わたしの考える人間の素朴な本性とはまるで相容れないものだ」
「じゃあ、あなたの考える人間の本性は、いささか素朴すぎるということになるかもしれない」と私は言った。「なぜならそういうことは現実に起こっているし、その手の仕掛けをするのは、だいたいいつも女性なのだ」
「あり得ない」と彼は言った。
偏見強め同士の言い合い。ちょっとコメディだよね。ただ、おじさん同士はよくあるんだ。おじさんってやつは(これも偏見)
位置: 1,588
ミルドレッド・ハヴィランドはつまりミュリエル・チェスだったわけだ。
そしてミュリエル・チェスはクリスタルと入れ替わってあっちゃこっちゃするんだけど、これがねー。分かりづらい。村上春樹訳、誰が誰のことを言っているのか、いまいち分からない時がある。そしてミュリエルとクリスタルの差がいまいちピンとこない。この作品の最大の難点かもしれません。
結局、チェスとクリスタルの造形が違わなくて、入れ替えトリックが「だから何?」になるんだよね。
位置: 2,210
彼の苦悩はいささか芝居がかって見えたが、真の苦悩というのはしばしば芝居がかって見えるものだ。
春樹だなー。春樹構文と言ってもいい。
位置: 2,756
少しばかり話が単純すぎるのではないかという気がした。
探偵の直感、大体あたる。もはや神託。
位置: 2,843
「アルモアは今まで、また今も疑いの余地なく、 麻薬医者 だった。娘は我々に向かってはっきりそう口にした。彼の聞いているところでな。彼はそれが気に入らなかった」
(中略)
「扱っている患者の大半が、飲酒や放蕩によって神経崩壊の瀬戸際に置かれている人々だということだよ。そういう連中は常に鎮静剤なり麻薬なりを服用していなければならない。そして倫理観を持つ医師であれば、これ以上の治療はできない、 療養施設 に入ってもらうしかないという段階にやがて達する。しかしアルモアのようなタイプの医師たちもいる。そういう医師たちは、支払いが続く限り、患者がまだ生きていてある程度の正気を保っている限り、面倒を看続ける。たとえ相手が治療の途中で、後戻りできない中毒患者になってしまったとしてもだ。金にはなるが」と彼はしかつめらしい声で言った。「医師にとっても危険を伴う医療行為であるはずだ」
倫理的にどうなの医者、ってことだよね。まぁある話。
このグレイソン夫妻の下り、冗長なんだよね。ただ文字が滑っていく。
位置: 3,694
「君はとても上手にそのキャラクターを演じている」と私は言った。「ハードで苦々しいものを込めた、混乱した無垢さみたいなものをね。みんなは君についてずいぶん思い違いをしてきた。君のことを無軌道な、脳味噌と自制心の足りない、可愛い浮かれ女だと見なしてきた。でもそれはとんでもない思い違いだった」
位置: 3,700
「君はまたフォールブルックの役をもじつに巧妙に演じていた」と私は言った。「あとから振り返ってみると、いささか演技過剰の感もあった。でもそのときはまんまと騙されたよ。あの紫色の帽子は金髪には合っていただろうが、ばらけた茶色の髪にはまるで似合わない。そしてまるで暗闇の中で、手首を挫いた人が施したようにしか見えない出鱈目な化粧。調子っぱずれなそわそわした態度。どれもまことに見事だった。そして私の手に拳銃をあのように押しつけたとき──まさに度肝を抜かれたよ」
彼女はくすくす笑った。
真犯人への鬼気迫る謎解き。ここはとてもスリリング。とても推理小説の探偵然とした振る舞い。本著で最もいい場面の一つ。
ミュリエル・チェスの徹底したヒールっぷり、好きだなぁ。
位置: 4,475
「そうかい?」とデガルモは言って、首をさっと彼の方に曲げた。「スカーフはどうなんだい、太っちょ? それは証拠とは呼べないのか?」
「確たる証拠と言えるものじゃない。私の耳にした限りにおいてはな」とパットンはのんびりと言った。「それにわたしは太ってはおらんよ。ただ怠りなく肉に包まれているだけだ」
あたくしも使ってみようかな、「ただ怠りなく肉に包まれているだけ」ってね。怠りなく、ってのがいいじゃない。春樹のオリジナルかしらね。
位置: 4,518
ずいぶん長い時間が流れたような気がした。それからデガルモは静かに言った。「それはどういうことだ? おれはキングズリーの女房のことなんぞ、何ひとつ知らんぜ。おれの知るかぎり、一度たりともその女を目にしたことはない。昨日の夜まではな」
彼は瞼を少し下げ、何かを考え込むような目で私を見ていた。私がこれから何を言おうとしているのか、彼にははっきりとわかっていた。いずれにせよ、私はそれを口にした。
「そして昨夜だって君は彼女を目にはしなかった。なぜなら彼女は一カ月も前に既に死んでいたからだ。リトル・フォーン湖で溺死したんだよ。君がグラナダ・アパートメントで発見したのは、実はミルドレッド・ハヴィランドだった。ミセス・キングズリーはレイヴァリーが殺害されるずっと前に死んでいた。そしてミルドレッド・ハヴィランドはミュリエル・チェスだった。ミセス・キングズリーはレイヴァリーが射殺されるずっと前に死んでいたのだから、レイヴァリーを撃ったのは彼女ではないということになる」
ぐっとミュリエル・チェスへの解像度があがる瞬間。「赤毛のレドメイン家」とか「その女アレックス」みたいな、対象の印象がコロコロと万華鏡のように移ろう作品、あたくしは好物です。これがきっとチャンドラーが一番言いたかったシーンなんじゃないかな。
訳者あとがき「これが最後の一冊」
位置: 4,847
そのふたつの話をひとつに結びつけたわけだが、その結びつけ方にはいささか無理がある。まるでスタイルの違う家を二軒、むりやりくっつけたみたいなところがある。流れの異なるプロットを合流させるために、作者は「偶然」の力に頼り過ぎていると感じさせられる箇所が、ところどころにある。
だよね。あたくしもそう思ったよ、春樹。あたくしだけじゃなくて安心した。なんかハナシがチグハグだよね。
