「未来では、死ぬ前日に誰かから丸く見られる」という不思議な前提の話です。
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「丸く」というのは喩えではなく、身体が球体になっているように見えるんだとか。何故だか特定の人に。
ただ、それだけが唯一絶対の前提の話です。
つまり、「もしあなたが明日死ぬことがわかった人とすれ違ったら?」という大喜利。
これが、まぁ、何ともほのぼのしていて良い。
終末の迎え方
この漫画にはいい話しかないのですが、そこが幸せです。
いくらでも不幸に描ける根多ではありますが、そこはそれ。
この絵でそれは似合いません。
幸せな終末ばかりの漫画が読みたい時だってあるんです。
自分はどういう終末を理想とするのか。否応でも考えざるを得ません。
まだ、死んでも死にきれませんけどね。
いかにして大切な人の死を受け入れるか
むしろ、いかにして遺族になるかという問題もあります。
昨年、祖母が無くなったんですが、あたくしの家のまわりではこれが初めてと言ってもいいくらいの身内の葬式でした。
これが別居している祖母だったから、ある程度気持ちの受け入れが出来ましたが、これがもし、同居していた祖母だったら。そして、いつか来るであろう親の死に目だったら。
いろいろ考えておかねばならぬことばかりです。
どうやって死を受け入れるか。難しい問題ですけれども。
グッデイよんで、考えてみたいと思います。