ここまで嫌いか。

問題作復活! 落語界を揺るがした大事件。

師匠に翻弄される弟子たちの悲哀と混乱、そして敬愛と憎悪のすべて。

「もう決めた、あたしゃ、伝家の宝刀を抜く!」
昭和53年、名人・三遊亭円生は、柳家小さん率いる落語協会の真打ち量産体制に異を唱え、一門を率いて協会を脱会した。
この騒動に落語界は大揺れし、円生の弟子たちは翻弄された。
当時、自身が見た真実をどうしても書かずにおられないと、弟子の一人で騒動の最大の被害者でもある円丈が書き上げたのが、本書である。
見たまま、感じたままを、忖度なく実名で書き綴った赤裸々な本書は、刊行当初、世間を騒がせ、関係者を困惑させ、あるいは激怒させた。
その問題作を、30年あまりの時を経て復刊した。

この間、立川談志、古今亭志ん朝、先代三遊亭円楽ら、登場人物の多くが鬼籍に入った。一方、本書の文芸としての価値が見直された。

文庫化にあたって、後日譚を書き加え、さらに三遊亭円楽・小遊三両師をまじえ、騒動のその後を語った「三遊鼎談」を収録した。

ご多分に漏れず、あたくしも落語=笑点から育ったものです。
ある程度はやく落語にふれることができ、笑点は落語家であって落語でないことに気づけましたが、今でも落語=笑点だと思っている人、多いでしょう。
また、圓楽をまるっきり人のいい司会者だと思っている人も。

真実は人の数だけありますが、ここまで嫌われるならそれなりに理由がありそうなもの。なかなか、一筋縄じゃいかない。

位置: 323
それに俺と円楽とは、水と油、絶対に 相容れなかった。彼は、野心家で激情しやすく信念の人で、どんな場合も自分が絶対正しいと信じるコトの出来る人間だ。十年間彼を見て来た結果、彼の性格を一口で言えば心理学的には、新興宗教の教祖にありがちなヒステリー性性格のようだ。  それに彼の意見は、二年周期でコロコロ変わる。まだ前座の頃、末広の楽屋に丁度人気が出て来た 立川談志 が、高座から降りて来て前座に急がせて着物をたたませ、 「ア~、忙しい忙しい。もう忙しくってしゃねェや~ァ」とあたふたと出て行った。その時はまだ売れてなかった円楽は、帰り際に俺に、 「ぬうちゃん。あの談志みたいに古典とマスコミ両方やろうったって無理なんだ。 二兎 を追う者一兎をも得ずだ。見ててごらん、奴は必ずダメになる」とキッパリ言い切った。そして一、二年後に今度は円楽が売れ出し、三年ぐらいたってお歳暮に行った時彼は、 「ぬうちゃんね。芸人で売れない奴はダメなんだ。売れないコトは悪なんだ。ウン、テレビにどんどん出なきゃダメだ。それに落語の方もチャンとケイコしてりゃ大丈夫なんだ! 現にあたしは、そうしてる!」と百八十度意見が逆になってしまい、一体、この人、どーゆー性格してるんだろうと頭を抱えてしまったコトがある。

もうこのエピソードだけで、「圓楽憎し」が滲み出てます。すごいよ、ホント。
嫉妬もあったのかしら。人間の感情で最も厄介なのは嫉妬だ、というのがあたくしの大切にしている信条でありまして、これを克服できたのは仏陀しかいないということ。

位置: 393
それに一門で彼程、逸話の多い男はいない。前座の頃、円生宅で留守番の時、横になったついでにテレビも横にして見ていたとか、円生の机の上にフンドシを置いたとか。  一度は酔っ払って玄関にウンコをした。次の日夫人から、 「お前だろ、玄関にウンコしたのは」 「イエ、きっと犬がしたんですヨ!」 「バカッ、犬が紙で拭くか」と怒られた。

これなんかそのままマクラになりそう。

位置: 480
師匠が自分の弟子の為に残るなんて、ホントにありがたいコトなのだ。もうありがたすぎて大迷惑! 何が 演 りにくいって師匠に横で聞かれる程演りにくいものはない! 第一、弟子が高座でやってる時、楽屋のソデから弟子の芸を見るトキの円生の目は、良い所を見つけて誉めてやろうという目じゃない。少しでもアラを探して難クセをつけようという目だ。大抵、高座から降りてくると、 「何だ、お前のアレは、バカセコだね」と小言だ。確かに勉強にはなるが、健康には良くない。

圓生ならやりかねない、ニヤリ。とするところ。いいよね。寄席の雰囲気がもれ伝わってくる。読んでいて、楽しい。

位置: 1,041
「ぬうちゃん! そういうのは敗北主義というんだ!」  全く耳慣れない言葉だ。敗北主義、ことによると今、彼が考えついたのかも知れない。 「いいかい! 何かやる時に負けるコトを前提にやるなんてバカげてる。勝つことだけを考えて、それに全力を尽くせばいいんだ。ところがインテリって奴は、いつも〝負けたらどうしよう〟と考えてしまう。それは敗北主義なんだ。そんなコトでは、勝てるモノも勝てなくなってしまう。それはインテリの弱さなんだ。ぬうちゃん、そんなことじゃ何をやったって成功なんてしない!」と言い返して来た。

とにかく圓楽憎し。それだけのことをされてきた、ということなんでしょうが、それにしても凄い執念。

位置: 1,186
二人の話は止まるところを知らなかった。その間円窓は、二人の顔を交互に見ながら頷く専門の頷き役!  俺は昔の円窓を想い出してた。昔はこうじゃなかった。彼は、師の家でも兄弟弟子と話もせずに黙々とケイコをしていた。周りの雑音には一切耳を貸さず、全くのマイペース、彼の目はいつも遠くを見つめていた。そんな男らしい円窓が好きだった。  それが、真打になり、円楽の星企画へ入った頃から少しずつ変わって来たが、俺は、円窓に昔のイメージを抱き続けた。だが今ここにいるのは、新協会の幹部というエサを見せられてスッカリ飼い 馴らされ、頷くだけの円窓だ。

位置: 1,219
三人の顔は一様に満足げで、一様にニコやかな顔つきをしていた。だが円生は、理想の協会を! 円楽は、〝もうすぐ俺の天下に!〟、円窓は、〝とにかく幹部!〟と全く同床異夢だった。

兄弟子・円窓にも容赦ない。とにかく圓生の気持ちを理解しているのはオレだ!という信念。すごい。

位置: 1,259
人間、何かの決断を迫られた時、最後に基準になるのは、案外好きか、嫌いかという単純なトコロへ落ち着きそうだ。  現に俺が落語協会に戻りたい最大の理由は、円楽とはいたくない! これだけだ。

単純明快。長く社会人やってると、この原理で動いているにもかかわらずそう見せない仕組みが多すぎて辟易します。嫌いなものを嫌いと言わないのが大人、みたいな風潮、ありますからね。

位置: 1,250
今回、新協会成立のキャスティングボートを握っているのが三平、馬生の二人だと思う。この二人がとれれば新協会の完勝だ。だが三平は既に残留を決意してる。  何故、三平は残留したのか。その理由の一つは彼自身の危険な方には近寄るなという生き方が影響していたが、もう一つ忘れてならないのは円生が三平を全く評価していなかったことだ。円生は、 「三平の芸は草花だ。どんなにきれいに見えても一年たてば枯れてしまう。そこへいくと古典は松の木だ。見てくれは悪いが決して枯れることはない」とよく言っていた。

位置: 1,347
「そうですか~ァ? でも僕は、小さんの弟子だから言う訳じゃありませんけど、ウチの師匠は本当に心が広いんですヨ。  だって普通なら、自分の協会員がどんどん引っこ抜かれてたら〝一度、新協会加入者は以後、如何なる場合も落語協会は受け入れない〟なんて通告を出すとか、いろいろと協会員を締めつけにかかるモノですが、師匠は何もしない。ただ馬生師匠を副会長にさせただけなんです。  あとは全て受けて立つ。横綱相撲ですヨ。こりゃ、本当に偉いと思いますねェ」

また、本著を読んで改めてわかるのは、圓生・小さんの器のデカさ。無私、と言いますか、とにかく人間の大きさが違う。縄張り争いでうごく有象無象とは違うのだ!という圓丈師匠の尊敬の念・信念を感じます。

芸を生でみることは出来なかったけど、すごいもんだ。見てみたかったな。

位置: 1,481
もし権力欲があれば、円生は小さんに会長を譲る訳はないし、また、小さんも円生に会長を譲ってもいいから戻って欲しいなどと言うはずはなかった。しかし、正確には、かなり違いがあった。  円生は、キッチリと筋を通し、曲がったことの嫌いな人だったが、それ故にやや包容力に欠ける面があり、ある人からは偏屈に思われていた。  一方、小さんは、包容力に満ちあふれた人で、まるで広大無辺の 菩薩 のようなやさしさを持っていたが、それ故に何かの決断をする時にこのやさしさが 足枷 となって決断力を鈍らせ、人によっては優柔不断に見えたのだ。  ちょうど 漱石 の〝知に働けば角が立つ、情に 棹させば流される〟の文句のように、知に働いて角が立ったのが円生で、情に流されたのが小さん。とかくこの世は住みにくい!

この世のどれだけの人が、「会長を譲ってもいいから戻って欲しい」なんて言います?談志師匠の協会脱退のときもそうですが、ほんとに小さんはデカい。権力欲とかをまるで感じさせない。そのあたりも芸の雰囲気によく出てる。とにかく小さんの話は、素朴で鷹揚で、昔話みたい。落語は人格が出ますからね。

位置: 1,520
俺が、円楽と話していた時によく出る名前が志ん生だった。彼は志ん生を尊敬してるようだったが、それは志ん生の芸に対してではない。彼はある日、俺にこんな話をした。 「ぬうちゃん、俺は志ん生って人が好きなんだ。昔協会でマッタ 俱楽 部 って将棋のクラブをつくって毎月一回、将棋大会が行なわれていたんだヨ。ある時みんなで将棋を指してるトコロへ新聞記者が来た。そうしたらその時突然、志ん生師匠が〝マッタ!〟をした。  相手は二ツ目だから、〝ハイッ〟と元に戻したんだ。そうしたら、 〝アッ、これも待った!〟 〝ハイ〟 〝これも待った〟  とやってる内に、最後は戦う前の最初の駒の配置になっちゃった。それを見てた新聞記者は、次の日の新聞に〝志ん生は、将棋を指しても芸になり〟と書いたんだヨ。  だって俺は、そん時見てたんだぜ。それまではみんなと同じように黙って指してたんだヨ。ところが記者が来たとたんにガラッと変わってマッタを始めた。  俺は、これだなと思った。志ん生師匠は、自分を記者にどう見せるかを計算した。記者が噺家の将棋を取材に来るのは、 真面目 に指してるトコじゃない。何か面白いとこがあるんじゃないかと思って来てるんだヨ。  その時志ん生って人は、この記者は自分達に何を求めているのか、志ん生というイメージを損なわないようにする為には何をしたらいいのかを、自分で感じとってマッタをしたんだヨ。偉い人だねェ」

そして誰もが好きな志ん生師匠。この人のことを悪く書く人はいないね。フラがあって、酒が好きで、意外と計算高くて。落語家の鏡なんでしょうな。一つの到達点。圓生や8代目文楽も一方の極みでしょうが、やっぱり人気があるのは志ん生師匠。誰からも愛される。

位置: 1,581
円生「今度また、十人真打をつくるてェから反対したんです。名前を出しちゃ悪いが、正蔵さんトコロの 照蔵 という男、これなんか、もう噺がバカセコだが、師匠の世話をするから真打にする。そんなことは、世間が納得する訳がない」

筋はね、通ってるんですよ。間違いない。が、理屈で正しいものが通ると思ったら、そんなに世の中は単純じゃない。理屈の中に真理があるとは限らない。

位置: 1,804
「円丈、どうなんだ。あたしは、お前みたいな恩知らずを初めて見た。今までウチの弟子でそんな奴は一人だっていないんだ。それでも行くのかッ!」 「そうだヨ。お前にだって随分、着物をやったろ。そんなことは世間で通らないヨ! 何の為に面倒見たんだい! それでも行こうなんてとんでもない話だヨ!」  俺はこの心の拷問に耐え切れなくなって来た。俺の心は、もうズタズタになっていた。俺は、訳もなく悲しかった。涙が出そうになるのを必死にこらえていた。きっと師弟のこんな姿が、限りなく悲しかったのだろう。

これは悲しい。好いて惚れて入門して、耐えに耐えて憧れた師匠から、こんなこと言われたら。みみっちいし了見は狭いし、悲しすぎる。

位置: 2,451
「それで葬儀の日取りは?」 「ハイ、明日四日がお通夜、六日が密葬で、葬儀委員長は私がやります!」  俺は、この言葉には 啞然 とした。何と誰にも相談もせず、自分勝手に日程と葬儀委員長をその場で決めてしまい、それをまた、誰の了解もとらずにマスコミに知らせてる!  円楽って男は、全く不可解だ。三遊協会が成立以後、一番助けの欲しかった頃、師匠を見捨てておきながら、イザ死んでマスコミの注目がこっちへ向くと突然、シャシャリ出て来て、〝ハイ、葬儀委員長は私です!〟と言う。きっと宇宙の中心は自分だとでも思っているんだろう。

それにつけても圓楽憎い。すごいね。この本読んだ笑点ファンは腰抜かすんじゃないかしら。それだけ笑点という番組が愛され、圓楽が愛された証左ですが。もしかしたら、いや、もしかしなくても、あれは演出に過ぎなかったのでは……と思いますな。本当に肚が黒いのは師匠の方だった。ってか。

位置: 2,791
しかし、それより強く何よりも増して俺は二百五十年続いた三遊亭の噺家だということに強い誇りを持っていた。俺は、柳家ではない、古今亭でも桂でも林家でもない、落語界を二百五十年、柳家と勢力を二分して来た三遊亭なのだ。三遊でも枝葉ではない三遊本流の円生の流れをくむ噺家だ。たとえ三遊亭にタマタマ入門しようが、俺が新作を志し、高座を這いずり廻ろうが、十三年間叩き込まれた芸は、たとえどんな形にしろ、俺の血となって全身を駆けめぐっているのだ。こんな感じは多分理解出来ないだろう。出来なくても俺は三遊の芸人だ! 俺は、プライドの高い三遊ナショナリストだ。  極論すれは三遊国粋主義者だ。三遊派は落語が存在し続ける限り、永遠に一方の雄として繁栄を続けねばならない、という固い信念を持っていた。

位置: 2,812
三遊国粋主義者の俺から見れば、円生も円楽も円窓もみんな大バカヤローだ!  第一、円楽など所詮、先代円歌に弟子入りを断られ、円生の所に来た枝葉の奴だし、円窓は、先代 柳 枝 に死なれてやって来た預かり弟子だ。俺は違う。先代柳家つばめを知人から紹介され、その弟子入りを断って円生に入門した、三遊本流で純粋培養された子飼いの弟子なのだ。  お前らなどに、三遊本流を潰された俺の悔しさがわかってたまるか。

位置: 2,821
我が師六代目円生を絶対に許さん! 三遊亭は、六代目円生の為にだけあるんじゃない。円生は全部で六人いた! その六人目の円生は、自分勝手に潰してしまって他の五人の円生にどう申し訳が立つんだ。そして三遊本流の不世出の名人、落語界中興の祖、 円朝 に顔向けが出来るのか!  円生は三遊本流の 総帥 なのだ。いつも三遊派の繁栄を考えて、先を読み、次の世代に円生を継承して行かねばならない。  その立場にある円生は、俺達を惨めな戦争孤児にしてしまい、落語協会に戻る弟子達は、三遊難民なのだ。いくら円楽、談志にそそのかされたとはいえ、六代目円生を三遊国粋主義者の俺は、絶対許さん。

我こそは落語三遊亭の純粋かつ正当な後継者である、という強い自負。これはなかなか書けるものじゃない。新作派であればなおのこと。言えないでしょう。

こういう男社会の縄張り争いというか、椅子の争いって、本当に醜い。猿だと好意的に見られるのに。なんででしょ。先日、ある町内会で前町内会長と現町内会長が口論を飛ばしているのを見ましたが、本当に醜い。おじさん同士の喧嘩は本当に醜い。他山の石とするべからず、だね。男の嫉妬はほんと、醜い。

位置: 2,853
『御乱心』を出して三十年以上が過ぎた。発売当初は爆発的に売れ、十六万部までいって、 立川 談 春 の『赤めだか』に部数を抜かれるまでは、落語本の中では一位だった。

黄色のハイライト | 位置: 2,866
弟子のらん丈。彼は、円丈の一番弟子。前座名が、 丈 々 寺 だった! 前座から二ツ目昇進する時に『御乱心』の宣伝も兼ねて、『御乱心』の「乱」と円丈の「丈」をとって、「 乱 丈」に改名したが、高座で大暴れして大活躍するかと思ったらパッとしなかった? そこで十年後、真打昇進の時は、乱れる「乱丈」では名前負けしてるので、漢字を平仮名にかえて「らん丈」にした。

後日談も面白い。この圓丈師匠の独特のセンスね。独り言のような文体に心踊らされる。圓生の弟子の本より談志の弟子の本のほうが売れたのが、ちょっと悔しいのかな?と思わせるあたりもキュート。

位置: 2,872
なんといっても『御乱心』を献呈して一番喜んだのは、先代の小さん師だった。「この本は面白い、ホントにおもしろい!」と絶賛し通しだった。  そこで「師匠、どの辺がおもしろかったですか?」と聞いたら「うん、俺のことが、書いてあるから面白い! ホラ、ここにもここにも書いてある。アハッハハ……おもしろい」  このストレートさ、単純明快さ、だから小さん師には周りに人が自然に集まって来て、運も上昇する。

位置: 2,877
この小さん師は、若い頃から 大日如来 を信仰していて、小さなお守り袋に入れ、如来像を首から下げ、肌身離さずいつも掛けていた。  戦争で日本が負け、小さん師が捕虜になった時、小さんは、自分が信心していた大日如来を取り上げられたら大変だ、捕虜になったらアメリカ軍に取り上げられてしまうと、その大日如来像をゴクンと飲み込んでしまった。なんとあの小さん師の体の中には大日如来が入っていた。つまり小さんは、大日如来と一体化してしまったのだ。  円生が三遊協会なんか作ったって、運の強さで小さんに勝てる訳がない。なにしろ小さんには、大日如来が付いてるんだから。日本人の中で大日如来を飲み込んだ人って何人いると思う? 二人か三人だよ。それも知らずに小さんと戦った円生は、運がない。ここにこそ、小さん、円生の決定的な差があるのだ。

ほんと、小さん師匠は凄い。ああ生きたいものだ。無私の心、というか。欲がないというかね。

位置: 3,091
円丈  うちの師匠、稽古してる奴の顔見てないからね。
小遊三  アニさんが『 真田 小僧』やってるときは、爪切ってましたよ。
円丈  そう、爪切ってるの(笑)。顔見ないんだよ。
小遊三  それで、最後に一言、上目遣いでね、「おまえさん、稽古をしてませんね」って。

こええな。やっぱり人間、最後は愛嬌なのかしら。圓生は小さんに勝てない、これ、教訓ね。

投稿者 写楽斎ジョニー

都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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