実相寺昭雄氏によって映画化されたことしか知りませんでした。あれ2005年か。酷評されていたなぁ。映画は観ていません。
「二十箇月もの間子供を身籠っていることができると思うかい?」。昭和27年の夏、三文文士の関口巽(せきぐちたつみ)は東京は雑司ケ谷にある久遠寺(くおんじ)医院の娘にまつわる奇怪な噂を耳にする。しかも、密室から煙のように消えたというその夫・牧朗は関口の旧制高校時代の1年先輩だった。
推理、というよりは怪奇小説という感じだと思うのですが……。確かに探偵は出てきますが、あんまり役に立たないしね。どちらかというと古本屋が活躍します。この古本屋が曲者でね。安倍晴明の流れを持つ、とかいうチートぷり。
「呪いみたいなのが全面に出てるのに騙されるだけで、本当はバキバキの本格ミステリなんだろ?占星術殺人事件的な?」と思いきや結構本当に呪い系のやつ。全然推理関係ないじゃん、と思いました。ただ、怪奇としては面白い。夏の夜長、蒸し暑い中、読む手が止まりませんでした。いい体験。
位置: 208
京極堂は、例えばそれが便所の 下駄 の話であっても、気に入りさえすれば一日中語り続けるが、気に入らないとなると全く強引に別の話題に 擦り替えてしまう癖がある。位置: 280
「それは幽霊は存在しない、という主張とも違うのかね?」 「いや、幽霊はいるよ。見えるし、 触れるし、声も聞こえるさ。しかし存在はしない。だから科学では扱えない。でも科学で扱えないから、絵空事だ、存在しないというのは間違ってるよ。実際いるんだから」位置: 316
宗教とは、つまり脳が心を支配するべく作り出した神聖なる 詭弁 だからね位置: 447
「宗教というのは要するに脳と心の関係を修復する仲人のようなものか」
「君だって巧い比喩を使うじゃないか。脳だって勘違いや見落としもある。そんなときもこの仲人は有効に働くのさ。脳はそもそもこういう揉め事は、自分で麻薬を出して誤魔化してしまうという性質を持っているらしいがね、動物のうちはそれで誤魔化せたが進化する途中でどうにも収まりがつかなくなったらしい」位置: 453
生きて行くのに必要な行動は大抵快楽を伴うじゃないか。 阿片 患者と同じように心はそれを求めるからね。動物なら生きているだけで 恍惚 感 を持てたんだ。しかし社会が生まれ、言葉が生まれて、この脳の麻薬だけじゃ不足になって、人は幸福を失った。
なにはともあれ、この京極堂の性格ですよね。木で鼻をくくるようであり、意外と親切でもあり。ツンデレでニヒルっていうのかしら。どことなく魅力的。
脳と意識とは違ってどうのこうの、の件。詭弁のようで本気のようで。どことなく掴みどころのない厄介な人間。それが京極堂。良い味わいにできてますよ。
位置: 1,477
た。 肌理 の細かい 皮膚 も少し困ったような表情も、まるでこうでなくてはいけないような、危ない緊張感を 孕んで彼女の美しさを支えていた。もしも彼女が 屈託 なく笑ったとして、それはそれで彼女の美しさ自体に変わりはないのであろうが、この危なげな美しさはバランスを失い、どこかに消えてしまうことだろう。
久遠寺の美しさの表現。いいよね。「まるでこうでなくてはいけないような」美しさ。あるよね。我々はつい、本の中の美女に見出してしまう。
位置: 1,929
「昨日はシャツもズボンもよれよれだったが、今日はアイロンの当ったのを着ている。昨日は朝八時には起きたが今日は十一時過ぎに起きた」
「な、何で解るんだ」
それは本当だった。
「君は 八卦見 か?」
「違うよ。 髭 の伸び具合だよ。つまり、昨日の君と今日の君を見分けるためには、その顎の周りの汚い 黴 みたいな 僅かな翳りと、服の皺の数だけ見ればいい、ということになる。後はそっくり割愛しても、今日の関口という記憶は成り立つ」
「なる程、それ以外の部分は既に記憶されている訳だな」
「そう。本当はもっと細かい。例えば眼から入って来る情報は、形、色、角度、といった風に、皆バラバラに分解して、重複するものは割愛し、過去の記憶と照合して再構成されるんだ。それが今僕らが見ている現実だ。何気なく見ているこの風景だって、ただ在るものが見えているって訳じゃないんだ。この景色は、僕達の脳が拾ったり捨てたり組み合わせたりして必死で再構成した映像なのだ。眼球は硝子窓じゃない。世間は素通しで見えている訳ではないのだ。必ず 取捨選択が行われている。そうでなくては我我はそれを認識出来ない──」
この認識とか意識とかって件、非常に面白くてなるほどと思いながら読んでいるんだけど、読み終わってはたと考えてみると、なんにも覚えてない。見事な術です。文字を読んでなるほどと思い、良いことを読んだと思って、寝て起きると煙の如し。いい文章だね。
位置: 2,216
戦場には当然人間らしさなどはない筈だ。しかし人間らしさを動物にはない人間だけの特性と仮定すると、戦場で殺戮を繰り返す異常な行為もまた、人間らしさといわねばなるまい。そう考えると、人間らしく生きるということが、果たしてどういうことなのか私には解らなくなる。あの戦場で、死の恐怖に対して野良犬のように怯えていた、ただそれだけの自分が──一番人間らしいとも思う。
だから、私がヤミ市に感じる嫌悪感の正体は、異質な世界に紛れ込んだ異邦人の疎外感とも、底なし沼に飲み込まれる小動物の恐怖感とも違う。自分の中の闇が発露するかもしれぬという不気味な予感だ。そう、その予感がするからこそ、私はそこを避けたのだ。
戦後感あふるる描写ね。殺戮もまた人間の業で、恐怖に怯えるのもまた、ということかしら。
前半はここまで。後編がまた、怖いんだ。
薄ら寒いんですよ、読みながら。怖い。
位置: 302
「念を残して死ぬから無念なんじゃないのか?」 「違うよ。死人がものを考えられる訳がないだろう。死ねばそれまでさ。生きている人の方が、無念だったろうなと考えるのだ。凡そ怪異は 遍く生者が確認するんだ。つまりね、怪異の形を決定する要因は、生きている人、つまり 怪異を見る方 にあるということだ」位置: 325
個体の愛情は遺伝子の命令に勝てはしない。いや、猿はそもそも人間のいうところの愛情なんてものは持ち合わせていない。それが生物としては当たり前のことなんだ。だが人間は違ってしまった。種を保存することが唯一無二の目的でなくなってしまったんだ。それを文化と呼ぶか、知性と呼ぶか、人間性と呼ぶか──それは勝手だが、 兎 に 角、万物の霊長の 奢りは、 もうひとつの価値 を構築してしまった。位置: 450
「仏さんの裁量というのは随分と甘いもんだなおい。俺ならそんな奴ァ許さねエぞ。極刑にするところだ」 木場が 濁声 でそういうと、京極堂はにやりと笑った。 「いや、これは仏教の手口ですよ、旦那。 耶蘇教のように融通の利かない固い構造を持った宗教、主に遊牧──侵略民族の宗教は、生き残るためにある部分で好戦的にならざるを得ない。だから、侵攻していった先の地場の信仰を徹底的に弾圧する。完膚なきまでに叩きのめす。その結果、土着神は 悪魔 に、集会は 奢 覇 都 に、祭祀は黒 弥 撒 に変形される。結局後世には 反 基督 という形でしか残らない。
この京極堂の語りは全く明確で素晴らしい。なるほどな、と思わせるだけの説得力とそれを裏付ける教養が見え隠れしていますね。漢字が多いのが中二病ぽいですけどね。
位置: 479
「そもそも仏教は、愛という観念は捨てるべきだと説いている。愛は即ち執着──といい換えることが出来るからね。 凡百 執着を捨てることが唯一の 解脱 ── 如来 へ至る道なんだ。だから訶梨帝母の説話も、本来であれば子供に対する異様な執着を捨てよ、と諭したと解釈する方が正しいのかもしれない。凡てを捨て去って仏道に 帰依 すれば、一切の 罪業 は滅却し、悟りが開けるという──つまり 親鸞 のいう、善人なおもて成仏す、いわんや悪人をや、の境地だね」
仏教のすごいところだね。仏の教えにすら執着を許さないのかしら。トートロジーのような気もする。
位置: 2,093
「関口君。君は慥かに死骸を見ているんだよ。 知覚しなかった だけだ」
何だって? 部屋がゆっくり回り出した。世界が歪む。
「君の、この建物に対する描写は、微に入り細を 穿ち、実に詳しかった。僕は君の話を聞くだけで明確に建物の有様を脳裏に再構成することが出来た。実際に訪れてその正確さに驚いたくらいだ。だがただ一箇所、どうしても不明瞭な部分があった。書庫の床だ。扉、壁や書架、天井、脚立に机、ベッドとサイドボード、十字型の蛍光灯──いずれも明快だ。ただ床だけは漠然としていて、君の言葉からは全く摑めなかった。広い部屋に入って床が視野に入らないことはあり得ない。ならば意識、無意識に 拘らず、君は 見ているのに語らなかった ことになる。これは変だと思って考えた。そしてたった一言、君が床について語った 件 を思い出した」
京極堂は懐から手を出すとさっき妹がしていたように顎を触った。得意のポオズだ。
「君は果物ナイフのようなものが光ったといっていたじゃないか。そんなものが落ちている訳はないんだ。それは 藤牧の脇腹に突き刺さっていたナイフだよ」
この小説が推理小説ではなく怪奇小説であるとする論拠の一番はここ。「死骸を見てはいたけど知覚しない」なんてことを許したら謎は成立しない。それがトリックならまだしも、普通に知覚しないだけなんて、そんな馬鹿な。
位置: 2,176
「刺激って──兄さん何をしたの?」 「逆行催眠に近い状況を作り、記憶を過去に飛ばしたのだ。想像妊娠のややこしいところは心──意志や魂と呼んでもいいが、その心の方が無意識に強い願望を持ち、脳がそれを受けて心を騙す、という狂言詐欺みたいな二重構造にある。
安倍晴明の流れをひき、記憶を飛ばしたり出来る古本屋・京極堂。その常人を超越した度合いが凄まじすぎる。
位置: 2,197
淫猥 な快楽を欲していた訳ではない。僕が極めて特殊な想像妊娠といった訳はそこにある。彼女は妊娠を強く望んだのではなく、過去の、夫との性交渉の事実をこそ強く望んだのだ。つまり、愛情交歓の証拠が欲しかったのだ。実際にはそれはなかった訳だが、妊娠することで 遡って過去を改編 しようとした訳だ。
そしてこの、エゲツなくも悲しい話。入り乱れた事実と狂言。ぐっちゃぐっちゃで分けわからないけど、とにかく凄くエログロでよく出来ているのはわかる。圧倒的な心情描写。
「人間は見たいものを見て、信じたいものを信じる」とはカエサルの弁ですが、まさにそういうこと。行き過ぎた熱望の前に知覚は無力なわけですな。
ブラックジャックを思い出した人は少なくないはず。
位置: 2,447
彼は、一匹の精虫が卵子に辿り着く確率を百パーセントにまで高めたかったんだ。つまり彼は机上のシャーレや試験管の中で、摂取した卵子と精子を人工的に受精させる技術を開発していたのさ」 「そんな! それでは──内藤君じゃないが、まさに現代のホムンクルスじゃないか!」
よく知らないけど、それって現代では普通に出来るんじゃなかったかしら。お金は相当かかるだろうけど。出版は1994年。舞台は戦後間もなく。
位置: 2,885
「久遠寺家は──この無頭児が誕生する確率が非常に高い家系──家系といういい方が正しいかどうか解りませんが──だったのです。原因は判りません。ただこれは祟りや呪いの所為などではない。これは医学上の問題です。病気や怪我と同じレヴェルのものです。恥じるべきことでも、隠すべきことでもない。しかしこの国の土壌はそうはさせてくれなかった。無頭児に限らず、先天的に異常を持って産まれて来る子供達は── 悉皆 まとも な扱いを受けなかった。悲しい事実です。そしてそれは、今もそう変わるものではない」

小学生の時分に読んでトラウマの如きものを覚えた人は少なくないでしょう。まさかこれが、改めて読書によって蘇ってくるとは。
位置: 3,317
二重人格というのは人格が二つあるという意味ではありません。それは、それらがひとつの人格であると認識されない、或いは認識出来ない程 乖離 してしまっている状態のことをいうのです。一人の人間には人格がひとつしかないと思うことこそ、脳の まやかし なのです。
最後は砂の器的なションボリエンド。我々の過去の歪さを突きつけられて、沈黙するしかないやつ。
余談ですが、最近あたくし、酔うと記憶がなくなるのは別人格なのでは……と思い出してます。きっちりお金は払ったりしているのに、まるで記憶なし。困った。
姑獲鳥の夏、ひたすら怖く、エロくてグロくて、登場人物は魅力的でした。文章にも力があるし。なるほど、素晴らしい。
ただミステリとトリックの強引さだけは、ちょっと気になったかな。