こしらの集いに行くと、だいたい左端で座っている広瀬さん。
すごいよね、お金も労力もどれだけかけてるのか。

しかし志ん朝師匠は早すぎたね。あれが21世紀のはじめだと思うと、なんだかやるせなくなります。

位置: 45
現代の大衆に合わせるためにそのハードルをまったくなくしてしまうと、それはもはや落語ではなくなってしまう。晩年の談志の「落語は江戸の風が吹く中で演じる芸」といった発言の真意はそこに集約される。五代目柳家小さんは「落語はわかる奴のためのものだ。大衆に合わせるとダメになる」と言っていたと聞くが、それも同じことだ。

じゃあ江戸の風が吹かないものは落語じゃないのか、となるとあたくしは疑問ですがね。「柳屋の」もしくは「小さんの」落語じゃないってのはそうかもしれませんが。こしら師匠なんか全然江戸の風を感じませんが、あたくしは落語だと思います。

位置: 327
2009年に僕が行なったインタビューで、花緑はこう言っている。 「それまで僕は、うちの祖父や小三治師匠が落語として『正解』の形で、あれに向かっていくんだと思っていました。とにかく稽古を重ねていれば、あれに近づいていけるんじゃないかと。そんな僕の前で、昇太兄さんや志らく兄さんは、僕の彼女や親友をバカウケさせたんです。で、僕の芸は彼女や親友には通じなかった。同世代の人間に、僕の芸は面白くなかったんですよ。そして昇太・志らくという、僕より年上の人たちがウケさせていた。それが一番ショックでした。そのショックを談春兄貴が見抜いて、『おまえはな、死に物狂いで彼女をウケさせろ。彼女がウケる芸だけをやれ』と言ったんです」

その花禄師匠の落語が、あたくしの同僚には通じなかったんですよね、最近。なんだか怖くなりました。花禄師匠もいつまでも「おじいちゃん」ネタをしなきゃいいのにね。五代目を知らないお客さんも増えてます。

位置: 390
落語協会所属のある中堅落語家がこう語っていたことがある。 「うちの協会では志ん朝師匠が絶対的な存在で、みんな志ん朝師匠にひれ伏していた感じ。今の小三治師匠(この発言当時は落語協会会長)も特別な存在ではあるけれど、全然違う。あの頃は、志ん朝師匠にダメって言われたら本当にダメ。

こえーな。志ん朝師匠も小三治師匠も怖い。いや、小三治師匠にダメって言われても本当にダメだったりはしないんですかね。

位置: 478
21 世紀に入ると共に亡くなった右朝は、本来、 21 世紀の落語界を牽引すべき男だった。

ほんとそう。今聞いても悔しくて。こんないい人が21世紀を待たずして亡くなるなんて。

位置: 523
ここで談志は、NHKでのコメントの真意を説明している。
志ん朝の華麗な芸が肉体の老いと共に衰えていくのは見たくない。肉体の衰えを精神で補うことが出来たかもしれない、という仮定の話をしたところで、死んだ者が生き返るわけではない。「惜しい」と言ったところで、もう落語は演れないのだから、「これで充分だよ、良かったよ」と言ってあげたほうが、当人は安心できるのではないか。だから「いいときに死んだよ」とコメントしたのだ、と談志は言う。志ん朝の華麗な芸を愛した談志ゆえの、最大級の敬意を込めたコメントだったのだ。

談志師匠の言葉の真意こそ、落語以上に「わかるひとにわかればいい」もので、解釈しなくていいような気もします。

位置: 641
作家の色川武大氏が書いた有名な談志評に「談志の落語は 60 代をターゲットにしている」というものがある。1988年に書かれたエッセイの中にあったもので、正確には次のような言い方だった。 「(談志は)六十歳ぐらいになったら、まちがいなく大成する落語家だと思う。放っておいてもそうなる。彼自身、将来の大成にポイントをおいて、現在の高座をつとめているふしがある。だから、私は落語家談志の現状を、言葉でくくろうとは思わない。

賛辞だなぁ。こんなこと言われてみたいね。
あたくしも60代をターゲットに生きようかしら。しかし談志師匠は若いときのほうがあたくしは好きです。もちろん、音源や動画でしかみたことないけどね。

位置: 1,234
落語は、演者の個性を楽しむ芸能だ。

ほんと、そう。

位置: 1,554
2004年末、堀井氏はその「ずんずん調査」年末スペシャルで、じわじわ盛り上がってきた東京落語界の状況をリアルに反映させた「東都落語家ランキング」を掲載した。2004年だけで落語会や寄席に110回ほど通い、落語を600席は聴いたという堀井氏の、個人的実体験に基づいた主観的な「今の落語家」のランキングである。
これは画期的だった。
まず、業界と何のしがらみもない観客側の視点で遠慮なく書かれていたこと。
そして書き手が「今の落語の最前線」をたくさん観ていること。
この2点は、当時の「落語評論」に決定的に欠けていた。
堀井氏はこのとき、「落語の世界はみんな死んだ名人が好き。昔をどれだけ知ってるかの自慢話が渦巻いてウンザリする」「このランキングは古今亭志ん朝をナマで見たことがない人のためのもの」と言っている。

いま、なぜか志ん生の生観賞でマウントとってくるジジイとかいますからね。団菊ですよ。人間の本質だね。

位置: 1,606
落語家のランキングと共に、堀井氏は「2004年ホリイの聞いた落語のベスト 15(聞いていてとても幸せになった落語 15)」も併せて発表。1位が談志の『 居残り 佐平次』(町田)。伝説の「町田の居残り」である。当然だ。僕も選べと言われたら2004年の1位は「町田の居残り」しかあり得ない。2位が談志の『 鼠穴』(横須賀)。これも同感だ。

その頃あたくしは町田に住んでいなかったんだ。惜しい。三鷹ではこの頃の談志を観てたけど、もう晩年って感じだったなぁ。

位置: 1,911
ガイド本を書くに当たって、僕が大前提としたのは「お勧めの演者だけを取り上げること」だった。
知名度があったり、いわゆる「落語通」や評論家筋が高く評価していたりしても、僕自身が面白いと思えない落語家については言及しない。「あえて取り上げて批判する」のは音楽のような巨大なマーケットにおいては意味があるが、落語のように狭い世界でそれをやるのは、まったく意味がない。

これは音楽雑誌の編集長ならではの指摘。落語のように狭い世界では、批判は無意味ってね。あたくしも度々ブログで批判をしていますが、これは意味を求めてないからですね。

位置: 1,926
この本の大きな柱は2つ。
まず、「立川流とそれ以外」という区別が厳然と存在していて、寄席以外の場所で立川流が活躍しているという事実に正面から向き合うこと。言い換えれば、立川流をフェアに評価すること。
これは必ずしも「立川流を持ち上げる」ことではない。当時はアンチ立川流が存在したのと同時に「立川流ファン」的な人たちもいたが、僕はそうではなかった。単に「事実を認めよう」というのが僕の立場だ。
そしてもうひとつ。僕は「昔と違って今は寄席が面白くなっている」という事実を強調したかった。

90年代の寄席、たしかに「CDでいいじゃん」って思いましたね。あの頃。入場料1,500円だったかな、学生は。中古の落語CD買えたものね。

位置: 1,931
寄席は、番組を選ばず適当に入ればつまらない演者に当たる確率は非常に高い。最後まで面白い人が出てこなかった、ということもある。 20 世紀の終わりは特にそれが顕著だった。

あたくしが学生だった頃、寄席はごく少数の人気落語家が主任の日を除いてガラガラでしたね。池袋なんてホントひと少なかった。

位置: 1,942
当時は「何となく末葊亭に入ってみる」ということが結構あったが、そこで得た教訓は「番組も見ずに寄席にフラッと入っても面白くない」ということ。まあ、運が悪かっただけなのかもしれないが、フラッと入って楽しかった経験はほとんどない。そのため、工学部に進学してからは(実験などで忙しかったこともあり)ナマの落語はホール落語か独演会が基本となり、就職してからはさらに「行くべき会」を厳選する傾向が強くなった。

通は「寄席に行こう」って言いますけどね。やっぱりホール落語がいいんだ。あたくしも今は都下に住んでいて、浅草なんて遠いので、やっぱり地元で開かれるホール落語が使い勝手がいい。

位置: 1,972
小さんは「若いうちはとにかく客をウケさせろ、ウケないうちは人物描写も何もない」と市馬に言っていたそうだが、周りは市馬に「小さん直系の噺家らしい落語」を求めた。今や市馬の得意技である「噺の中で歌う」ようなことも、「みっともないことをするな」と言われて師匠に迷惑を掛けてはいけないと思い、小さん存命中はやれなかったのだという。

歌のない市馬師匠なんて考えられないけどね、今じゃ。
しかしやっぱり5代目を直接貶めるような話は出てこないね。あくまで「周りが」ってやつ。神聖化されてますな。

位置: 2,022
病気のあと、余計な力が抜けた」のだという。
たとえばひとつ具体的に言うと、『 短命』が劇的に変わった。物わかりの悪い八五郎にご隠居があれこれ教える場面が、どんどん「無舌」になっていったのだ。表情と仕草だけで爆笑させる『短命』。これには本当に驚いた。2012年以降、喜多八は落語家としての絶頂期を迎えていた。

喜多八師匠。サンキュータツオさんの『これやこの』にも書かれていて、なんだか読むと心がチクチクするんですよね。惜しい人をなくしました。

位置: 2,096
僕は川戸氏の「圓鏡を四天王に」という主張を著書『現代落語家論〈上巻〉』(弘文出版)で知った。それは、まさに「目からウロコ」だった。当時、圓鏡の芸は「邪道」と言われることが多く、評論家などからは低く見られがちだったが、僕は彼の先鋭的な爆笑落語が大好きだった。落語という大衆芸能において「邪道」云々という発想はおかしい、「面白い落語」は正当に評価されるべきなんだ、という僕の価値観は、川戸氏の「圓鏡論」に大いに影響を受けている。

円鏡師匠、面白かったもんね。四天王と言われて柳朝師匠を入れるか、円鏡師匠を入れるか、好みが分かれるところでしょうな。あたくしはどっちも好きですが、落語は爆笑派が支えてきたもの、という価値観は常に持っておきたいです。

位置: 2,304
志ん朝には追っかけの客が大勢いて、そういう人たちを見つけると「また来てるよ」と嫌がっていた、という例を引き合いに出したさん喬は、志ん朝の追っかけには「来てるよ!」とアピールしたがるタイプが多かったから確かに嫌がる気持ちもわからなくはない、とワンクッション置きつつ、こう言った。 「志ん朝師匠は『また同じ噺だ』と思われるのが嫌だと言ってたけど……でも、それはどうなんだろうね。お客さんは、その人の噺が聴きたいから追いかけてくださる。おまえを追いかけてくださるお客さんは、おまえの噺が聴きたいんだ。『同じ噺じゃ飽きるだろう』なんて思う必要はない。『喬太郎の噺』が聴きたいから何度でも来てくださるんだよ」

さん喬師匠は本当に人徳者だなぁ、とこういう話をきくと強く思いますね。
どうも「いい話」を高座でかける機会が多くてあたくしは苦手なんですが、本当にいいお方なんでしょうね。

位置: 2,312
「潰れかけてるなんて考えることは傲慢なんだよ。『どうせこいつは俺のハンバーグなんて食べ飽きてるんだ』と思って出したら美味くないよ。毎日工夫して『今日のハンバーグは昨日とはまたちょっと違いますよ、食べてみてください』という気持ちで作らなきゃダメなんだ」
「おまえ、さっき『またこの噺だとお思いでしょうが』って言ってただろ。それが傲慢なんだ。『おまえの考えなんか誰も気にしちゃいねぇよ』って五代目(小さん)が言ってた。

また5代目だ。ま、さん喬師匠が五代目を引き合いに出すのは無理もないとは思いますが。
好きだけどね、五代目。アンタッチャブルにするのはちょっと違う気もします。

位置: 2,319
「潰されそうって言うけど、お客は潰しにかかるもんだよ。潰れたらもう一度作ればいい。俺なんか最初から潰れてる。おまえは売れるのが早すぎた。いろんな仕事が来て、おまえは律儀に『師匠、こういう仕事が来ました』と言ってくる。師匠が弟子に『ダメだ』と言うのは簡単だけど、ヤキモチ焼いてると思われるのは嫌だから、私はおまえがどれだけ仕事を請けても『ダメだ』とは言わない。船底に穴が開いてるな、と思ったら、まず身を捨ててみろ。五代目も、志ん朝さんも、そうやって自分の噺をこしらえたんだ」
そして、さん喬は喬太郎に優しいまなざしを向けて、付け加えた。
「少し聴いてないうちに、喬太郎は随分成長した。弟子は師匠の名を残すことが出来る。おまえが立派になって、どこへ行っても『さん喬の弟子の喬太郎』と言われる。ありがたいことだ。師匠は弟子を大きくしてやることは出来ないが、弟子は師匠を育てることが出来るんだよ」

子別れじゃ泣けないけど、この話はうるっときますね。
いい芸談だ。さん喬師匠の噺家としてのプライドと師匠としての優しさが垣間見れる。いい話だなぁ。

捨ててこそ 浮かぶ背もあれ ノモンハン ってね。

位置: 2,765
僕の実感では、ゴールデンウィークを境に「自粛ムード」は消え、落語界は平常モードに戻っていった。
だがこの年、落語の世界にまた別の大きな「事件」が起こることになる。 「立川談志の死」である。

2011年ですね。3.11があり、談志の死があり。すごい年だ。

位置: 3,154
楽松のまま二ツ目となり、1979年には圓生が設立した「落語三遊協会」初の真打として鳳楽を襲名している。「真打に相応しい芸の持ち主だけを昇進させるべきだ」という圓生が、大量真打を誕生させようとする五代目小さんと対立した結果生まれたのが三遊協会であるだけに、鳳楽の真打昇進は「これが私の認める真打だ」と圓生が宣言したことになる。

鳳楽師匠の双肩にかかるプレッシャーたるや。楽松師匠の松の字は山崎松尾の松ですからね。どんだけ背負ってるんや、師匠。

位置: 3,193
すると今度は圓窓が七代目圓生襲名に名乗りを上げた。圓窓は2010年5月 17 日の落語協会理事会で「遺族から襲名を要請された」と襲名の意欲を明かしたのである。

鳳楽・円窓・円丈師匠の三つ巴の円生合戦。
あんまり良い目ではみられませんよね。円生一門の内輪もめみたいでね。そういうのは水面下でやってほしい。

位置: 3,204
そもそも、江戸以来の大名跡を六代目で終わらせる権利など、誰にあるのだろう。五代目圓生は六代目の義父だが、四代目までの圓生は六代目と無関係だ。この大名跡を六代目の夫人の意向で「誰も名乗れなくなる」のは筋が通らない。

まったくそうですよ。志ん生も談志も円生も、誰か継いでくれってね。
絶えたままになっている今のほうがよっぽど冒涜ですよ。

位置: 3,348
自身でもよく言うことだが、若い頃の小三治は余計なマクラは振らずに作品をきっちりと演じるタイプ、談志言うところの「作品派」だった。それが「マクラの小三治」となっていったのは、「落語は作品を演じるのではなく、登場人物の了見になるべきもの」「落語は〝おはなし〟なんだ」という小三治の「芸の開眼」と軌を同じくしていた、と僕は思う。「上手い落語を聴かせて唸らせるのではなく、お客さんとおはなしをするために高座に出る」という姿勢が、そのまま「自然体のマクラ」へと繋がったのである。
「作品を演じない」境地に至った小三治は、志ん朝とは異なるタイプの「噺の達人」としての道を歩むようになる。談志と志ん朝が「己派と作品派」という対比で語られるとするならば、志ん朝と小三治はいわば「作品派と了見派」という対比で語ることが出来る存在になっていた。

了見というと小三治師匠が5代目の芸風の継承者ということになりますかね。5代目と小三治師匠ってそんなに似てますかね。あたくしは結構違うような気がします。それは了見の解釈の差なのか、なんなのか。

位置: 3,392
「前座噺は難しい。大ネタは、ある意味やさしい。噺そのものが面白いから。前座噺は、そうはいかない。今日ここで『道具屋』を演るために随分稽古しました。稽古すればするほど、『道具屋』という噺は難しい。これを難しいと思うというのは、つまり、それだけものが見えてきたっていうことです」

ぜんぜん違うレベルで話すのも恐縮ですが、『道具屋』は難しいですよ。お客さん笑わないもの。昔ながらの方法でやるのも無理があるし。『牛ほめ』とかね。あれで笑いを取れるのって本当にすごいと思う。

位置: 3,406
「今の若い噺家を見て私が思うのは、『客に向かって話すな』ということ。客に向かって話すのはマクラだけで充分。あくまでも、中に出てくる人同士が会話をしなくてはいけない。でも今、みんな客に向かって話してる。ウケようとしている」

身に覚えがあるなぁ。肝に銘じます。ウケようとするとウケなくなる。そういうもんなんだよね。

位置: 3,823
三三は夏目漱石の『三四郎』での有名な「三代目小さん礼賛」に触れた。 「夏目漱石が言いましたね。圓遊が演るとどの登場人物も圓遊になるが、小さんが演ると小さんが消えて噺だけがそこにあるのだ、って。それを聞いた時に、以前の僕は、それじゃあその人が演ってる意味がないんじゃないかと思ったんですけど、今はその感覚がよくわかります。

小三治師匠の落語、もっというと柳家の落語は「語り手がみえない」のが理想なんでしょうね。それが了見派。地がたりの多い話とかはまた別なのかな。

位置: 4,519
落語とは、人間の本質に迫る「なんだかわからないけど面白いもの」を見事に表現できるシステムであり、だからこそ自分は落語という形式を選ぶ。これが談志の結論であり、その「理屈を超えて面白いと落語ファンが感じるもの」を「イリュージョン」と名付けた。これはある意味「造語」と言っていい。
談志は伝統的な「落語リアリズム」や話芸としての「リズムとメロディ」の重要性を誰よりも深く認識していたし、言うまでもなくその点でも談志は名人だった。若き日の談志は堂々たる「作品派」である。

志ん朝も談志も好きだけど、談志は若い頃のほうが好きだから、あたくしもいわば「作品派」の好きな人間なのかもしれません。ま、だからといって5代目も好きですからね。落語が好きということでいいんじゃないでしょうかね。

位置: 4,551
2001年10月31日西新井文化ホールでの「志ん朝の分も頑張るか」という談志の発言は、そういう意味を持っていたように思える。

「作品」も頑張るかということなのか、「己」派として志ん朝の分も頑張るのか。後者のような気がしますね。

位置: 4,592
三遊亭白鳥や立川こしらの芸風は、決して「江戸前」ではない。しかし六代目圓生の孫弟子である白鳥が「三遊派」、談志の孫弟子であるこしらが「(柳派をルーツとする)立川流」といった伝統の中に身を置いている自分、というものを意識している限り、彼らは「江戸の風」を吹かせることが出来る。つまり、彼らは現代の「ポンチ絵派」なのである。

白鳥師匠やこしら師匠から「江戸の風」を感じる人ってどれくらいいるのかしら。あたくしは全然感じなくて。だからこそ素人落語なんてやってるのかな。伝統の否定?

位置: 4,607
落語という芸能を、話芸としてのテクニカルな面で考えたとき、最も重要な「伝統」とは、落語本来の「正しいリズムとメロディ」ということになるだろう。  今、それを最も強く意識しているのは、立川談春かもしれない。

談春師匠もねぇ。どうも話の伸ばし方が好きじゃないんだよねー。
あれも結局の所、己だからかな。つまり談春の落語を好きな人は、談春という人が好きということか。すると小三治師匠のいう「語り手のいなくなる」落語とは真逆のような気もしますね。

芸談は面白い。

投稿者 写楽斎ジョニー

都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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