山田風太郎著『新装版 戦中派不戦日記』感想 戦争で変わる人間のリアル

山田風太郎先生の等身大が好印象。

私の見た「昭和20年」の記録である。満23歳の医学生で、戦争にさえ参加しなかった。「戦中派不戦日記」と題したのはそのためだ――(「まえがき」より)。 「歴史」「死」に淡々と対峙する風太郎の原点がここにある。終戦直後の日本人の生活精神史としても実感できる貴重な記録。

まさに戦争を挟んで世間が、そして自分がどう変わったかの手記で、いい味だしてました。

位置: 48
なお、そんな青二才のくせに、文中「余は」などとエラそうに書いているのは、日記の中の自称としては、日本語中この文字が最も簡略だからである。それから、現在、当時の私と同年齢にある人が、当時の青年はだれもがこんな文語体で書いたのかと思われるかも知れないが、やはり当時としても現代同様の口語体で書く若い人の方が普通であったと思う。みずから読み返してみて、八月十五日以前は文語体が多く、以後は口語体が多いような現象が可笑しい。
山田風太郎

山田風太郎先生も、やっぱり少なからず戦争で変わっている。先生ですら、というと尊敬し過ぎか。あたくしもこれから「余は」とか言ってみようかしら。

位置: 116
三亀松、さすがに紋付袴イタにつき、その痛快なるべらんめえ調、観客への愛嬌と罵倒、皮肉とシャレと自嘲的なるニガ笑い、まことに江戸人的なり。

そいや、柳家三亀松先生の音源は聞いたこと無いな。早速レンタルしてみます。

位置: 148
去年大阪帝大の医学部で検査してみたら、夜七時以後の銭湯の細菌数、不純物は、道頓堀のどぶに匹敵したそうである。世相は物価の急騰に比例して悪化しているから、ことしの風呂などは道頓堀はおろか、下水道くらいになっているかも知れない。

ひでえもんだ。それを風呂って呼んでありがたく入ってたんだからね。困窮とは。

むかしアンマンの安ホテルに泊まったときのシャワールームを覚えていますが、あれもひどかった。虫も浮いてたしね。

位置: 151
さて、まず下駄箱というものがぶきみなものになった。とにかくふつうの履物をはいてゆけば、絶対に盗まれるのである。

世も末というが、まさに。

位置: 166
灰桃色の臭い蒸気の中にみちみちてうごめく灰桃色の臭い肉体! 湯槽は乳色にとろんとして、さし入れた足は水面を越えるともう見えない。いや、たいていのときは、この一本の足をさし入れるということさえも容易ではない──立錐の余地なしというのが形容ではない満員ぶりである。

うへー。想像したくないね。

位置: 191
前には一人くらい、きっとお尻に竜など彫った中年のおやじさんがいて、いい気持そうに虎造崩しなどをうなったものであるが、今はどこにもそんな声は聞えない。壁の向うの女湯では、前にはべちゃくちゃと笑う声、叫ぶ声、子供の泣く声など、その騒々しいこと六月の田園の夜の蛙のごとくであったものだが、今はひっそりと死のごとくである。女たちも疲れているのである。いや女こそ、最も疲労困憊し切っているのである。
こうして裸になると、いかにも青年がいなくなったことがよくわかる。美しいアダムのむれは、東京の銭湯にはもう見られない。 蠢いているのは、干乾びた、斑点のある、色つやの悪い老人か、中年、ないし少年ばかり。

銭湯から戦争をみる。確かに厳しい。リアリティあるね。

位置: 4,061
「先生、十二時に天皇陛下の御放送がありますから、すみませんがもう授業をやめて下さい」
「承知しています」
と、教授は落着いたものであった。
「しかし、まだいいでしょう」
「いえ、ラジオをきくのに遠い者もいますから、どうか。……」
教授はしぶしぶと「薔薇粃糠疹」の講義をやめた。
教授はそのとき果してその御放送の内容を感づいていたであろうか。また学生も予感していたであろうか。学生のききたがっていたのは、その内容よりもむしろ生まれてはじめてきく天皇陛下の御声であった。
教授も学生もことごとくソビエトに対する宣戦の大詔だと信じて疑わなかったのである。

まぁ、気づいている人も多かったんでしょうね。しかしリアリティがある。

位置: 4,235
「一戦やります。必ず一泡吹かせる連中が出て来ますから、それに参加します。山に立て籠ってやるんです。ええ、このままでは絶対やめられませんよ」
と気焰を上げているところに、佐多が顔を出して、酒は一升とか二升とか話しかける。どうやら今夜東京庵で闇の酒でも仕入れてヤケ酒を飲むつもりらしい。
まだ眼が醒めないのか、と思った。今夜こそ、夜を徹しても、なぜ日本は敗れたか、という問題を考えつめるべき夜ではないか。

軍国少年だ。
あたくしもこの時代に生まれていたらお国のために死にたがったんだろうか。国体を個人の生命より大切に思ったんだろうか。

位置: 6,272
○新聞に東条勝子夫人の心境談のる。これはこれとして、今の日本人の東条大将に対する反応は少しヒステリック過ぎるではないか。校長の論のごとき、まさに手を覆えせば雨となると誹られてもいたしかたがない。
僕は、東条が終戦以来、逮捕令の出るまで死なず、アメリカ兵が来て急に死のうとしてしかも死ねず、いま敵のパンを食って生きている不手際を、軍人として非難するまでで、戦争犯罪人などとは考えていない。

あたくしもある種同じ気持ちですね。
誰かに悪を押し付けることで溜飲を下げたいという欲望が透けて見える。立派な人だとは思えないけど。

位置: 6,326
噂の通り、なるほど進駐軍がいたるところ日本娘の頸や腰に手を巻いて座っていたり歩いていたりする。中には向い合ってブランコにのっている組もある。  日本人は首さしのばし、この風景を見るがごとく見ざるがごとく歩いている。ベンチの端では老人がぼそぼそと芋をかじっているのに、反対の端では抱き合って、チョーチョーナンナンとやっている。
噂では、女学生の時間、事務員の時間、売春婦の時間の別があるということだが、今は何の時間にあたるのか、あまり品のいい女はいないようだ。リボンなど髪につけて、服装も下司ばり、顔も進駐軍には気の毒なようなものが大半である。

厳しい視点だ。あまり品のいい女はいない、か。
そうしないと生きていけない人もいたろうにな。

位置: 6,408
過去の日本人の日本の悪口は、気取った自嘲ないし憤り、また改良しようという目的を持った悪口であったが、今の民衆の悪口は、しんから進駐軍に参り、おのれらを劣等として自認する、救いようのない嘆声である。
明らかに、進駐軍を見得る土地の日本の民衆はアメリカ兵に参りつつある。軍規の厳正なこと、機械化の大規模なこと、物資の潤沢なことよりも、アメリカ兵の明朗なことと親切なこととあっさりしていることに参りつつある。

そうかもしれない。何を陰湿にネチネチやっているんだ、と。
アメリカ人が全体的に持つ明るさはやっぱりいいよね。

位置: 6,438
僕はむろん皇族が神の一族であるなどとは信じていない、しかし天皇の御一族としての高貴、信念、責任感は当然その血の中に具有されているものと思っていた。ところが。──  梨本宮は曰く、「天皇制が維持されるかどうかは国民が決定するであろう」と。それはそうであろうが、何という頼りない口上であろうか。ひとごとのようにいわないで、皇族としては断乎天皇護持の信念を外人に吐露されるべきではないか。
また曰く「自分は戦争とは何の関係もなかったし、政治問題について相談も受けたことはない」と。何という空虚なる陸軍元帥、軍事参議官であろう。
また曰く「神官としても何もしなかった」と。何という奇怪な神宮祭主であろう。
また曰く、「自分と神道との関係は、神官として毎年一回、天照大神の着物を冬から夏に更える場合だけであった」と。ここに至っては啞然とし、ただ狐に化かされたような気持で首をかしげるほかはない。

ま、皇族も人間的じゃないですか。
というか人間じゃないですか。

牟田口もびっくりの無責任男。陸軍元帥ですからねこれで。

位置: 6,577
午後新宿文化劇場にて阪妻の「無法松の一生」を見る。昔見たるものなれども、やはり上出来の映画なり。

あ、あたくしも観ましたね。阪妻。
うれしくなっちゃうな。

位置: 6,786
しかし、それよりもなお 忸怩 たらざるを得ないのは、結局これはドラマの通行人どころか、「傍観者」の記録ではなかったかということであった。むろん国民のだれもが自由意志を以て傍観者であることを許されなかった時代に、私がそうであり得たのは、みずから選択したことではなく偶然の運命にちがいないが、それにしても──例えば私の小学校の同級生男子三十四人中十四人が戦死したという事実を想うとき、かかる日記の空しさをいよいよ痛感せずにはいられない。それに「死にどき」の世代のくせに当時傍観者であり得たということは、或る意味で最劣等の若者であると烙印を押されたことでもあったのだ。

やはり生き残ってしまった者の悲哀というのもあるんですね。
そういう人たちが歴史をつなげたとしても。

By 写楽斎ジョニー

都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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