かつて就職活動をしていた頃、読んだ気がするんですよ。
あんまり記憶にないってことは、それほどのインパクトを感じなかったんでしょうな。
今読むと強烈に思うところがあります。ジェフリー・ディヴァーすげぇ。
ひねりにひねった短篇16連発。原題もズバリ“Twisted”。これぞ「どんでん返しの魔術師」ディーヴァーの真骨頂だ!
スーパーモデルが選んだ究極のストーカー撃退法、オタク少年の逆襲譚、未亡人と詐欺師の騙しあい、釣り好きのエリートの秘密の釣果、有閑マダム相手の精神分析家の野望――。ディーヴァー・マジックが次々に炸裂するミステリー短篇集。お馴染みリンカーン・ライムとアメリア・サックスが登場する「クリスマス・プレゼント」は本書のための書き下ろし。2006年週刊文春ミステリーベスト10第8位、このミステリーがすごい!第2位。
また我々はランキングに弱いんだなぁ。
まえがき
位置: 48
意外にも、短編を書くのは、このうえなく楽しい体験だった──しかも、まるで予期していなかった理由で。長編小説の執筆では、ぼくは厳格な作法を固守している。悪を善に見せかけたり(その逆も)、読者の目の前に災難の予感をぶらぶらさせてみたりするのは大好きだが、結末では、善は善に、悪は悪に戻り、程度の差こそあれかならず善が勝利する。作家は読者に責任を負っている。時間とお金と感情を長編小説に注ぎこんだあげく、苦く皮肉に満ちたエンディングにがっかりさせられるなどという経験は、ぼくの読者には絶対にさせたくない。
しかし、長さ三十ページの短編となると、事情はまるでちがってくる。読者は、長編の場合とちがい、さほど多くの感情を投資しない。
作家としての主義があるんでしょうが。短編はその限りではない、と。ある意味投げっぱなしでいいところがいいそうな。なるほど、書く側の視点ですね。
ウィークエンダー
位置: 711
くそっ、なんて言ったらいいか。たまげた。気分がよかった。いやいや、光が見えたとか、そんなくだらないことじゃない。でもおれは人生で出会った人間を──親父でも別れた女房でも、トスでも誰でも本気で信用したことがなかった。心を通わせることはなかった。それが今夜はできた。こっちに害をおよぼしかねない見知らぬ他人を相手に。恐くはあったが、一方で気も楽になった。
翻訳口調だからなのかもしれませんが、なんだか納得できちゃうんですよね。こいつの中ではそうなんだな、ってね。
位置: 751
「本当にわからないのか?」ウェラーは頭を振った。やつはなぜそんなに落ち着いているのか。手はふるえていない。不安そうにあたりを見まわすでもない。そんなそぶりもない。「裏切るつもりだったら、さっき走ってきた警察の車を止めていたよ。でも、それはしないと私は言った。いまもそのつもりはない。きみのことは警察にはしゃべらないと約束した。だからしゃべらない。きみを裏切るなんて真似はしたくないんでね」
「じゃあ望みはなんだ?」おれはわめいた。「言えよ!」テープを引きちぎろうとした。やつがバックナイフを開く音を聞いて、おれは自分がしゃべったことを思い出していた。
おい、まさか……おい、やめろ。 〝ああ、目が見えなくなることだな。それが思いつくなかで最悪かな〟
「どうするつもりだ?」おれはつぶやいた。
「どうするつもりかって、ジャック?」ウェラーはバックナイフの刃の感触を親指で確かめると、おれの目を覗きこんだ。「ならば教えてやろう。今晩はたっぷり時間をかけて、私を殺すべきじゃないときみに話して聞かせた。いまからは……」
「なんだよ? 言えよ」
「いまからはたっぷり時間をかけて、やはり殺しておくべきだったときみに思い知らせてやろう」
そういう終わり方かい!ってね。短編だから許される。ヘンな心理ですね。短編だから仕方ないか、ってなるの。
しかしジェフリー・ディヴァー氏は空間を演出するのが上手。
サービス料として
位置: 1,148
ハリーは患者の呆然とした表情を楽しんだ。「あなたは何週間かまえに、頭のなかで声がすると自分から認めた。本物の患者はけっしてそんなことは言いません。自分はぜったいに正気だと言い張るんです」彼はゆっくりと歩きだした。「まだありますよ。あなたはなにかを読んで、だらしない身なりは精神疾患の徴候だという知識を仕入れたんでしょうね。服は破れて汚れていたし、靴紐を結ぶのも忘れていた……ところが化粧はいつでも完璧だった──警察に呼ばれて、私がアパートメントへ行った夜も。真正の精神障害の場合、化粧がまず最初におかしくなる。患者はただ塗りたくるんです。これは自分の正体を隠そうとする行動と関係してくる──興味がおありなら。
そういうもんかしらね。でもそういうもんだ!と言われると納得しちゃうんだな。
見解
位置: 1,989
エドとボズはそれぞれ良い警官と悪い警官を演じていた。手引書にもそれに関する解説が長々と載っていた。
セットで使うと本領発揮、ってね。なるほどマニュアルにありそうな話だ。アメとムチを短期間で示す。悪いやつらだね。でも真理だ。
位置: 2,012
エドの目配せを受け、ボズが言った。「おれも約束するよ、ネイト」相手が態度を軟化させたら、悪い警官も態度を改め、良い警官のようにふるまうべし、手引書にはそう書かれていた。「すまなかった」
まー、悪い。本当に手引書にかかれてそうだな。悪い奴らだ。主観で生きるやつらには生涯理解できぬやつだな。
三角関係
位置: 2,553
フライトアテンダントがモーに近づいた。「ジル・アンダーソンさんですね?」
モーがうなずいた。
フライトアテンダントが一枚の紙を差し出す。「サインをお願いできますか」
モーは差し出された文書をぼんやりと受け取ると、サインした。
それは非同伴小児運送申込書だった。子どもを一人きりで飛行機に乗せる場合、この申込書に保護者のサインが必要となる。
この「三角関係」なんていい叙述トリックですよ。理想的。また読みたいね。
この世はすべて一つの舞台
位置: 2,691
た。「おまえは 邪 な者、私は善きキリスト教徒でありながら、おまえを赦すすべを心中に見出すことができない。それでも、おまえの魂のために祈ろう。神はおそらく私より情け深いであろう。では行くがいい。今度おまえが目の前を横切ろうものなら、私の剣を握る手は物見をすることなく、おまえは思うが早いか、天の聖なる宮殿で申し開きをしている自分に気づくはずだ」
チャールズやシェイクスピアやグローブ座やらが出てくる。日本でも啄木鳥探偵とかがそういう感じよね。常に文豪たちがみんな集ってる。これもきっと、チャールズやディケンズやシェイクスピアに通じていれば面白い文章なんだろうな。教養はないけど、あたくしもこういうの、好き。
被包含犯罪
位置: 3,772
トリボウは立ち上がると、ごく短い冒頭陳述を行なった。ダニー・トリボウは、刑事法廷で正義の水脈を指し示す占い棒の役割を何よりも効果的に果たすのは、美辞麗句をちりばめた弁論ではなく、陪審の前に提示する事実から導き出される真実であると固く信じていた。
トリボウの主義主張が端的にわかる素晴らしい文章。
位置: 4,035
「残念だったな、検事さん」本日の英雄は少し間を置いて続けた。「な、言ったとおりだったろ。あんたに勝ち目はねえってさ」
弁護士の一人がハートマンに封筒を差し出した。ハートマンは封を開け、パスポートを取り出した
法廷サスペンスもかける、というジェフェリーの凄さ。ハラハラするよね。
位置: 4,043
ハートマンは笑みを浮かべ、扉に向かって歩きだそうとした。 「ああ、ハートマンさん」トリボウが呼び止めた。「もう一つだけ」
殺人者が振り返った。「何だよ?」
いいね。コロンボみたい。
位置: 4,073
ハートマンが降参した。「わかった、わかったよ。罰金でも何でも払うから、ここから出してくれ。いますぐ払うよ」
トリボウはハートマンの弁護士の顔を見た。「第一八条三一項の後半部分は、あなたから説明なさいますか」
弁護士はまいったなと首を振りながら言った。「これは重罪なんだよ、レイ」
「どういうことだ?」
「かならず実刑が科されるということだ。最短で六月、最長で五年」
「何だと?」ハートマンの目に恐怖が広がった。「いや、おれは刑務所には行かれねえ」弁護士に向き直り、腕をつかむ。「そう言っといたろうが。行けば殺される。冗談じゃねえ! 何とかしろよ! たまには報酬分の働きをしてみせろってんだ!」
試合に負けて勝負に勝って。大裁判では負け、簡単な余罪でしょっぴいて、あとは自業自得ってね。キレイな終わり方だ。
クリスマス・プレゼント
位置: 4,483
ふむ、強固な絆で結ばれた家族か──ライムは皮肉をこめて考えた。それがパーク・アヴェニューの精神科医を富豪にし、世界中の警察の電話を二十四時間鳴らし続けている。
皮肉だね。こういう物言いがハマるのも行間に漂う気品からこそ、かしらね。
位置: 4,812
「アンソニー……」スーザンは言いかけた。
アンソニー・ダルトンは向かいの椅子に腰を下ろした。「しばらくだね」「どうしてここに?」
「きみが行方不明になったと聞いて、カーリーのそばにいてやろうとあの警官の家に行った。心配したぞ。そのときにカーリーといろいろ話してね。これが私ときみへのカーリーからのプレゼントだそうだ。今夜、ためしに一緒に過ごしてみるというのが」
「カーリーはどこ?」
「ボーイフレンドの家に泊まりに行くそうだ」前夫は微笑んだ。「つまり、私たちにはあすの朝までたっぷり時間があるわけだ。二人きりで過ごせる。昔みたいに」
スーザンは立ち上がろうとした。しかしアンソニーは電光石火で立ち上がると、彼女の頬に平手打ちをした。顎の骨がみしりと音を立てるほどの力で。スーザンはソファに倒れこんだ。「私がいいと言うまで座ってろ」
ここ、背筋が凍りますよ。ほんと、嫌な予感はしていたけどね。素晴らしい文章だな。
感動の再開が恐怖に一気に落ちる。この落差。
位置: 4,997
「あの通路が何か?」
「証拠から推測できてしかるべきだった」ライムはぼそりと言った。「いつもどおりの人員を使えていればね。もっと効率的に解決できたはずだった」科学者であるライムは、証言や証人をはなから信用しようとしない。ライムはサックスにうなずいた。物的証拠を神とあがめるライムとは対照的に、ライムの呼びかたを借りれば〝市民第一〟の警察官であるサックスは、彼を補完する存在だった。そのサックスが説明した。「リンカーンは、あなたがこの夏にここに越してきたばかりだということを思い出したの。カーリーが今朝、そう話してた」
安楽椅子探偵には優秀な助手が必要。このバディ感よな。
位置: 5,034
「ママはそそっかしいから」消え入るような声だった。「まさか──」
スーザンはうなずいた。「お父さんに虐待を受けていたの。階段から突き落とされたり、麵棒や延長コードやテニスのラケットで殴られたり」
カーリーは母親に背を向けて家を見つめた。「ママはいつも言ってた。パパはすばらしい人だって。だからあたしはずっと思ってたわ。そんなにすてきな人なら、どうしてよりを戻さないのかしらって」
「真実からあなたを守りたかった。愛情にあふれたお父さんを持たせてあげたかった。でも、結局だめだった──あの人は、わたしを心から憎んでいた」
しかし、カーリーはかたくなだった。歳月をかけて積み上げられてきた嘘。彼女のためを思ってのことだとしても、理解するには、そして許すには、長い長い時間がかかることだろう。
夫婦の間の嘘も、程々にね。子どもたちには真実を話す必要も、たまにはあるということか。
パインクリークの未亡人
位置: 5,768
「正直に打ち明けると、あなたを信頼して大丈夫かしらと迷ったけれど」
「ニューヨークの出身だからかな?」ロールストンは微笑んだ。
「〝北部人の侵略戦争〟[南北戦争の南部での呼びかた]は、そうね、いまでもときおり醜い頭をもたげることがある……でも、ちがう。なぜ委任状をお渡しすることにしたか、わけを話すわね。未亡人は、自分の影に怯えていては生きていけないわ。怯えてることを世間に見抜かれてしまうから。血の匂いを嗅ぎつけたサメが群がってくるだろうから。次の瞬間には、さよならだわ。でもね、わたしはあなたの目を見て、こう自分に言い聞かせたの。この人を信じようって。全財産を直観に賭けてみようって。いえ、この場合は夫のお金をだわね。隠されたお金を」サンドラ・メイは書類に目を落とした。「あの事故の前なら、悩みがあればジムに相談したし、ジムと結婚する前は、母がいた。自分一人では何一つ決められなかった。でも、これからは一人で生きていかなければならないわ。自分の考えで選択できるようにならなくちゃ。手始めに、あなたを雇い、あなたを信じることを選んだの。これはわたしが わたしのために することよ。だから、その委任状を使ってお金の行方を突き止めて、取り返して」
ロールストンは代理委任状にもう一度丁寧に目を通し、署名を確認した。「これは撤回不能な委任状だよ。取り消すことはできない」
「撤回できる種類の委任状では、お金の行方を捜すこともできないし、必要が生じたとき訴訟を起こすことも不可能になると弁護士に助言されたの」
「そうか」ロールストンは彼女を見上げてまた微笑んだ……
この短編もよく出来たドンデン返しですよ。お手本のような話。
どれも教科書のように真っ当で、かつスリリング。
これは何度も読みたい。