これは芥川賞ですな。キレッキレですよ。

【第164回芥川賞受賞作】
逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。アイドル上野真幸を“解釈”することに心血を注ぐあかり。ある日突然、推しが炎上し――。デビュー作『かか』が第33回三島賞受賞。21歳、圧巻の第二作。

この作品に対して、完全に「新感覚」だと思えるので、あたくしが完全におじさんであることの証明になります。

位置: 36
「ハグしたときにね、耳にかかった髪の毛払ってくれて、何かついてたかなって思ったら」
成美が声をひそめる。
「いい匂いする、って」
やっば。小さい「っ」に力を込める。成美が「でしょ。もう絶対戻れないな」とチェキを元通りにしまう。去年まで成美が追っかけていたアイドルは留学すると言って芸能界を引退した。三日間、彼女は学校を休んだ。

やっば を鉤カッコでくくらない感じ。あたらしい日本語だなぁ。
しかしリズムが良い。ちょっと食い気味な8ビートな感じがする。

位置: 42
「生きてて偉い、って聞こえた一瞬」
成美は胸の奥で咳き込むようにわらい、「それも偉い」と言った。 「推しは命にかかわるからね」
生まれてきてくれてありがとうとかチケット当たんなくて死んだとか目が合ったから結婚だとか、仰々しい物言いをする人は多い。成美もあたしも例外ではないけど、調子のいいときばかり結婚とか言うのも嫌だし、〈病めるときも健やかなるときも推しを推す〉と書き込んだ。

生涯でそれほど推したことがないので良くわからない。
ファン?サポーター?ライフライン?なんでしょうね。

「今の推しは○○」なんて聞いたこともあるけど、この人の推し方はそんなレベルじゃないもんね。ファンも多様化かしら。

位置: 68
肉体の重さについた名前はあたしを一度は楽にしたけど、さらにそこにもたれ、ぶら下がるようになった自分を感じてもいた。推しを推すときだけあたしは重さから逃れられる。

そこまで推すのって大事なんかね。
自分のほうが大事だけどなー。違う感覚なんだろう。

位置: 80
真っ先に感じたのは痛みだった。めり込むような一瞬の鋭い痛みと、それから突き飛ばされたときに感じる衝撃にも似た痛み。窓枠に手をかけた少年が部屋に忍び込み、ショートブーツを履いた足先をぷらんと部屋のなかで泳がせたとき、彼の小さく尖った靴の先があたしの心臓に食い込んで、無造作に蹴り上げた。この痛みを覚えている、と思う。

思えば、痛いほど感動したことって、殆どないもんね。感受性が豊かなんだろうな。生きづらいほどに。

位置: 150
あたしのスタンスは作品も人もまるごと解釈し続けることだった。推しの見る世界を見たかった。

解釈し続けるって難しいよ。ほんと、こじつけ上等の世界ですからね。
推しの世界を見たい。推しを通して世界をみたい。そういう気持ちって、自分にゃ無いもんなぁ。推しの目は、推しの経験や技術があって初めて使えるものだと思うからね。肉体や経験と切り離せないものだからなぁ。

位置: 428
店長が「いい、いい、おれがやっとくから、あかりちゃん生持ってって」と豚肉をいったん冷蔵庫に入れる。店長が厨房を離れることがどういうことであるか、ということはあたしも理解しているのに、焦りばかりが思考に流れ込んで乳化するみたいに濁っていく。入ってきたときは敬語を使っていたスーツ姿の男の人が会計、と声を張るのが聞こえ、耳だけがそれを記憶し、かわりに三つのビールの泡が立てるかすかな音に 急き立てられるようにして盆を持っていく。

この忙しさに巻き取られる感じ、これは分かるんだよなぁ。
しかしリズムが良い。

位置: 471
何度も書いて覚えるんだよという先生の言葉通りに、一から十まで何度も繰り返して書いても、どうしてかみんなのようにはいかなかったのを覚えている。

そういうことがね。あるんですよ。あたくしにも、社会生活を阻害しない程度にはあります。これがね、自分でマネージメントできるうちはいいんですよ。誰だって多かれ少なかれあるでしょうから。

子供とかがね、そういう目にあっているのかと思うとね。そういうところがあるんじゃないかと思うとね。どうも、やるせない。

位置: 496
姉が「ママは褒めないからだめなんだよ」と母から庇うようにして「ひい姉が教えるね」と言い出した。姉から教わったことでいまでも覚えているのは、三人称単数のエス、しかない。動詞にエスをつけると姉が大げさなほど褒めてくれ、忘れても根気強く教えようとするので、あたしは姉に丸をつけてもらう前に神経をとがらせながら何べんもエスがついているのかどうか確認して、全問正解した。が、それを我がことのように喜んだ姉が翌日に出してきた問題を解くときには、三人称のことはまるきり頭になかった。悪意はなかった。姉は失望をありありと滲ませながらへたくそに気を遣った。

姉に強く共感するんだよなぁ。あたくしも兄ですから。
褒めて伸ばすなんてのはただの応用理論なんですよね。理屈は確かにそうかもしれない。ただ実践は大きく違う。

位置: 508
姉は、あたしが大根を箸で持ち上げ、頰張るのを目で追いながら、「違う」と泣いた。ノートに涙が落ちる。姉の字は小さく、走り書きであっても読みやすく整っている。 「やらなくていい、頑張らなくてもいいから、頑張ってるなんて言わないで。否定しないで」

お姉ちゃんの未熟さも、結構あれよね。
まとも的な感じの立ち位置の人だけに、結構あれ。

響けユーフォニアムを思い出しますね。久美子はだめな子じゃなかったけど。
自分がだめな子だったら、子供がだめな子だったら、そういうこと、考えちゃうよね。

位置: 557
相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。

これはまさにアイドルを神格化する行為なんだろうな。
密教的という印象。

あんまり分からないんだよね、そういう感覚。

位置: 570
推しを本気で追いかける。推しを解釈してブログに残す。テレビの録画を戻しメモを取りながら、以前姉がこういう静けさで勉強に打ち込んでいた瞬間があったなと思った。全身全霊で打ち込めることが、あたしにもあるという事実を推しが教えてくれた。

全身全霊で打ち込めることをやる。それ自体は良いことなんだろうな。

いや、どうなんだろう。それで食っていけなかったら。

位置: 588
五位の椅子に推しが座っているのを観た途端、最下位だったのだと悟った。
頭のなかが黒く、赤く、わけのわからない怒りのような色に染まった。なんで? と口の中にぶつけるみたいに小さく声に出すと、たちどころにそれは、加速し、熱を持つ。前回推しは真ん中の柔らかそうな布の敷かれた豪華な椅子に座っていて、派手な王冠に戸惑ったようにはにかんでいた。柔らかく崩れるときの表情が珍しくてかわいくって、待ち受けにしたり何度も観返してはSNSに〈いとしい、かわいい、がんばったね〉って載せたりしていたのに、いま普通の椅子に腰をかけて脚を前後にずらし、司会者の言葉に相槌を打っている推しの顔はまともに見られなかった。

その、神格化したはずの推しが、結婚だのランキング落ちただのってときに、がっかりするのがよくわからないんだよな。いいじゃん。自分と一対一の関係なんだから。そこに満足すれば。ねぇ。

中途半端に社会的であろうとするスタンスが、下手に生きづらい理由なのではなかろうかと思ったりもする。

位置: 617
八月十五日にはあたしが一番おいしいと思うスポンジの黄色いケーキ屋さんでホールケーキを買い、チョコプレートに描いてもらった推しの似顔絵の周りに 蠟燭 を立て、火をつけて、インスタにストーリーを上げてからぜんぶひとりで食べた。途中苦しくなったけど、いま諦めたら推しにもせっかく買ったケーキにも誠実でない気がして、喉に残る生クリームを苺の水分で押し込んだ。

結局、己の中で精錬されていきたい感情が支配していくんだよね。
そういう感覚ってある。己を粛清するというか。

位置: 628
あたしは徐々に、自分の肉体をわざと追い詰め削ぎ取ることに躍起になっている自分、きつさを追い求めている自分を感じ始めた。体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが、自分自身を浄化するような気がすることがある。つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。

これも自己粛清の一貫か。浄化される気がするんだ。
そこに救いを見出すのってよくあること。

位置: 663
姉だったらこういうとき臆面もなく涙を流せるのかもしれないが、あたしはそれは甘えかかるようで卑しいと思う。肉体に負けている感じがする。

肉体に負けない、精神が凌駕する。
そういう考え方も若くて痛くて。どうしてその痛みを、あたくしは読みたいんだろう。

位置: 689
あたしの中退を、誰より受け止められずにいたのは母だった。母には思い描く理想があり、今の彼女を取り巻く環境はことごとくそれから外れていた。次女の中退に限らない。年取った母の体調が悪化している。最近代わった担当医の愛想が悪い。直属の部下が妊娠したので仕事量が増える。電気代が増える。隣の夫婦の植えた植物が伸びてきてうちの敷地に入り込んでいる。夫の一時帰国が仕事上の都合で延期になる。買ってきたばかりの鍋の取っ手が取れたのに、メーカーの対応が雑で一週間経っても代わりの品が届かない。

こういうの、とても分かるけど、よくないよね。
誰かのエゴを、特に家族のエゴを、具体化して茶化しても、なんにも前に進めない。

人が限界を迎えているときに、我々に出来ることは寄り添うことですよ。
これは実体験からくるものですがね。

もちろん、『推し燃ゆ』の主人公にそれを求めているわけではない。

位置: 793
突然、以前見た父のツイートが浮かんだからだった。父はいわゆるおっさん構文の使い手だった。以前、拡散された女性声優さんの投稿への返信に見覚えのある緑のソファの写真が添付されていて、偶然だなってひらいたらどう考えても父の単身赴任先の部屋だったということがある。
〈かなみんと同じソファを買いました(^_^) 残業&ひとりさびしく晩酌(;^_^A) 明日も頑張るぞ!〉
赤いビックリマークで締め括られ、似たような絵文字を使った投稿は他にも何個かあった。単身赴任で日本にいない父、洒落た色のスーツを着こなし、時々帰ってきては明るく無神経なことを言う

おっさん構文!カロリーの高いワードであります。

勘弁してくれ、と思うけどね。立派にあたくしもおっさん構文の使い手であります。ボキャ貧なんだな。

位置: 806
父は理路整然と、解決に向かってしゃべる。明快に、冷静に、様々なことを難なくこなせる人特有のほほえみさえ浮かべて、しゃべる。父や、他の大人たちが言うことは、すべてわかり切っていることで、あたしがすでに何度も自分に問いかけたことだった。
「働かない人は生きていけないんだよ。野生動物と同じで、餌をとらなきゃ死ぬんだから」
「なら、死ぬ」
「ううん、ううん、今そんな話はしていない」

あたくしも、将来娘たちにこういう話をしなければならないのでしょうか。考えるだけで憂鬱だ。さて、生きづらさを抱えた娘たちに何か言うことはあるだろうか。

しかしセリフがいちいちリアルすぎるやろ。

位置: 895
背中がかゆくなったような気がしてシャワーを浴びようと思い、物干し竿から直接下着と寝間着を取ってこようとして、庭に出て気がついた。
にわか雨と洗濯物の、ひとつずつを認識しているのに、それが結びつかない。この家に来てからもう何回めだかわからない。たわんだ物干し竿に濡れて色が濃くなった洗濯物がひしめいていて、これって洗い直さなきゃなのかなあ、と思いながらバスタオルをしぼっていると、ばたたと落ちていく水の音が体のなかの空洞にひびきわたる。草の上に落ちる水の重さがそっくりそのまま面倒くささだと思い、ぜんぶ手でしぼってから放置した。そのうち乾くだろうと思った

ガールズバンドの歌詞みたいだ。
しかし、そういう認識がうまく連結しないことって、あると思うんですよね。

そういうボタンの掛け違いみたいなのを延々と読ませる、たまらない作品でした。大好きだな。

投稿者 写楽斎ジョニー

都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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