まさに平易。ちょっと自分には平易すぎて物足りないくらいかなーと読み始めは思いましたが、どうしてなかなか。いいですよ。
もっとも分かりやすい、著者初「政治」の入門書!
学校で教わって以来、学ぶ機会がない「政治」。大人でさえ、意外とその成り立ちや仕組みをほとんんど知らない。しかし、分かり合えない他者と対話し、互いの意見を認め合いながら合意形成をしていく政治という行為は、実は私たちも日常でおこなっている。本書では、難解だと決めつけがちで縁遠く感じる「政治」の歴史・概念・仕組みが2時間で理解できる。政治の基本概念は、どのように私たちの生活に直結しているのか。自分なりに政治の「よしあし」を見極めるポイントはどこにあるのか。「右派と左派」「民主主義」から「税金と政策」まで。思わず子供にも教えたくなる、政治と自分の「つながり」を再発見するための教養講義。
著者の研究テーマであるところのガンディーを例に出して、政治について教えてくれます。
位置: 36
政治とは、「簡単には分かり合えない多様な他者とともに、何とか社会を続けていく方法の模索」であると考えています。
夫婦生活、ってことか。違うか。
位置: 86
実は、この言葉の起源は、フランス革命にまで 遡ります。一八世紀末、それまでの絶対王政を倒して国民主権の国家を成立させた市民革命ですね。その革命開始後に開かれた国民議会で、議長から見て左側に座っていたのが急進的な革命派、それに対して右側に座っていたのがいわゆる守旧派、旧体制を 擁護 する立場を取る人たちでした。これが、やがてそれぞれ「左派」「右派」と呼ばれるようになっていくのです。
議長からみて、ってのがいいよね。議会を見ている人じゃなくて。
位置: 137
神ではなく理性によって私たちの存在が定義できるのであれば、その理性に合致するかどうか、つまり「合理性」が非常に重要な価値観であることになります。
合理性の理は、ずっと理科、科学だと思っていたのですが、違いました。理性なんだそう。なんだ、あくまで感覚ですか。ちょっとがっかり。
位置: 197
そのように、ある特定の過去に対する回帰の念が強いのが、原理主義の特徴です。日本の右翼も同じで、万葉の時代、あるいは天皇の 大御心 にすべてが包まれていた世界へと回帰しよう、国体(天皇を中心とする国のあり方) を取り戻そうといったいい方がしばしばされます。
なるほど。回帰の念ね。
でも近ごろの右翼はもっと多様化している気もする。あれは右翼ではないのかしら。
位置: 211
保守思想の父といわれる、エドマンド・バーク(一七二九~九七) という人物がいます。アイルランド出身のイギリスの政治家で、フランス革命が起こった後、多くの人が「国民国家の誕生だ」と熱狂する中、『フランス革命の省察』(一七九〇年) という本で、フランス革命を厳しく批判しました。
バーク氏の主張である「人間の理性はそれほど完璧ではない」というのはあたくしも強く同意するところであります。理性だの本能だの、あまりに信じすぎている。
位置: 228
過去に生きた無数の人々によって積み重ねられ、長年の歴史の 風雪 にも耐えて残ってきた経験知や良識、伝統や慣習。そうしたものの中に、実は非常に重要な叡智が存在するのではないか。それを無視し、「抜本的な改革」などといって物事を一気に変えようとする発想は、理性に対する過信、自分たちの能力に対するうぬぼれではないかと考えたのです。
古典が好きなあたくし。それはある種の歴史の風雪への信頼ですな。
バーク氏の主張はもっともな気がします。
位置: 238
大切なものを守るためには、むしろ変わっていかなくてはならないというわけです。バークはこれを、「保守するための改革(Reform to conserve)」という言葉で表現しています。
ま、よく言われる老舗の味は変わっているってやつですね。
位置: 246
だから今の状況から何も動かさないという、反動的な考え方も取りません。常に世の中の変化に合わせて、 漸進 的(gradual) に変化していくことが大切だと考えるのです。この「永遠の微調整」こそが、保守の本質だと思います。
いい言葉だな、永遠の微調整。
だから抜本的とかいうのは保守ではないのか。難しいね。今の日本に本来の意味の右翼ってのは思ったより少ないのかも。
位置: 251
今の日本では、政治的な立ち位置を「保守 vs. リベラル」という対立軸で語ることが多いようですが、私はそれは違うのではないかと考えています。リベラルを「すべての人の自由を尊重する」ことだとするならば、保守はリベラルに非常に近接した考え方だと思うのです。
なるほど、腑に落ちる。
位置: 265
しかし私は、二〇世紀の後半ごろから徐々にその意味が失われ、現在ではほぼ失効していると考えています。現代の思想や政治の状況は、「左」「右」という概念ではとらえきれません。
その最大の理由は、「人間の理性」という価値観をもっとも重要視してきたはずの左派の人たちが、現代では必ずしもそうとはいえなくなっているからです。
右が色々なら左も色々。
なるほど、そうかもしれない。
位置: 285
では、それに代わって今、政治的な思想や立ち位置を測るような概念はどこにあるのか。私が提案したいのは、政治的な対立軸を「お金」と「価値」というベクトルで考えることです。位置: 351
このX軸の両極は「リベラル」と「パターナル」です。リベラルの対立軸はよく「保守」といわれますが、第1章で説明したように、保守とリベラルはむしろ非常に近い関係にあり、対立概念とはいえません。「パターナル」は、日本語だと「 父権 的」などと訳される考え方です。
これはしっくり来ましたね。
なるほど、確かに父権的でない保守というのもいるからか。あんまりイメージ湧きませんが。
位置: 356
近代政治学におけるリベラルの起源は、ヨーロッパの「三〇年戦争」に遡ります。これは、一六〇〇年代前半にカトリックとプロテスタントとの宗教対立が軸になって起きた戦争です。
戦争の結果、お互いに消耗戦になって、その反省から「リベラル」、つまり寛容ということになったわけだそうな。
位置: 378
リベラルが互いの思想や価値観の自由を保障する考え方であるならば、その対立軸となる「パターナル」は「強い力を持った人間が、相手の思想や価値観に介入していく」という考え方
これこれ、こういうのホント嫌い。
そういう意味じゃあたくしはリベラル好きなんだな。
位置: 431
三つ目の公務員数はどうでしょうか。日本は「公務員天国」などといわれたりして、公務員が多すぎるというイメージが浸透していますが、きちんと比較してみると、実は顕著に少ないのです。
たとえば、人口1000人あたりの公務員数を比較してみると、フランスでは80~90人台です。アメリカは75人くらい。スウェーデンやデンマークのような北欧諸国では100人を超えています。一方、ヨーロッパの中でコンパクトな政府といわれているドイツは60人台後半です。
では、日本はどうでしょうか。実は1000人あたり、30人台後半から40人台前半くらいという数値が出ています。フランスの半分程度です。
これは面白い指摘。公務員の数、少なすぎってか。
まぁ、アウトソーシングの時代ですからね。少なくってもいいんじゃないの。
位置: 456
しかし、この社会の支え合いがうまく機能していない、いわば「社会に穴が開いている」のは日本だけではなく、いまや世界的な問題なのです。このことについては、ポーランド生まれの社会学者、ジグムント・バウマン(1925~2017) が指摘しています。
彼は、著書『リキッド・モダニティ』(2000年) の中で、現代社会は「クローク型共同体」であると書いています。
実際、そういう実感はありますね。
位置: 466
彼は「カーニバル型共同体」といういい方もしていますが、より現代的ないい方をすれば「炎上社会」「バズる社会」のことです。
実際、バズったもん勝ちの世間になってきている実感はあります。
あたくしはこのブログも含め、対極的に生きようと思っていますが。
位置: 501
「あなたは、イスラム教徒によって殺されたヒンドゥー教徒の孤児を三人引き取りなさい。そして、その子たちをイスラム教徒ではなく、ヒンドゥー教徒として育てるのです。その子たちが立派に成長し、あなたに感謝の念を述べたとき、あなたに本当の赦しがやってくるでしょう。
ガンディーやべぇ。
こういうのって話半分でいいと思うけど、エピソードかっこ良すぎ。
どこまで本当かしらね。
位置: 525
ところがある日、やはり妻と部屋で過ごしている間に、父親が息を引き取ってしまいます。父親の死に目に 遭えなかったことで、ガンディーは生涯にわたって自分を責め続けました。この時の性欲を「黒い汚点」ともいっています。
性欲と嫉妬に塗れることなく、生きていく。
これがあたくしのここんところのテーマです。
位置: 554
そこでガンディーがおこなったのは、仲間とともに共同農場を立ち上げることでした。差別のない、誰もが平等に暮らせる自給自足の共同体を作ろうとしたのです。南アフリカに呼び寄せて一緒に暮らし始めていた妻にも実践を求め、「宝飾類は富の格差を共同体に持ち込むことになるから手放せ」「みんなと交代でトイレ掃除をしなさい」などと指示しました。ガンディーの妻のような上位カーストの人間には、トイレ掃除は非常に 屈辱 的 な行為でした。しかしガンディーは、それを強要したのです。
同時に、自分の欲望を徹底的に抑制するとして、妻との性的な交わりを絶つことを宣言します。「私はあなただけを愛しているのではなく、世界人類を愛しているのだ」というのですが、妻としては傷ついたでしょう。
こういう突っ走るタイプって、やっぱり周りは迷惑です。
知行合一じゃないけどさ、そういうのって辛いよ。
やっぱり半径5m以内を幸せにしていく生き方ってのも大事ですよね。
位置: 597
ガンディーはこの事件を「ヒマラヤほどの誤算」である、といいました。そして、「このようなことが起こるのならインドには独立する資格がない」といって、運動から身を引いてしまうのです。
そしてナイーブっていうね。
なかなか付き合いづらいお人。
ヒマラヤほどの、というと千のバイオリンを思い出すのはあたくしだけじゃないはず。
位置: 676 しかし、ガンディーがおこなったのは、特定の宗教の枠組みを超えた「メタ宗教」を政治に取り込むことでした。そうした政治と宗教が接続する構造の重要性については、もう一度考えてみる必要があるように思います。
人間は違う宗教の人には結構冷たくなる傾向がありますからね。 メタ宗教って難しいよね。なんだかんだ、国って宗教と結びついてるもんね。根底にあるんだろうな。
位置: 711 つまり、過半数がイエスといった法律やものごとが通っていくシステムが民主、過半数がイエスといっても駄目なことがあるというのが立憲です。この地点において、民主と立憲とは衝突することになります。
立憲民主党って、そう考えるとすごい名前だわな。 立憲の考え方は韓非子にも繋がる気がして好きなんだな。
位置: 746 憲法というのは、死者たちが積み重ねた失敗の末に、経験知によって構成した「こういうことはやってはいけない」というルールです。過去の人々が未来に対して「いくら過半数がいいといっても、やってはいけないことがあるよ」と信託している。これが立憲の考え方なのです。 対して民主主義は、生きている人たちの過半数によって物事を決めるわけですから、主語は当然「生きている人」になります。この主語の違いが、立憲と民主を考える上での重要なポイントになります。
死者の上に成り立っている、という考え方、好きですねぇ。 死してなお役に立てる、というのは何だか励ましになる。
位置: 766 しかし、2015年10月に野党が臨時国会の開催を要求したとき、総議員の四分の一以上の連名による要求であったにもかかわらず、当時の安倍政権は応じませんでした。強行採決で成立したばかりだった安保法制についてこれ以上議論したくなかったのでしょう。「要求があってから何日以内に開催しろとは憲法に書かれていない、いつでもいいんだ」という理屈を強引に持ち出して拒否したのです。結局は、開催される前に次の通常国会の開会日になり、臨時国会は開かれないままでした。 このように、「自分たちは民意によって選ばれている」ということを 楯 に、これまで長い年月をかけて積み重ねられてきた経験知、慣習や伝統を平気で無視する政治家が出てきた。それによって憲法の安定性が損なわれているのが、現代という時代だといえます。
安倍政権は保守ではないのだ。改憲派だしね。 自民党は保守ではないのだ。強いて言えば、パターナル、父権的なのだ。
位置: 774 私はよく、憲法の好きな条文を聞かれると「九七条」と答えます。九七条には、次のように書かれています。 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去 幾多 の試錬に 堪へ、現在 及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
あたくしもこれからはそう答えよう……ってそんな機会ないか。 将来の国民に対し、って発想がステキ。
位置: 787 逆にいえば、死者からの信託を忘れた時代、死者の存在を自分たちの共同体の外に置いてきた私たちの社会は、民主主義が暴走しやすい状況になっているのではないかというのが、私の考えです。 死者の存在を無視して、生きている人間だけで物事を決定しようとする。それは、生者の 驕りに過ぎません。民主主義は常に、死者によって制約された民主主義、立憲民主主義でなければならないのです。
生者の驕り、ってそんなふうに考えたことない。けど、かっこいいフレーズだな。 確かに死者の存在を外に置きがちな自負はあります。
位置: 811 ベッドに入ってからふと、この三時間は何だったんだろう、と考えました。そのときに「ああ、そうか」と思ったのです。私は亡くなった友人と出会い直したのだ。彼はいなくなったと思っていたけれど、そうではない。彼がいなかったら、書き直した原稿は生まれなかっただろう。彼はもう、生きてはいないけれど、死者として確かに存在していて、私と対話を続けているんだ──。なぜこんな当たり前のことに気づかなかったのだろう、と思って、深い 安堵 感 を覚えました。そして、この「出会い直し」を大切にすることこそが、私がこれから「よく生きる」ということなのではないか、と感じたのです。
よくいう「墓参り」の効果ってやつですね。 神社も仏閣もそれほど興味がないあたくしですが、墓は必要だと思っています。
それは死者との対話が大切だと思っているからですね。 平易でいい本でした。