最近、仕事で関わることが多くてね。
「はじめに」より
本書は、精神医療界のオールスターチームによるメンタルヘルス向上のためのガイドブックです。回復に役立つ知識から社会的課題を解消するヒントまで、ありったけの情報を盛り込みました。
個々に主役を張れるほど著名な精神科医たちに、ウルトラ兄弟のように大集結してもらったのには理由があります。薬にばかり頼って来た精神医療が袋小路に入り込み、史上最大級のピンチに直面しているからです。このままでは患者が益々追い込まれてしまいます。(中略)
各章に登場する精神科医たちは、20世紀から続いてきた薬物療法偏重という生物学的精神医学の激流の中で、時に大波にのまれながらも踏み止まり、患者の「こころ」と向き合い続けた人たちです。葛藤の中で見出された精神療法などの叡知を、生きづらい自分や劣化する社会を変えるために共有し、「みんな」のものにしたい。それが本書の狙いです。
健常者には一番理解できないタイプの障害である精神障害。
あたくしも無縁で来ましたが、ここにきて仕事で関わることが多くなったので、とりあえず読んでみました。
第一章 依存症「ヒトは生きるために依存する」
位置: 115
「以来、私は診療の場面で自殺念慮について問うことを恐れなくなった。というよりも、問わなければ取り返しがつかない事態が起きると信じるようになった。あいかわらず、診察場面では患者の冗長な話に苛立ち、また、苦手意識を払拭できない患者も依然として存在したままではあるが、それでも、心のなかにある墓標に刻まれた言葉だけは肝に銘じている。曰く、『次回の診療予約をとること自体に治療的な意味があり、予約の有無こそが生ける人と死せる人とを隔てるものなのだ』と」
なかなかハードな経験。患者の冗長な話という点に共感。あれ、言語化が苦手だからなんだろうな、とおもう。次の約束が治療的な意味がある、というのは通じるところ。
位置: 137
現在も、子どもたちをメインターゲットとした「ダメ。ゼッタイ。」キャンペーンが継続中です。このような単純化し過ぎた脅迫的メッセージによって、覚せい剤は一度でも使ったら止められなくなり、人間ですらなくなる、という恐怖が私たちに刷り込まれたのです。ところが実際は「薬物依存の専門医でも、ゾンビのような患者にはほとんど出くわしません」と松本さんは語ります。
そーなん?ま、確かにゾンビじゃないかもしれないけどね。でも、「じゃあ一回だけ」が許されるべきかどうかというのは慎重になるべきじゃない?世の中、短期的な快楽に耐えられる人ばかりじゃないよ。
「人間ですらなくなる」という恐怖は、明確に意図的に植え付けようとしているだろうね。でも、そのほうが良いんじゃないかな。
位置: 194
ドラッグ、アルコールなど、様々な薬物の依存症患者と診察室で向き合ってきました。これらの薬物の中で、その害が日本では特に軽視されているのが「アルコール」だと松本さんは言います。
日本ではアルコールはソーシャル・ドラッグだからね。あたくしも中毒の手前だからな。危険だとは思う。ただ、社会的に許容される文化だから、まだこの薬物を利用しているよ。
位置: 220
「孤立の病」とも呼ばれる依存症のなりやすさには個人差があります。その差について松本さんは、「使用目的が『苦痛の緩和』の場合、依存症に陥りやすい」と指摘し、次のように語ります。位置: 225
薬物依存症患者の多くは、快楽追求ではなく、生きる苦痛の緩和のために薬物を使い続けるのです。ひとりきりで苦痛の激流に流され、救助を求めたいのに声を上げられず、それでも生きようとして必死にすがりついたモノが、巡りあわせで違法薬物だった人もいます。薬物依存は長期的にみれば健康を害する行為ですが、それは「生きのびるための不健康」だと松本さんは言います。
「生き延びるための不健康」ね。あたくしにとってお酒はそうだな。現実逃避のための不健康。まさにそれだよ。お酒が辞められないわけだ。
位置: 299
また2018年度の診療報酬改定では、医師が薬剤師らと連携して向精神薬の減薬に取り組む場合の評価が新設され、2022年には厚労省がベンゾの処方薬依存を「重篤副作用」と位置づけた対応マニュアルを作成しました。
「精神科医は薬を売ることで儲けている」という批判も、一部は反論できそうね。
位置: 305
精神科医は薬をたくさん出すことで儲けている、と批判する人は多いのですが、診療報酬制度は、薬を出せば出すほど儲かるような甘い仕組みにはなっていません。ベンゾを大量処方しても医療機関が得るのは基本的には少額の処方箋料などだけなので、量は関係ありません。
量は関係ないんだね。でも、めちゃめちゃ薬出す医者も多いけどね。あれは善意でやってるんだろうか。薬でお腹がいっぱいになっちゃうような量出す人、いるよ。
位置: 315
こうした外来を松本さんは「夜眠れてるか? 飯食べてるか? 歯磨いたか? じゃ、また来週」で終わる「ドリフ外来」と揶揄したこともあります。
ドリフ外来(笑)あるんだろうなぁ。あたくしも患者と話してると、本当にドリフ外来やる医者が多そうだと思うわ。
位置: 322
精神科病院を通常の医療機関としてではなく、〝犯罪者予備軍〟や〝目障りな人々〟の収容所として民間に乱造させ、低人件費で「安かろう、悪かろう」経営を続けさせてきた国ですから、精神医療の治療効果など端から信じていないのかもしれません。
とはいえ、一旦収監する施設としての精神科病院が必要だとも、あたくしは思います。それを「臭いものに蓋」と揶揄するのは簡単だけどね。「安かろう悪かろう」なのはもちろんよくありませんが。
コラム「ようこそ外来」とハームリダクション
位置: 371
「自己評価がとても低いので、きちんとした男性といると落ち着かないのです。自分のダメな部分を見透かされると思うのでしょう。そしてダメ男に引き寄せられ、お世話をして優しい言葉を時々かけてもらい、小さな自己肯定感を得ます。しかし、男の暴力や暴言がエスカレートすると、非常に苦しくなっていきます。それでも別れられずにお世話を続けてしまうのは、アディクション(依存症) そのものです。一方のダメ男の背景にも、大抵は逆境体験があります」
自己評価がとても低い、というのは結構厄介なんだよね。あたくしも低めだったからわかる。そのくせ、自己肯定感は欲しくて自己愛に溢れてる。「傲慢と善良」みたいだね。
第2章 発達障害「精神疾患の見方が根底から変わる」
位置: 587
統合失調症と診断されて薬物治療を受け続ける人の中には、子どもの頃に継続的ないじめを受けたり、親からの虐待を受け続けたりした経験のある人が多く、筆者の周囲でも目立ちます。彼らに生じた「幻聴」や「妄想」の多くは、実は聴覚性フラッシュバックや被害関係念慮であり、誤診だったのかもしれません。
発達障害、というのはさらに分かりづらい。そもそも、このカテゴライズにどれだけ意味があるのかは分かりません。「だからなに?」と言いたい気持ちもある。
とはいえ、生きづらいだろうなぁ。発達障害の人は。周りの人間にもストレスになったりするしね。
位置: 672
「精神科医に必要な力は、情報収集力、ストーリーを読む力、本人に納得して治療を受けてもらう力、この3つだと思います。
それは本当にそうだと思う。信頼関係が、とても大切な診療科です。
位置: 682
患者がもし、「薬は嫌だ」という思いを貫いたら、それ以外の方法を検討し、提供することになります。ところが精神科では、原田さんのようにそれ以外の方法も一緒に考えてくれる医師は少なく、多くの場合、「うちでは診られないから他に行ってくれ」と追い払われます。
あたくしのお客さんにもいますね。薬不信。それはそれでいいんだけど、その代替の治療法がホメオパシーだったり非科学的なものだったりして、むにゃむにゃな気持ちになる。
第3章 統合失調症「開かれた対話の劇的効果」
位置: 1,033
今の医療は、圧倒的にバイオロジー(生物学) なのです。精神科医は、どうしても内科医のように振る舞いたいんですよ。その欲望がある限り、バイオロジーは捨てられないと思います。精神科医は、今さら心理士やカウンセラーのようなことはしたくないのです。内科医のように正しい診断をして、正しい治療をすれば治る、という幻想をなかなか捨てられません」
「うつは病気で、薬で治る」は良い面・悪い面があって、という話かな。確かに「内科医」のように振る舞えれば楽かもしれない。ただ、それを本著では「幻想」と。楽をさせないねぇ。
位置: 1,041
「世界中の学者が 50 年以上も研究してきて、いまだに統合失調症もうつ病も、発達障害すらもバイオマーカー(診断に有効な血液検査などの生物学的指標) がないのです。こんなに研究しても見つからないということは、もう無理だと私は思います。無理なことをやらなくても、オープンダイアローグの手法で治療できるわけですから、バイオロジカルな探求ばかりに汲々としていないで、もうちょっと精神療法の力を信じてもいいのではないかと、最近の経験から思い始めています」
生物学的病気ではない、という解釈なのかな。統合失調症は脳スキャンでわかる、という話を聞いたことがありますが、どうなんでしょうか。
位置: 1,051
「ご家族からよく、『どこに行けばオープンダイアローグを受けられますか』と質問されます。そんな時は、『まずはODNJPのガイドラインをダウンロードして、これを参考にご自分たちでやってみてください』と答えています。結局、対話の実践は家に持ち帰って行うものなので、人任せにしないでご自分たちで始めてください、とお伝えしています。
家族も大変だ。統合失調症の相手は家族じゃなくたって、むしろ家族だからなのかもしれないけど、楽じゃない、というか辛いからね。あたくしもずいぶんと辛い思いをしています。
第6章 自殺「なぜ自ら死を選ぶのか」
位置: 2,107
張さんは「絶望の中身を見ないといけない」とし、その中身とは「疎外感とお荷物感」だと語ります。
逆にいえば「仲間感と貢献感」があれば絶望はしない、ということかしら。確かに一理はある気がします。「自分は誰の、何の役にも立っていない」というのは辛い。
コラム 面接時間を延ばす
位置: 2,166
「病院で時間に追われていた頃と比べると、薬を使う患者さんの割合がだいぶ減りました。精神疾患には生物学的な要素があるので、薬を否定しているわけではなく、むしろ私は薬を積極的に使う方です。それでも、面接時間が長くなると患者さんの回復度が上がり、薬が減っていくのです。今、私の外来で薬を使っている患者さんは3割くらいです」
あたくしのお客さんでも、「薬漬けは嫌だ」という方がいます。大体はきちんと調べていない「なにか嫌だ」の域を出ない人ですね。そういう人にもカウンセリングは有効かもしれません。「なにか」を取り除くのは他者からの刺激しかない気がします。
位置: 2,171
野村さんは近年、面接の中で「老子哲学」を生かし始めたそうです。 「老子哲学の根幹には、『 無為自然』(ことさらに知や欲を働かせず自然に生きる) という考え方があり、老子が書いたと伝えられる『 道徳経』には、弱さの勧めがちりばめられています。
年をとると、中国哲学が染みるんだ。これは医療関係ないね。
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