隆慶一郎著『時代小説の愉しみ』感想 こだわりの時代小説おじさん

ギャル批判でおなじみの隆慶一郎先生。

志を立て、それに殉じた英傑たち。彼らの誇りはいまなお烈々と訴えかけてくる。その志・誇りに光を照射してみる。織田信長・武田信玄・明智光秀らに新解釈を加え、歴史上の人物の器量と命運をダイナミックにはかりながら、人間の面白味を発見してゆく。著者の風格と風貌を鮮やかに伝える歴史エッセイ集。

ロマン主義的というのか、ちょっと話の膨らませ方に特徴のある御方、という印象。とはいえ、その著作のほとんどは未読。恥ずべきことである。

まずはそのエッセイから。

いじめっ子は「家庭に不満」

位置: 375
この手の調査は大変結構だし、もっと詳細に一般に公表してほしいと思う。だが、この結果から、そういう家庭状況だからいじめっ子ができた、などと思わせないでもらいたい。いじめっ子は明白な 悪 であり、悪は根源的にはその人間固有のものだ。時代のせいでも家庭状況のせいでもない。それでなくては人間たることの意味がない。

お怒りです。

家庭環境のせいにでもしないと、悪がその人間性の問題になるからね。そうすると不都合に思う人もいます。「更生など不可能」としてしまうと死刑しかなくなるし、人権あたりの意識とはだいぶ乖離があるでしょう。

でも、今の世の中でこういうこと言えるのってもう作家くらいしかいないんじゃないかな。

非行の低年齢化

位置: 646
ある日、自分の鏡に映った姿が醜いと感じた瞬間に、非行は終わるのである。

これを美学の進化、という言い方を先生はされています。これは先生らしいロマン主義的な発想。

位置: 1,478
「攻めて来ないのをいいことにして、むざむざと敵軍の通過を許すとは何事か。半刻・一刻でも信玄の西上を遅らすのがお前のつとめではないか。何という頼りにならぬ同盟者か」  信長にそう思われてはおしまいである。

三方原について。信玄は流石にすごい。家康には籠城という選択は出来やしないのだ。死ぬ間際になって、この判断ができるんだから、信玄およびチーム信玄はすごいよね。

わりとあっけなく勝頼の時代に滅亡するけど、ホント不思議。

位置: 1,895
大体僕は「一人の人間の生命は地球より重い」などという言葉が嫌いである。この言葉ほど人間の思い上がりを示すものはない。まるで地球は人間の持ち物だと言わんばかりではないか。冗談ではない。地球上には人間以外の動物も植物もいる。彼等から見れば、人間は正に天敵以外の何物でもあるまい。恐竜のように早く絶滅してほしい種族であろう。
少なくともその視野あるいはすまなさの心を持たぬ人間は、僕には破廉恥に見えて仕方がない。ましてや人間を人間たらしめている条件である誇りの念も持たず、いたずらな長命を求める人種は醜悪な貪欲の塊のように思える。

この視点には同意も反発もしますね。この世は人類史上主義でないと、肯定できないことが多すぎる。人間は繁栄しすぎて、もはや自分たちでは止められないという意識があたくしにはある。

一方で、おっしゃるとおり破廉恥だとも思う。

あたくしには到底できる所業ではないが、理想としては「破廉恥ながら繁栄するしかない」という人間の態度が正しいと思う。

位置: 1,941
「どうして時代小説ばかり書くんですか」
この頃よくそう問われる。
私の答はきまっている。
「死人の方が、生きてる人間より確かだからでしょうね」
皆、ちょっと変な顔をして笑うが、私は本当のところをいっているのだ。

『棺を蓋うて後、はじめて定まる』
という言葉がある。定まるのは、その人の声価の意である。

ちょっと分かりますね。同時に死人のほうが不確かだけどね。
昭和の人間は資料が残りすぎているから、発想の余地が少ないとも思います。

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