あからさまに『吾輩は猫である』なんだよね。
著者の創作の舞台裏である愛猫とふたり(?)の珍妙なアパート暮しのようすを軽妙な筆致で、自由に綴る批評的自画像。見かけだけ贅沢で、実は、内容の寒々としている現代風の生活に、侮蔑をなげつけながら、奔放豪華な夢を描く連作長編「贅沢貧乏」。ほかに、著者の目にうつる文壇をその鋭い洞察力で捉え、パロディ化した「降誕祭パアティー」「文壇紳士たちと魔利」など全5編を収録。
鴎外の娘であるところの森茉莉。
内輪話?と思われるところも多く、同時代の人じゃないと楽しめないことも多かろうが(同時代だって楽しめない人のほうがむしろ多かったろうけど)、それはそれ。作者が楽しそうに書いているのが伝わってきます。
正直、「だったら漱石の読むわ」という気持ちもなくはないけど。
Ⅰ 贅沢貧乏
位置: 224
千円は望みが小さいと言う人があったら、魔利は答えるだろう。それ以上の、本当に金を使ってやる贅沢には、空想と創造の歓びがない。と。
言うねぇ。確かに空想と想像の歓びを知っていれば、お金の多寡など大した問題ではないかもしれない。
位置: 240
罐詰は開けられぬし、重いものは持ち上らない。既に美しくない中老の、スウェータア姿の魔利の生活が、見かけは何処かのおばさん――勿論よくよく見れば、争えぬ品位というよりはのろまな感じが、用をしたことのない人間を、表明しているが――のようであるにも 係らず、王朝時代のお姫様の手のろさで、行われているのである。
己をここまで自虐的に書く。それはいわば自虐の皮を被った攻撃表現です。結構、これでダメージを食らう読者もいるかもしれない。森茉莉を読むような人は特に、でもむしろ悦んだりしてね。
Ⅱ 黒猫ジュリエットの話
位置: 1,143
二人の男が幸福に生きている筈の本郷の家は、もとのままで、白い、透った精のような娘が、〝失恋の悲哀〟の中で死んだ、その死骸の上に築かれた幸福を享受している二人の男の、異常な、だが清らかな恋愛が、今もつづけられていて、次に起る、恐しい出来事を、魔利に空想させ、そこに出てくる筈の青年の父母である老学者夫妻、田園の邸。老いた御者、とその息子、台所女中と、老医、偽りの婚礼。五回目の 贄 になる美しい娘、娘の死後の二人の抱擁。警官。刑事部長。刑事部長を扉口に寄りかかって視る少年の眼。なぞが抑えても抑えても、 湧き出て来て、それらは既に存在をしているし、最初の物語の少年は黒い男の 寵 童 となって悪魔の幸福の限りを尽している。北沢の奥の家の前庭の馬肥やしとしゃくなげは今も、青々と朝の露を浮べ、少年の発案で今では黒い男が偽名で買い取り、二人の別邸になっている。
耽美主義的ともいえる、ロマンチシズムの世界。嶽本野ばら的世界。
位置: 1,248
魔利は解らない外国語もなんとなく解るんだそうで、便利な頭もあったものだ。人の小説も二三頁を斜め読みをして、もうその人の文学は解ったと、言っている。マリアは行きつけの喫茶店なぞで編輯者や、先輩の女流文学者と向い合って、そういう薄弱な根拠をもとにして文学論をぶっている。
自虐。きっつー。
延々とこの自虐と耽美の世界が連なるので、読んでいて眠くはなりましたね。
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