トータス松本著『部屋の隅っこには恋のかけら』感想 好きなバンドの内紛

読んでて「知りたくなかったー」と思う場面もありましたが、しかし「知らないのは罪」という立場でずっと発言してきたので、そこはけじめを優先。

ただ、やっぱりウルフルズのような「仲の良さ」みたいなものを前面に出しているバンドの暴露は、結構危険な手であるようには思いますね。そりゃ、内情は違うんだろうけどさ。

p193
でもさ それは俺が田舎もんで 大阪出身じゃないから考えられた方かもしれない。ケーヤンは大阪出身で大阪アイデンティティが強くて それはもう小学生の頃は タイガース ファンクラブに入っていた ぐらい ベッタベタに阪神タイガースが大好きやからね。ほんまに東京に来るのが嫌やったろうなと思う。今になって思うのは 実はもう「東京に来る」と決めた時点でケーヤンと俺の間にどっかズレが生じていたのかもしれへん

ケーヤン脱退はあたくしも結構ショックでしたね。ただCDをむっつり聞いているタイプのファンだったので、あんまり動向を追ったりはしていなかった分、余計に。

他にも「大阪のFMではメチャ強いけどCD売ったらサッパリ」みたいなことが書いてあって、何だか大阪維新の会みたいですね。大阪では強いけど、他ではさっぱり的な。

p293
前後するけど 黒田が戻るか 戻らへんかくらいの頃から、俺は俺で後のその後を暗示するような繊細な曲も書くようになっとって。やってる最中は自分では気づけへんかったしさ「 ソロをやる」なんて全然考えてなかったけど、今思うと、例えば「笑えれば」「 暴れ出す」「サムライソウル」とかにしてもみんなが大好きな「ウルフルズ らしい 応援歌」ではないもんね。 言ったら 今俺がソロで歌ったとしても しっくりくるような曲やんか。そう考えるとある時期から俺は 「ウルフーズ らしさ」ってことを意識しなくなっていたのかもしれへん 。

確かに「作る曲は全部が全部当たり前にウルフルズっぽい」時期もあったけどそれは「 ウルフルズ らしさ」 を特に意識してやったわけじゃなくてさ。 たまたま「 こういう曲を皆に聞かせたい」ってことやっただけやっただけで。結果的に それがみんな「 ウルフルズ らしさ」に繋がっていただろうと思う。

自分たちに求められているものと、自分たちが求めているものが違うことはよくある。アーティストはそれが難しいよね。そう考えるとミスチルとかサザンとかは本当にすごい。定期的に「ウケる」曲を出せる。客の痒いところに手を届かすことができる、というホスピタリティはさすが。

苦悩はうかがえる。ただ、もう一度売れる曲を作るのは難しいのかもな、と思いました。売れていた頃の曲、今聞いても、やっぱり良い。陳腐な表現だけど、奇跡のような時期だったんだろうね。

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