最近、仕事でこの手の話にちょくちょく関わるので読んでみました。
なぜ彼らは最愛の人に手をかけたのか? その時、彼らの何が壊れたのか?
家族の「絆」がなぜ「悲劇」に変わってしまったのか?
全国の要介護認定者数640万人。「夫婦だから」「親子だから当然」と始めた家庭での介護が長期化し、困難を極め、やがて悲劇が起こる――。今、全国で続出する介護を苦にした殺人事件。なぜ最愛の母親を手にかけてしまったのか。家族の絆がなぜ悪夢に変わったのか、当事者の悲痛な叫びに耳を傾けた記者たちが目の当たりにしたのは、在宅介護の切なすぎる現実だった。慟哭と衝撃の最前線ドキュメント。重松清さん推薦。重松清さん「解説」より
僕が言いたいのは、介護殺人は、ずうっとさかのぼっていけば家族愛に至ってしまう、ということ。つまり、介護殺人とは「愛する人を自分一人で愛さなければいけないと追いつめられてしまった果てに起きてしまった殺人」——おそらく、真の意味での被害者は、殺された人と殺してしまった人の二人なのだ。いや、両親が殺人事件の加害者と被害者に分かれてしまった子どもたちの悲しみと葛藤を思うと、介護殺人には被害者しかいないのだと言ってもいいのではないか?
最後にいま一度、念を押して申し上げる。
僕は本書を、社会に警鐘を鳴らす優れたノンフィクション作品として読む一方で、愛が人を殺してしまう深いジレンマを描いた文学作品としても(取材班はそんなものを望んではいないかもしれないけれど、勝手に)味読したのである。愛ゆえに家族を殺めてしまった当事者の声なき声
▲絞めたらあかんと繰り返しながら妻を絞殺した夫
▲ごめんなとつぶやいて母親の点滴に睡眠薬を流した娘
▲もう一度、母の子に生まれたいと悔やむ息子
▲なぜ受け入れを拒んだのかと悩むケアマネジャー
単なる殺人ではなく、「介護→殺人」なので、やるせなさがすごい。このテーマはどう転んでも人の心を揺さぶるね。
重松御大のいうとおり、家族愛が殺人に帰結してしまう、その悲しいプロセスは筆舌に尽くしがたい。
はじめに
位置: 80
介護殺人の加害者は裁判で執行猶予 付きの判決を受けることが珍しくない。殺人罪の法定刑は死刑、または無期か5年以上の懲役だが、実刑であっても減軽されて2年6月~4年程度の短い量刑を言い渡されていることが多い。
情状酌量の余地が多分にあるケースが多い、ということでしょうか。悲しい現実よね。
検事さんには私の苦しみは分からん
位置: 551
すると、いくつかの事件の資料に共通して出てくる言葉に目がとまった。
加害者の「不眠」だ。
翌日から手分けして、「不眠」という要素がないか、 44 件の判決文などのページをめくり続けた。その結果、半数近い 20 件( 45%) で、裁判所が加害者の「不眠」を認定していることがわかった。
やはり人間、寝ないとだめだ。睡眠はしっかりとらないと。あたくしは昔から夜ふかし出来ないタイプなので、結構寝てきたけど。
母の愛が絶望に変わる瞬間
位置: 946
長年、その障害を理解し、愛情を持って献身的に介助した我が子を 殺めてしまう──。そんな芳子のようなケースもまた、決して特異なものではない。なぜなら「老障介護」の現場では同様の事件が後を絶たないからだ。
どこかで、限界が来る。その時のためにどれだけ備えられるか。難しいよね、他者に期待せざるを得ない状況なわけだから。障害者を抱える家族が持つ責任、これを社会の責任にするかどうかはかなりセンシティブな問題ですよ。
位置: 1,010
「ざっくりと言うと、 60 代より下の世代の親は福祉サービスをうまく活用しますが、 60 代以上はそうではない人が結構います。ただ、福祉サービスに消極的だからといって、現代の感覚で責めるのは酷ですよ。障害者への偏見や無理解を肌で感じてきた世代だからこそ、抱え込んでしまう人もいるんです」
実際、そう思う。あたくしの周りにも当然障害者はいて、仕事がら付き合うことも多いんですが、偏見や無理解はどうしてもついて周ります。
位置: 1,018
44 年間介護した母親に殺害された隆之も障害者総合支援法によって毎月、① 30 時間までの身体介護 ② 10 時間の通院介助 ③ 15 日までの短期入所 ④ 20 日までの生活介護──などのサービスを受けることが認められていた。 しかし、実際に利用したのは週1回の入浴サービスだけだった。
母親の芳子は裁判の被告人質問でこう話していた。
「今思えば、しんどい時に施設のお世話になればよかったです。でも、何かあっても、隆之は何も言うことができない。逃げ出すこともできない。そう思うと、他人には任せる気がしませんでした」
これね、難しい問題よね。「良い母親」こそ人に任せられない問題ね。だからこそ44年も介護出来たわけで。もし自分が障害者になったら、と思うとゾッとするね。結構「他人に迷惑をかけない」ということが自分の指針でもありプライドでもあって、それが崩れると自分で居られる気がしない。
「もう一度、母の子として生まれたい」
位置: 1,062
発生から 10 年以上の歳月が流れたが、「地裁が泣いた事件」「涙に包まれた法廷」といったタイトルとともに、テレビで再現ドラマが放送されたり、インターネット上で語り継がれたりしている。漫画や演劇にもなった。
この京都・伏見の認知症母殺害事件は、最も有名な介護殺人と言ってもいいだろう。
そうなんだ。とはいえ、美談に仕立て上げるのも程々にしないといけないよね。
悲劇の連鎖
位置: 1,242
「困った人を救う制度がないわけではないし、私は何でも行政が悪いとも思いません。でも、竜一のように制度を使いたいけど使えない、あるいは使わない人間もいるということですかね。そんな不器用な人にも手を差しのべる公の何かがあれば、とは感じます」
難しい問題だ。義務にする必要がある、って言っているようなもんだからね。ありがた迷惑な人にも与えなきゃいけなくなる。それはそれで、どっちもメリデメはあるわけで。ただ、強制ってのは民主主義国家においては最後の手段だよね。
「いないとやっぱり淋しくて」
位置: 1,832
健が最も頭を悩ませたのは陽子が暴れて暴力を振るうことだった。危険を感じることもあるので、台所の包丁などの刃物は手の届かない場所に隠した。部屋には物を置かないようにしているが、油断して片づけなかった灰皿や食器があると、投げてくる。
陽子の暴力には力ではなく笑顔で返すと決めていたが、体だけではなく心も傷ついていくのが自分でもわかった。悲しみの中で気分が落ち込み、いろいろな思いが頭をよぎったのは確かだった。
危険な兆候。すぐに対処しないと大変なことになる。分かってはいるんだろうけどね。この話はいわば「大変なことになった事例」ばかりを集めているから、仕方がないんだけど、どうしてもっと早く何とか出来なかったのかという気持ちにはなりますね。
とんがり帽子の屋根の家
位置: 2,155
「生きがいとしての仕事、収入としての仕事。それと、妻をちゃんと見てあげたいということと、てんびんにかけてしまっている自分がいる。男ってつくづくバカやなと思いますね。仕事で僕の代わりはいても、妻のパートナーの代わりはいないのにね」
そこまで言語化できているのであれば何もいえない。我々もその境地までいかないといけない。
解説 重松清
位置: 2,801
僕が言いたいのは、介護殺人は、ずうっとさかのぼっていけば家族愛に至ってしまう、ということ。つまり、介護殺人とは「愛する人を自分一人で愛さなければいけないと追いつめられてしまった果てに起きてしまった殺人」──おそらく、真の意味での被害者は、殺された人と殺してしまった人の二人なのだ。いや、
まさにそうだ。ホワイダニットが悲しすぎる話ばかり。
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