『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』 もうコミュ障治そうと思わぬ

この卑屈なまでの愚者戦略、どうにも違和感があります。

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もはや「空気」は読むものではない。目で見、手で触れられるものだ。

騙されてはいけない、これはオタクのための会話術を装うラディカルな日本社会論だ。(宇野常寛)

吉田さんと話をしていると楽だなーと思うんです。一緒にラジオをしていても初対面のゲストの方でも話が盛り上がる。どうしてだろう?なんでだろう?

吉田さんが人から話を引き出すプロだからだろうかと思っていました。

本の中には吉田さんの実体験を元にしたコミュニケーションのプロセスやアプローチ方法が。

人と話すことはある意味ゲーム。

だとするのなら、コミュ障の私にもできるかもしれない…! (松井玲奈)

相手を楽にさせる会話力!

ニッポン放送の大人気アナは、些細な会話すらままならないコミュ障だった!
そんな彼が20年かけて編み出した実践的な会話の技術を惜しみなく披露。
話すことが苦手なすべての人を救済する、コミュニケーションの極意! !

ニッポン放送の吉田アナ。
アニメやゲームが好きということを公言していて、実際にその造詣が大変深くいらっしゃる。だから同じような趣味をもっているあたくしはよく見るしラジオも聞いたことがあります。

そんな人のコミュニケーション術は、徹底した「愚者戦略」にあるということが、この本に書かれていました。

 本書の最重要ワード「愚者戦略」です。
欠点から自分のキャラを戦略的につくるというのは、ひとことで言えば、そこをツッコまれてOKにすることです。相手に自分の欠点をツッコまれたとき、ヘコんだり心が折れたりするんじゃなくて、喜こべなきゃいけない。
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「コミュニケーションはそれ自体が目的」

なかなか刺激的な内容の本でした。

 コミュニケーションというのは、じつは、コミュニケーションが成立すること自体が目的であって、そのときに伝達される情報は二の次なんです。情報の質や内容なんてどうでもいい。エレベータ内の十数秒の価値は、コミュニケーションが円滑に為されたかどうかによってのみ測られます。
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オタクを長年やっていて、オタク友達が多かったりすると、どうしても「深い話を出来たかどうか」が大切だと思ってしまいがちです。実際、あたくしはそう。でも、そうじゃない、と。コミュニケーションはそれ自体が目的なんですって。

 ①敵味方に分かれた「対戦型のゲームではない」、参加者全員による「協力プレー」
②ゲームの敵は「気まずさ」
③ゲームは「強制スタート」
④ゲームの「勝利条件」
以上の四つです。
サッカーが相手チームより多くゴールして勝つことを目標とするなら、コミュニケーション・ゲームの目標は、参加している人全員が会話を通じて気持ちよくなることです。
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コミュニケーション・ゲームでは、言葉は自分のものではなく、相手のためにあるものです。自分ですべてを管理するなんてできっこありません。
だからこそ、しゃべるという行為は、まず聞くことが先になるんです。
たとえばインタビューの局面で考えると、「えっ?」と相手の話に反応できたら勝ち。それが鉄則です。「えっ?」と言えた次の瞬間、必ず相手はうれしそうにしゃべり出します。
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あたくしは長年、コミュニケーションというものを勘違いして生きてきました。いままでのものは、すべて勘違いでした。「お互いに気持ちよくなること」が目的なのだとしたら。
随分長い間、勘違いしたままゲームをしていたものです。マリオを「甲羅を投げる」ゲームだと思っていたようなもんです。

劣等感は無視

 人間誰しも、負けてると思うからコミュニケーションに参加したくなくなるんです。自分の正当性を主張したくなるし、相手にそれを認めさせたくなる。でもそれではまだ、コミュニケーションを相手との対戦型として考えてしまっているんです。コミュニケーションは協力プレーです。協力プレーである以上、相対的な比較や優劣なんて関係ありません。
コミュニケーション・ゲームでは、その場におもしろい人がいたら楽なんです。おもしろい人に劣等感を抱く必要、一切ない。対戦型の会話でなければ、「チキショー、おもしろい。悔しい」なんて思いませんよね。お笑いの専門学校じゃないんですから。逆の立場からしても、目のまえの人がおもしろくなくて怒るなんてありえないでしょう。
もし劣等感があったとして、それを感じるなっていうのは確かに無理です。どうしても感じてしまうことに関して、感じるなと命令してもそれは無理。でも、劣等感を無視する、これならできるでしょう。自分の意思であれば変える努力のしようがありますよね。
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嫉妬深いあたくしは、すごい人や面白い人がその場を掻っ攫うのを見て、ヤキモキすることも多々ありました。しかし、それは間違いだそうです。
勝手に世間を「お笑いの専門学校」だと思っていたのでしょうか。恥ずかしい。

会話というのはおそらく、基本的に女子会なんです。
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出ました、衝撃発言。「女子会」?しゃらくせぇ。
と、思っていたのですが、たしかに女性会は会話が手段であり目的であるわけですな。あれは確かに、究極のコミュニケーションミーティングかもしれません。女子すげぇな。

人のために喋る

 「自分の認めたくない部分というのは、じつは、すごくかわいがっている自我なんです。イジられたらネガティヴな方向に感情が走ってしまう欠点、弱点、コンプレックスは自分で大事に保護してる自意識なので、ここは「ナニが悪いんスカ」と思って自分を少し、突き放してみましょう。実際にはすごく難しいことなんだけど、ナニガ・ワルインスカさんになろう(笑)。
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①ウソ禁止
②自慢はご法度
③相手の言うことを否定しない
ね、なんだそんなことかって思うでしょう。「いちいちそんなこと言われなくたって、子どものころから言われ続けてるよ」ってなる。でもぼくが言いたいのは、そんな倫理的な側面をあらためようというわけじゃないんです。倫理ではなく、あくまでコミュニケーションの技術として、その三つはNGですよってお話です。
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結局、人のためにしゃべるということがコミュニケーションの核なんですね。自分がどう思うかで話を進めるのではなく、相手の側から話を進めてもらう。相手に気持ちよくしゃべってもらうには、自分はどうしたらいいか、そこだけを考えてきたような気がします。
at location 2119

最後の最後に、あり得ない発想が出ました。「人のためにしゃべる」?考えたこともないですな。自分のため、自分のため、自分のために話して来ましたね、今まで。
そうじゃないんですな。
「情けは人の為ならず」といいますかね。回り回って自分のためになるかもしれない。だからこそ、相手のために喋るんですな。

結論

だからお前はコミュニケーションが下手なんだよ」と言われそうですが、正直、「ここまでやるならコミュ下手でいいや」とも思います。

あたくしは、吉田さんのようなコミュ上手にはなれない。色々なものを間違えたまま生きてきすぎましたね。

ただ、この本を読んで、すこし楽になれたような気もします。コミュニケーションはそれ自体が目的で、相手のためにするもの。
ふむ、無理だけど、ちょっと気にしてみようかしら。

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