『鼻』 こういうのが物語の力なのだよ

どうして小説なんて読むの?と聞かれた時、あたくしはこの本を引き合いに出そうと思います。

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大正期に活躍した「新思潮派」の作家、芥川竜之介の代表的な短編小説。初出は「新思潮」[1916(大正5)年]。「鼻」[春陽堂、1918(大正7)年]に収録。原話は「今昔物語集」巻第二十八「池尾禅珍内供鼻語」第二十。長すぎる鼻を気にしている「禅智内供」がどうにかして鼻を短くしようと奮闘する話。執筆当時、久米正雄に高く評価を受けた。

「みんな違ってみんないい」なんてことを滔々と言われるよりも、この本を読んだほうが如何に腑に落ちるか。
万人に共通するような普遍性を持ち合わせているのです。

五十歳を越えた内供は、沙弥の昔から、内道場供奉の職に陞った今日まで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。勿論表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。これは専念に当来の浄土を渇仰すべき僧侶の身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。それよりむしろ、自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。内供は日常の談話の中に、鼻と云う語が出て来るのを何よりも惧れていた。
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これなんか、落語の『猿後家』ですよね。言葉に過剰反応してしまう、というのはあるあるです。
小学生の時、これを読みながら手塚治虫の鼻のでかい御茶ノ水博士を想像しながら読んだのはあたくしだけじゃないはず。

翌朝、内供がいつものように早く眼をさまして見ると、寺内の銀杏や橡が一晩の中に葉を落したので、庭は黄金を敷いたように明るい。塔の屋根には霜が下りているせいであろう。まだうすい朝日に、九輪がまばゆく光っている。禅智内供は、蔀を上げた縁に立って、深く息をすいこんだ。
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幼いながらに「きれいな例えだな」と思ったのを覚えています。
今読むと、たしかにキレイだし、無駄がない。それこそ滔々と何かを語るより、スッキリと完結に普遍性を持って共感しながら聞くほうが、よっぽど入ってくる。

短い文章の中でこれだけ多くのことを書き上げる、芥川ってやっぱ天才ね。

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