西村賢太著『雨滴は続く』感想 未完の露悪凡作

露悪にして未完の凡作です。だらだら長い。西村賢太ファンじゃない限りおすすめしない。

2004年の暮れ、北町貫多は、甚だ得意であった。同人雑誌「煉炭」に発表した小説「けがれなき酒のへど」が〈同人雑誌優秀作〉に選出され、純文学雑誌「文豪界」に転載されたのだ。これは誰から認められることもなかった37年の貫多の人生において味わったことのない昂揚だった。次いで、購談社の「群青」誌の蓮田という編集者から、貫多は30枚の小説を依頼される。純文学雑誌に小説を発表することは、29歳のときから私淑してきた不遇の私小説作家・藤澤清造の“歿後弟子”たる資格を得るために必要なことであった。
しかし、年が明けても小説に手を付ける気にはなれなかった。恋人を得たいとの欲求が、それどころではない気持ちにさせるのだ。貫多は派遣型風俗で出会った〈おゆう〉こと川本那緒子の連絡先を首尾よく入手し、デートにこぎつける。
有頂天の貫多は子持ちの川本と所帯を持つ妄想をする。しかし、恒例の「清造忌」を挙行すべく能登を訪れた貫多は、取材に来た若い新聞記者・葛山久子の、余りにも好みの容姿に一目ぼれをしてしまう。東京に戻るや否や、小説家志望の葛山に貫多は自作掲載誌を送るが、その返信はそっけないものだった。手の届く川本と脈のなさそうな葛山、両者への恋情を行きつ戻りつしながらも、貫多は「群青」に短篇、匿名コラム、書評を発表していく。そして、「群青」9月号には渾身の中篇「どうで死ぬ身の一踊り」が掲載されたが、その反響は全く感じられなかった。同じころ、葛山からは返信が途絶え、川本にはメールが通じなくなる。順風満帆たる新進作家・貫多の前途に俄かに暗雲が立ち込めるのだった。
完成直前で未完となった、著者畢生の長篇1000枚。

しかし、あっという間に読める。不思議な作風です。
しかしここまで来るともはや貫多と仮名で作品を綴る意味ないよね。普通に「どうで死ぬ身の」とか書いてるしね。

位置: 150
ただ、その生年である大正三年──これは貫多が藤澤清造は別格として、葛西善蔵、川崎長太郎、田中英光と共に自身の内で〝私小説四天王〟として挙げる北條民雄と同じ年の生まれであることには大いなる敬意を抱いていた。

田中英光しか読んだことないです。うーむ、どれか読むかしらん。

位置: 4,979
「葛山……帰還!」
と声に出して叫んだが、しかしそのすぐあとには、一方で粉をかけていたおゆう──川本那緒子の姿が、ひょいと思いだされた。
それがこう、やけに悲しい表情をした儚なげな姿として、俄かに思いだされてきた。
けれども、こう云っては何んだが、所詮あの女は淫売である。

身も蓋もない。

位置: 5,250
面と向かって想いを伝えなかったことで引き続き葛山への懸想を維持できると云う、まこといじましき情けない喜びに、ドップリと浸っていたのである。

自意識を高めすぎた男性にありがちなムーブね。あたくしもドップリ浸かったなぁ。

位置: 5,514
否、こと創作に関しては、そのコースもまた立派に成立する道ではある。例えば「血の呻き」の沼田流人や「監獄部屋」の羽志主水、或いはまだ存命だと思われる「家畜小屋」の作者、池田得太郎にしたところで、たったの一作のみでバカな編輯者に好かれて重用されているだけの、現今の吹けば飛ぶようなどの小説家よりも、後世の文学通の間では必ず読み継がれる存在となり得ている。

どれも読んだことないなぁ。家畜小屋、タイトルが気になりますね。

位置: 6,758
その九十の年齢になっても人間には嫉妬の情が依然としてあり、後先の考えもなく、取り敢えず眼前の災厄をふり払う気持ちで後進、と云うかアカの他人のチャンスを握り潰すことのできる醜い闘志、ねじ曲がった自尊心に、何んとも云われぬ遣る瀬なさを覚えた。

あたくしの座右の銘の一つ、「煩悩で最も厄介なのは嫉妬」ってやつ。

まとめ

いつもの北町貫多、ゲス多めって感じですね。
芝公園に比べるとエンタメ多め。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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