映画『ドライビング・ミス・デイジー』感想 認知症は救いなのではないか

アカデミー作品賞。さすがの出来栄え。

解説

白人の老婦人と黒人の運転手の心の交流と友情を25年の時の流れの中で描くドラマ。エグゼクュティヴ・プロデューサーはデイヴィッド・ブラウン、製作はリチャード・D・ザナックとリリ・フィニ・ザナック、監督は「ロンリー・ハート」のブルース・ベレスフォード、脚本・原作戯曲はアルフレッド・ウーリー、撮影はピーター・ジェームズ、音楽はハンス・ジマーが担当。出演はジェシカ・タンディ、モーガン・フリーマンほか。89年アカデミー賞作品、脚色、主演女優(ジェシカ・タンディ)、メーキャップ賞受賞。

ストーリー

48年、夏。長年勤めた教職を退いた未亡人のデイジー(ジェシカ・タンディ)は、ある日運転中に危うく事故を起こしかけ、母の身を案じた息子のブーリー(ダン・エイクロイド)は、彼女の専用の運転手としてホーク(モーガン・フリーマン)という初老の黒人を雇う。しかし典型的なユダヤ人で、元教師のデイジーには、運転手なんて金持ちぶっているようで気性が許さなかった。どうしても乗車拒否を続けるデイジーは、黙々と職務に励む飄々としたホークの姿に根負けし、悪態をつきながらも車に乗ることになる。こうして始まったデイジーとホークの奇妙で不思議な関係は、1台の車の中で、やがて何物にも代えがたい友情の絆を生み出してゆく。そして25年の歳月の流れの中で、初めてホークはニュージャージー州外を旅し、またデイジーはキング牧師の晩餐会に出席したりした。いつしか頭がボケ始めたデイジーは施設で暮らすようになり、長年住み馴れた家も売ることになった。しかしデイジーとホークの友情は、変わることなく続くのだった。

まず思ったのは、これっていい話なのか?ってこと。
奇妙な友情だ、なんて結論で終わらせていい類の話じゃない。

差別主義者じゃない、というデイジーの無自覚の差別意識(これを区別という輩もいる)が浮き彫りになってて、示唆深い映画だとつくづく感嘆。さすがのアカデミー作品賞。

弱い者たちが夕暮れ更に弱いものを叩く、じゃないけど「被差別者の差別」みたいなものをジワジワと描く。面白いねぇ。

またモーガン・フリーマンもいいんだ。ちょっとアホっぽすぎる気もするけど。いまの黒人がみると嫌な気持ちになる人もいるだろうなぁ。

そして、最後にこの二人の身分格差を寛解させるのが認知症ってのも皮肉でいいね。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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