亡くなって3年
先月21日は談志師匠の命日でありました。
NHKやら衛星劇場やらで特番が組まれ、「あぁ、確かに師匠が亡くなって3年だなぁ」と思いました。
今、自分なりに立川談志とは何だったのか、考えるままに書き綴ってみようと思います。
どうして新作をやらなかったのか
なんでなんですかね。
古典をやっていたのか、と問われれば答えに窮するところがありますが、新作落語はやっていませんでしたね。
古典を「ここが違う」とか「ここが変だ」とはおっしゃっていましたが。
あまり新作は好まなかったようです。
ただ、古典を古典のままにすることは、晩年はほとんどされなかったですな。
イリュージョンということで、「落語」というより「談志」を語っておられましたね。
何故でしょうか。
答えは今だに分かりません。
なぜ古典をそのままやり続けなかったのか
落語ファンなら誰でも一度は考えたはず。
「談志はあのまま古典派で生きていけば良かったのに」と。
正直、誰よりも啖呵は綺麗で、仕草は小粋でした。間違いありません。
やはり本音のところで気弱だったんでしょうね。
天才であるのは間違いないのですが、その自信というか傲慢なところが、突きつけられなかったのではないでしょうか。
談志ファンに今できること
今でも談志師匠の弟子が、真打ちになったりしています。
孫弟子も、しっかりと育っています。
彼らを観ることが、談志ファンに出来る「談志学」の現在の姿だと思います。