『羊をめぐる冒険』感想② ふむ、尻すぼみである #村上春樹 #羊をめぐる冒険

序盤、良かったんですけどね。

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先生が死ねば、全ては終る。なぜなら我々の組織は官僚組織ではなく、一個の頭脳を頂点とした完全機械だからだ。そこに我々の組織の意味があり、弱点がある。あるいは、 あった。先生の死によって組織は遅かれ早かれ分裂し、火に包まれたヴァルハラ宮殿のような凡庸の海の中に没し去っていくだろう。

この「先生」というのがどうにも曲者でね。元関東軍だかの偉い人だったかな?どうやら羊に取り入られて偉くなった人のようす。とにかく偉い。
まさか春樹文学に関東軍とかが出てくるとは。もっとパスタ茹でたり怠惰な男女交際をしてばかりいるイメージでしたがそれは見当違いでありました。

位置: 2,028
「ずいぶん混んでるね」と僕は言った。 「そうですね」と運転手は言った。「しかし明けない夜がないように、終らない交通渋滞もありません」 「そりゃそうだ」と僕は言った。「でも苛々したりすることはないの?」 「もちろんあります。苛立ったり、不快になったりすることもあります。とくに急いでいる時などはどうしてもそうなりますね。しかし全ては我々に課せられた試錬であると考えるようにしてるんです。つまり苛立つことは自らの敗北です」

こういう魅力的な哲学をもったキャラクターが次々でてくる。いいぞいいぞ。面白い。

位置: 3,055
「君は思念のみが存在し、表現が根こそぎもぎとられた状態というものを想像できるか?」と羊博士が訊ねた。 「わかりません」と僕は言った。 「地獄だよ。思念のみが渦まく地獄だ。一筋の光もなくひとすくいの水もない地底の地獄だ。そしてそれがこの四十二年間の私の生活だったんだ」 「羊のせいなんですね?」 「そうだよ。羊のせいだ。羊が私をそんな中におきざりにしたんだ。一九三六年の春のことだ」

そして羊博士は「先生」の前の羊に魅入られた人。ね。何だか超能力のような。悪魔と契約という感じか。

位置: 3,378
我々は旭川で列車を乗り継ぎ、北に向って塩狩峠を越えた。九十八年前にアイヌの青年と十八人の貧しい農民たちが辿ったのとほぼ同じ道のりである。

三浦綾子の塩尻峠のオマージュかしら。何かしら意味はあるのだと思うけど。

位置: 4,758
「最後にふたつだけ質問がある」 「いいとも」 「まずひとつは羊男のことだ」 「羊男はいい奴だよ」 「ここに来た時の羊男は君だったんだろう?」  鼠は首を回してぽきぽきという音を立てた。「そうだよ。彼の体を借りたんだ。君にはちゃんとわかっていたんだね?」 「途中からさ」と僕は言った。「途中まではわからなかったよ」

?どゆこと?最後の方、鼠先輩との会話がどうにもわからん。脳みそがオタンチンノープルからか、全然情景が沸かない。

先生は死んでも良かったのか、耳のきれいな女性はどうして帰ったのか、どうして鼠はあとの羊男と入れ替わったのか。どうにもわからん。

重ねて読めばわかるのかもしれないけど、それほど魅力的な作品とも思えず。なんかいい解説あったら読みたい。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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