世のさまざまな犯罪が理解できる『シャーデンフロイデ』

いや、これ、なかなか奇天烈な教科書ですよ。

位置: 602
自分だけは正しく、「ズルをしている」誰かを許せない。だから、そんなやつに対しては、俺/私がどんな暴力を振るっても許される。そんな心理状態によって実行に移される行動が、「サンクション」です。

位置: 618
制裁──これを英語ではサンクションといい、学術的な用語としても使います

位置: 658
結論を言えば、誰かを叩く行為というのは、本質的にはその集団を守ろうとする行動なのです。向社会性が高まった末の帰結と言えるかもしれません。

日本人もご多分に漏れずこのサンクションが好きなように思えます。あたくしは窓口で幾人ものサンクションに支配されたおじいさんを見てきました。そして、今、あたくしも自分の中にあるサンクション欲がふつふつと……と、まぁ、最後のは冗談ですがね。

とはいえ、怒りとオキシトシンの親和性は高いというのはわかります。

位置: 673
オキシトシンの分泌量が多くなると、外集団バイアス(自分たちの集団と異なる性質を持つ人に対する不当に低い評価)が強まることが実験的にわかっています。

非同一性のものを排除、よくあります。ダイバーシティの反対語ですな。

位置: 690
このように、第三者が人に根拠なく説教をしてしまうのは、「自分は正しいことをしている」と思うこと自体が快感であるのに加え、誰かを「ダメな人だ」と糾弾することによって、相対的にその人の置かれているポジションを高く見せることができるからです。  また、先に糾弾する側に回ることで、他者から叩かれる可能性が低くなる、という自衛策的な意味合いもあります。

怒りのエンターテイメント、とはマキタスポーツさんの言葉だったかしら。とにかく怒るって気持ちいいんですよね。長い目で見れば。怒る欲というのは少なからず、ある。

トランプに投票する人とか、そういうんじゃないかな。

位置: 696
 この研究では、脳の活動を測定しながら、被験者たちに共同出資でお金をやり取りし儲けるゲームをやってもらいます。ゲーム中、あるプレイヤーが他の参加者と相互に利益を生まない、自分勝手な判断をしたら、罰することができるようにしておきます。

 すると、前述のとおり、多くの被験者がコストを犠牲にして利己的なプレイヤーに罰を与えました。さらに、自らコストをかけて与える罰の重さと、各人の脳の活動の強さが相関していることもわかりました。活動が強い人ほど、大きなコストをかけてでも罰を与えようとする傾向が高かったのです。

 懲罰にはコストがかかる上に、しかも金銭など直接的な利益は何もない。にもかかわらず、社会を維持しなければならないというヒトの生存戦略上の必要性から、利他的懲罰という行動がなくなることは極めて考えにくいのです。

そういうことなんだ。利他的懲罰は生存戦略上必要なんだ。
すると色々納得することも多いです。

位置: 707
多くの文芸やエンターテインメントから週刊誌の記事、ネットの書き込みに至るまで、利他的懲罰の要素を持つ情報が圧倒的な支持を集めるのも、ヒトがそこに強い喜びを感じるようにできているからに他なりません。

この本でも紹介されていましたが、いわゆる「メシウマ」ね。みんな大好き。これは利他的懲罰をみんなで鑑賞して気持ちよがるという、歪んだ社会的悦楽なのか?

位置: 712
実は、「いじめは良くないことだ」という規範意識が高いところほど、いじめが起きやすいという調査もあります。規範意識から外れた人はいじめてもいい、という構造ができてしまいやすくなるからだと考えられています。

なんという滑稽さ。
いじめはダメだから破ったひとをいじめる、という。藤子不二雄A先生の漫画みたい。

位置: 715
男女間にも同様のことが言えます。実は、決めごとの多い夫婦ほど離婚しやすい傾向にあるのだそうです。それは、夫婦、家族というオキシトシンの分泌量が多くなりやすい環境である上に、二人で決めた「こうあるべき」からひとたび相手が逸脱すると、そうした相手を許してはならないという利他的懲罰の感情から逃れられなくなるからでしょう。

何だかよくわかる気がする。牽制しないのが一番の牽制、と前田健太も言っていました。全然話が違うか。「べき」が多いほど喧嘩も増えるということ。当たり前か。

この「利他的懲罰」という概念、色んな所で使えそうね。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする