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織田作之助著『夫婦善哉』感想 悲しくもユーモラス

落語でよく言う「だってぇ、寒いんだモン」ってやつか。

大正から昭和初期にかけて、無頼派文学の代表的な作家として活躍した、織田作之助の代表作である短篇小説。初出は「海風」[1940(昭和15)年]。「ちくま日本文学全集 織田作之助」[筑摩書房、1993(平成5)年]に収録。逆境に負けない蝶子の精一杯な生き方と、だらしないが憎めない柳吉とが醸しだす、ほのかに明るく、ユーモラスな雰囲気を描いている。

柳吉、憎めないかな?あたくしは憎らしいと思うけど。
世間知らずのボンボンとか天然ちゃんとか、憎めない的な風潮あるけど、そんなことない。あたくしは「無知は罪」のスタンスで生きたいと思います。

位置: 40
よくよく 貧乏 したので、蝶子が小学校を 卒 えると、あわてて 女中奉公 に出した。俗に、 河童 横町の材木屋の主人から 随分 と良い条件で話があったので、お辰の頭に思いがけぬ血色が出たが、ゆくゆくは 妾 にしろとの 肚 が読めて父親はうんと言わず、日本橋三丁目の 古着屋 へばかに悪い条件で女中奉公させた。

やっぱり妾ってのは嫌なもんなんだね、戦前も。
その辺の価値観てよくわからないときあるから。1940年の初稿らしいので、そのへんか。

位置: 103
柳吉はうまい物に掛けると眼がなくて、「うまいもん屋」へしばしば蝶子を連れて行った。彼にいわせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限るそうで、それも一流の店は駄目や、 汚いことを言うようだが銭を捨てるだけの話、 本真にうまいもん食いたかったら、「一ぺん 俺 の後へ 随 いて……」行くと、無論一流の店へははいらず、よくて 高津 の 湯豆腐屋、下は夜店のドテ焼、 粕饅頭 から、 戎橋筋 そごう横「しる市」のどじょう 汁 と 皮鯨汁、 道頓堀 相合橋東詰「 出雲屋」の まむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「 正弁丹吾亭」の 関東煮、千日前 常盤座 横「 寿司 捨」の鉄火巻と 鯛 の皮の 酢味噌、その向い「だるまや」のかやく 飯 と粕じるなどで、いずれも銭のかからぬいわば 下手 もの料理ばかりであった。

しかし柳吉、憎めない。美味しんぼの辰っつぁんみたいだ。

行ってみたいなぁ。大阪は老後にとってあるんだよなぁ。

位置: 128
新世界に二軒、千日前に一軒、道頓堀に中座の向いと、相合橋東詰にそれぞれ一軒ずつある都合五軒の出雲屋の中で まむし のうまいのは相合橋東詰の 奴 や、ご飯にたっぷりしみこませた だし の味が「なんしょ、酒しょが良う利いとおる」のをフーフー口とがらせて食べ、仲良く腹がふくれてから、法善寺の「 花月」へ 春団治 の落語を 聴きに行くと、ゲラゲラ笑い合って、 握り合ってる手が汗をかいたりした。

読んでるだけで幸せな気持ちになる。いいなぁ。名文。
こういうときの男女交際って本当に楽しいよね。

そして生活に密着した落語の存在。たまりません。

位置: 299
千日前の愛進館で 京山小円 の浪花節を聴いたが、一人では面白いとも思えず、出ると、この二三日飯も咽喉へ通らなかったこととて急に空腹を感じ、楽天地横の自由軒で玉子入りのライスカレーを食べた。「 自由軒 のラ、ラ、ライスカレーはご飯に あんじょう ま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」とかつて柳吉が言った言葉を想い出しながら、カレーのあとのコーヒーを飲んでいると、いきなり甘い気持が胸に 湧いた。

自由軒、一度たべてみたい気持ちはある。
この柳吉のどもった発言が、可愛いのよね。エモい共依存の描き方。

位置: 344
実家に帰っているという柳吉の妻が、肺で死んだという 噂 を聴くと、蝶子はこっそり法善寺の「 縁結び」に 詣って 蠟燭 など思い切った寄進をした。その代り、寝覚めの悪い気持がしたので、 戒名 を聞いたりして 棚 に祭った。先妻の 位牌 が頭の上にあるのを見て、柳吉は何となく変な気がしたが、出しゃ張るなとも言わなかった。言えば何かと話がもつれて面倒だとさすがに利口な柳吉は、位牌さえ蝶子の前では拝まなかった。蝶子は毎朝花をかえたりして、一分の隙もなく 振舞った。

親しき仲こその礼儀を、丁寧に描いてる。いい場面だ。「寝覚めの悪い気持ち」っていい感覚だよね。

位置: 417
さん年経つと、やっと二百円たまった。柳吉が腸が痛むというので時々医者通いし、そのため入費が嵩んで、歯がゆいほど、金はたまらなかったのだ。二百円出来たので、柳吉に「なんぞええ商売ないやろか」と相談したが、こんどは「そんな 端金 ではどないも仕様がない」と乗気にならず、ある日、そのうち五十円の金を飛田の 廓 で瞬く間に使ってしまった。

バカ野郎……。こういうとこ、罪の自覚のない阿呆は嫌だね。
憎みきれない、と思ってしまう人は要注意だと思うわ。

位置: 517
蝶子は昔とった 杵柄 で、そんな客をうまくさばくのに別に秋波をつかったりする必要もなかった。

秋波、色目ってことですね。廃れた日本語。
このあたりの蝶子のスレた感じ、ぐっときます。

位置: 712
女中の口から、柳吉がたびたび妹に無心していたことが分ると目の前が真暗になった。自分の腕一つで柳吉を出養生させていればこそ、苦労の 仕甲斐 もあるのだと、柳吉の父親の 思惑 をも勘定に入れてかねがね思っていたのだ。妹に無心などしてくれたばっかりに、自分の苦労も水の泡 だと泣いた。が、何かにつけて蝶子は自分の甲斐性の上にどっかり腰を据えると、柳吉はわが身に甲斐性がないだけに、その点がほとほと虫好かなかったのだ。しかし、その甲斐性を散々利用して来た手前、柳吉には面と向っては言いかえす言葉はなかった。興ざめた顔で、蝶子の 詰問 を大人しく聴いた。なお女中の話では、柳吉はひそかに娘を湯崎へ呼び寄せて、千畳敷や三段壁など名所を見物したとのことだった。その父性愛も柳吉の年になってみるともっともだったが、裏切られた気がした。

うーむ、複雑な、しかし共感できる嫉妬というか矜持ですよね。
「苦労の仕甲斐」なんて感情、嫌だけど、あるよね。ここらへんの描写が、織田作之助さん、絶妙に上手。

位置: 828
十日経ち、柳吉はひょっくり「サロン蝶柳」へ戻って来た。行方を 晦ましたのは策戦や、養子に蝶子と別れたと見せかけて金を取る肚やった、親爺が死ねば当然遺産の分け前に 与らねば損や、そう思て、わざと葬式にも呼ばなかったと言った。蝶子は本当だと思った。柳吉は「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」と蝶子を誘った。法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた 阿多福人形 が据えられ、その前に「めおとぜんざい」と書いた赤い 大提灯 がぶら下っているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。

行きたいですなぁ。

大阪は全く経験がないので、楽しみたくさん。
柳吉のどもりも可愛い。

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