独特のリズム感がある本でした。芝居のト書きのような、セリフの間で動作が入る感覚。慣れるまでは読みづらいかも。ただ、本の内容は面白かったです。ビブリオバトル(ちょっと違うけど)は手に汗握るよね。
和久山隆彦の職場は図書館のレファレンス・カウンター。利用者の依頼で本を探し出すのが仕事だ。だが、行政や利用者への不満から、無力感に苛まれる日々を送っていた。ある日、財政難による図書館廃止が噂され、和久山の心に仕事への情熱が再びわき上がってくる……。様々な本を探索す るうちに、その豊かな世界に改めて気づいた青年が再生していく連作短編集。
筆者は『銀河鉄道の父』『家康、江戸を建てる』の門井先生。読みたいと思ってはいましたが、しっかり積んであります。てへへ。
図書館滅ぶべし
位置: 1,106
「失礼。それならひとつ研修をしてもらおうか」
「研修?」
「そう。私もひとりの市民だ。むろん住民登録もしている。レファレンス・カウンターに相談を持ちこんで悪い道理はあるまい?」
「つまり……」
「決まってるだろう。本を探してもらう」
「どのような?」
「長いぞ。書き取りなさい」
と言われ、隆彦はジャケットの胸ポケットから三色ボールペンとメモ用紙をとりだした。たしかに短くなかった。或る一つの語をタイトルに含む本。 その語は、
A 意味的には、日本語における外来語の輸入の歴史をまるごと含む。
B 音声的には、人間の子供が最初に発する 音 によってのみ構成される。「お得意の通常業務だ。かんたんだろ?」
面白いよね。知識と想像力で戦う。ただ、これは読んでいるうちにあたくしには答えが分かりました。もちろん、すぐにじゃないけどね。嬉しかったなぁ。
本筋とは関係ないけど、和服の襦袢って外来語だったんですね。本著で知りました。結構びっくり。今やどちらかというと純和風な着物だと思っていたけど、意外と外来語。面白いね。
位置: 1,352
たくさんの類書のなかから隆彦がこの一冊を選んだのは、ひとつは収録語数が約六千五百とほぼ必要にして十分であるからであり、もうひとつは原語がいわゆる 隅 付 パーレン(【 】)で 括られて見つけやすいからだった。
隅付パーレン!これも、校正のときによく使った言葉。懐かしい。いろんな呼称があって面白い。
位置: 1,581
「そうじゃありませんか。そもそも副館長の目的は、私たちが『研修に合格しなかったと市長に報告する』ことでした。となれば、事がこうなったら、当然副館長は反対の行動をとるべきです」
「だから報告しないと」
「違います。反対の行動とは『合格したと報告する』です」
静寂が訪れた。館長がぽかんと口をあけたまま身を固くしているのが隆彦の視界のすみに入った。 「調子に乗るなよ」
と潟田が舌打ちするのへ、 「言いかたが悪いなら謝ります」隆彦はまた頭をさげた。「が、副館長がおっしゃったのは、ご自分に都合のいい情報はこれを本庁に送り、そうでない情報はにぎりつぶす、そういうことでしょう。フェアではありません」
「君たちは有能だ。市長にそう進言しろと?」
「そうは言いません。ただ事実を伝えて下さればいいのです。ただし、そこに一言だけは付け加えてほしいのですが」
「どんな?」
「図書館には、レファレンス・カウンターがある」
隆彦は、胸を張った。言葉がすらすらと出た。
ひりつく場面。会話にト書きを混ぜ、臨場感や緊迫感を出す演出。痺れるね。そして和久山さん、頑張るなぁ。いい踏み込み具合だ。勇気をもらえるね。
ハヤカワの本
位置: 1,804
「とにかく彼は、地盤も資金力もじつに手堅いということだよ。N市のような小さな自治体では、名士一族というのは思わぬところへ人脈の手をのばしているからな。ゆくゆくは市長になるか、それとも都政や国政に転じるか……しかし彼は、読書家だった」
隆彦が口をさしはさまないので、潟田はつづける。
「あまつさえ文学青年ときた。おかげで若獅子はいったん自分を疑いだすと引き返すことを知らず、しだいに他人との接触そのものを嫌がるようになった。あの『自分』というやつの黒い毒気にあてられたんだ。
なんだかステレオタイプな読書嫌いの理由だ。もはやクリシェになっている。
文学青年嫌いという設定も、程々にしないといけない。
ただ、この、『自分』というやつの黒い毒気にあてられた、という表現は好きだなぁ。
位置: 1,813
「しかし本というものの蔵する危険をよく示す例ではあるだろう。本は酒とおなじだ。ほどほどにしないと体をむしばむ。むしろ本のほうが、たちが悪いかもしれないな。百 升 飲めば酒飲みは恥じるが、本読みは読んだぶんだけ誇り顔になる。世間もいましめない」
確かに、世間が読書に対する評価を高く持ちすぎているところはある。自分も好きなのでそれに便乗してきたという自負もある。
それにしてもこの潟田という敵役、なかなかいい味を出す。ちゃあんと敵役を全うしています。
位置: 1,953
「正直、僕にはそのデータベースというやつがいまひとつ、しっくり来ないんです。こんなにたくさんの本が、ぜんぶ、一冊残らず、コンピューターに打ち込まれるなんてあり得ますかね? 実際には二百点や三百点、登録もれがあるんじゃありませんか。やっぱり人間のやることには限界があると思うけど。いまの紛失本にまつわる情況からもわかるとおり」
素朴だが、それだけに誰もが一度は抱く疑念といっていい。隆彦は首をふり、 「二点や三点なら、君の言うとおりかもしれない。が、社会人をなめんなよ。業務のために絶対必要なものの構築と維持のために私たちが費す努力は、まだまだ君の想像を絶するんだ。
効率性や費用対効果の対極にある考え方かもしれませんね。
ただ、こう言い切れる和久山さん、かっこいいなぁ。あたくしはここまで言い切れない。仕事が適当だからかな。
位置: 2,092
「あれ?」
いったん本を閉じ、裏表紙をあらため、こんどは表紙から一枚ずつ繰って行く。どこにもない。著者名も、版元も、刊行年も。
「あるわけないだろう」
潟田は、鼻から息を吐いた。
「どうしてですか?」
「それは刊本じゃない。写本だよ」
「写本……」
「印刷されたんじゃなしに、手で書かれた書物ということだ。墨を含んだ筆で、ひとつひとつの字をな」
なるほど、と唸りましたね。早川図書というのは人名だったと、はたと気付いた。こういう瞬間が欲しくて、ミステリを読んでいるようなもんです。うーん、見事。ハヤカワといえば!という人間の先入観を利用した、見事なトリックですね。
位置: 2,195
「今月が山場です」
「え?」
「今月の末、市役所の議会棟において文教常任委員会がひらかれます。そこで 大勢 が決まる。あなたの、私たちの、図書館にかかわる議論のね」
クライマックスを持ってくる。ここで、大演説を要求される。ドラマの最終回への引きとしては十分でしょう。潟田さんと和久山の最終決戦。ドキドキしますね。
最後の仕事
位置: 2,684
いわば広い意味でのテキスト主義。こういう社会にあっては、どのみち私たちは文字を読むという行為から逃れられはしません。すなわち文字を読むのは人間必須の能力にほかならないでしょう。生存のために必須ではないかもしれないけれど、近代的生存のためには必須です。
文字を読むということを当たり前に共有している社会は、今やちょっと遠のいた感じすらします。今は動画で勉強してしまう時代だからね。
法治国家とはテキスト国家、という言葉が本著に出ていましたが、まさにそれ。法もテキストなんで、やっぱり読み書きの力が大切になる。そういう信念が、多くの人に共有されている時代はもう下り坂なのかもね。