『食べ物の発明発見物語』にも高木兼寛氏の話が出てきた

肉くわなあかん。

たん白質のせっしゅ量が多いほど身長が大きくなる。身長のちがいは、遺伝的な人種差というよりも、むしろ、育ってきた食生活によってきまるといってよい。敗戦後、日本人のたん白質せっし ゆ量が多くなったので、肉を多く食べるようになったので、身長がのびたのであろう。

米ばっかり食べててはいかんのです。背が伸びない。
低身長で苦労したことは多々ある。タンパク質食べよう。

 明治の新政府となって、軍隊の主食は白米となった。当時は白米にかっけの原因があるとは思っ ていない。ょいュメを食べている兵士にたくさんかっけが出たのである。

(中略)

 この病気をふせいだのは、のちに海軍軍医総監となった高木兼寛 (1849年一1920年)である。高木はロンドンで医学をおさめていた。海軍は、イギリス医学をとり入れていたのである。
 海上航海の経験が多い、壊血病をこくふくしたイギリスの医学は、食べものの大切さを知っていた。
 当時、日本の大学に入ってきたドイツの医学では、あらゆる病気の原因を細菌のせいとするのが、 主流であった。

このドイツの医学を推進する主流派の頂点にいたのが森林太郎、つまり森鴎外ですな。かっけ患者を多数出しておきながら責任を取ることなくいられたのは、長州閥、とくに山縣有朋との交友が効いた、というのを聞いたことがあります。

歴史に飯あり、というか飯があるから歴史がある。
つねに飯に興味をもって生きていきたいですね。

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