おそらく、これまでの十二国旗のなかで一番心を揺さぶられたんじゃないかな。

「絶望」から「希望」を信じた男がいた。慶国に新王が登極した。即位の礼で行われる「たいしや大射」とは、鳥に見立てた陶製の的を射る儀式。陶工である丕緒(ひしょ)は、国の理想を表す任の重さに苦慮する。希望を託した「鳥」は、果たして大空に羽ばたくのだろうか──表題作「丕緒の鳥」ほか、己の役割を全うすべく、走り煩悶する、名も無き男たちの清廉なる生き様を描く短編4編を収録。

登場人物の名前が分かり辛いのが本当に玉に瑕。仕方がないんだけど、名前が覚えられない。あたくしは赤ペンを片手に読みました。人物の名前が出てきたら丸して、すぐ振り返られるようにしていました。漢字の名前、本当に馴染みがない。

4編のなかでも、あたくしは「落照の獄」という短編が好きだったな。

落照の獄

p88

清花自身は、自分にも道理が分かると主張するが、彼女の道理は彼女の情がすなわち道であることを大前提にした「道」理であることが多い。それは必ずしも道ではない、と言うと、情を欠いた道などありえないはずだ、と清花は反駁する。

ありがちな反駁。道理と情の区別がついていないやつ。筆者も人が悪い。そういうことを、感情的で無学な妻に言わせるあたりに難しさがあります。

p132

「実際こうして話せば話すほど、殺人には殺刑を持って報いる、これは理屈ではないのではないかという気がいたします。犠牲者の家族がそのように思うことは当然のことでございますが、関係のない民までがそういう。これは根本的な正義---というより、理屈を超えた 反射 なのではないかと」
「……反射、か」
 はい、と如翕は頷いた。
「殺刑を求めるのが理屈ではないのに対し、殺刑否定には理屈しかございません。どうしても理を弄んでいるという感じがしてならないのです。現実に即した実感を欠きまする。それでも強いてあげますなら、殺刑は野蛮だ、としか言いようがございません。 五刑の多くが 野蛮として忌避されて参ったように、殺刑も忌避されるべきだ---としか」

殺刑否定には理屈しかない、というのはパワーワードですね。理屈をもって感情にどう勝つか、というのが合理的人間かどうかの分水嶺だと思っていましたが、どうやら世間ではそうでもない様子。

p147

「私が言葉を惜しんだせいかもしれないな。もっと 言葉を尽くして、自分の職分について話をしておくべきだったのかもしれない。今 何を思い、何を迷っているのか」
 そうは言うものの瑛庚は自身がそれをしたとは思えない。清花には理解するのが難しいことだろうし、理解して欲しいとも思えなかった。——これは拒絶ではない。むしろ逆だ。清花には 単純に義憤を感じ、率直に怒る、そのようであって欲しかった。
 だが、そういう瑛庚の身勝手な思いが清花を怒らせ、そして恵施を怒らせたのかもしれない。 少なくとも同じ言葉を投げつけられる 以上、全ては瑛庚に原因するのだろう。

ちょっとした男の幻想というのも含まれていて、複雑である。妻には可憐で純粋でいてほしい、という幼稚な理想と、意図せず女性を軽視している感じがよく出ている。身に覚えがあります。

「多分そういうことではありません。芝草の治安は乱れ、いつの間にかそれが王宮の中にまで及んでいます。ただでさえ不安なのに、狩獺の存在は、救いようのない罪人がいる、という事実をさらに突きつけるのです。理解し難く共感もできない。自明のはずの正義を踏みにじって寸毫もキにしないものがいるという、そのことが、姉上を—–姉上のような民をたまらなく不安にする」
 言って、蒲月は力なく微笑んだ。
「狩獺さえ取り除かれれば、不安もまた取り除かれます。姉上も民も、ほどほどに世間を信用していられる。そうやって自分の目に見える世界を整えようとするのです」

そうなんだよな。程々に世間を信用していられる、ということがとても大切。結末も含めて、なんとも言えない気持ちになる、いい短編。

投稿者 写楽斎ジョニー

都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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