読書家にとっちゃは何を今更、の本でしょうね。
以前、私淑する町田さわ子氏が言及されているのを見て以来、ずっと読みたかった本。
今更でもなんでも、読み始めました。
しかし硬派な本!
上巻
位置: 226
なぜ、人類社会の歴史は、それぞれの大陸によってかくも異なる経路をたどって発展したのだろうか?
人類社会の歴史の各大陸ごとの異なる展開こそ、人類史を大きく特徴づけるものであり、本書のテーマはそれを解することにある。
広い!広いよ、テーマ。
位置: 334
ニューギニア人のおもな死因は昔から、殺人であったり、しょっちゅう起こる部族間の衝突であったり、事故や飢えであった。こうした社会では、頭のいい人間のほうが頭のよくない人間よりも、それらの死因から逃れやすかったといえる。しかし、伝統的なヨーロッパ社会では、疫病で死ぬかどうかの決め手は、頭のよさではなく、疫病に対する抵抗力を遺伝的に持っているかどうかであった。
コロナ禍の今、タイムリーな話題ですよね。抵抗力のない人間は死んで当然、という歴史がそこにあるわけだ。そこには人道主義も何もないわけです。
位置: 390
ヨーロッパ人が、他の民族を殺したり征服することができるようになった直接の要因を指摘して、ヤリの疑問に答えようとする説もある。その要因とは、ヨーロッパの銃や伝染病や鉄器や、さまざまな加工品のことである。これらがまさしくヨーロッパ人による征服を可能にした直接の要因であるという意味において、この説は正しい。しかし、たんに直接の要因を解明し、表層的な(一段階だけの)説明しか提供していないという意味において不充分である。アフリカ人やアメリカ先住民ではなく、ヨーロッパ人が銃や病原菌や鉄を持つようになった究極の要因を探究しなければならない。
単純に文明の度合いだけじゃないよ、ってことですな。面白くなってきた。
位置: 410
人類史について書かれたその他の本も、過去五〇〇〇年間に起こった文字を持つユーラシア大陸の先進文明に焦点が当てられているものが多く、コロンブスのアメリカ大陸発見以前に存在していた先住民文明については簡単にしか触れていない。近年のユーラシア文明との関係において以外は、他の文明についてもほとんど記述されていない。トインビー以降、人類史を形作った要因の総合的解明を試みることは、手に負えない問題の解明の試みだとみなされ、歴史学者が好んであつかうテーマではなくなってしまった。
しかし現代じゃ、サピエンス全史を始め、結構興味深く読まれているテーマでもあります。面白いもんね。
位置: 443
われわれは、西暦一五〇〇年の時点の人類社会の差異を、生物学的に説明しようとすることは間違いであると確信している。しかし、正しい説明を知らされているわけではない。大半の人びとは、人類社会の歴史に見られる大きなパターンについて、詳細かつ説得力があり、納得できる説明を手にするまでは、相変わらず生物学的差異に根拠を求める人種差別的な説明を信じつづけるかもしれない。私が本書を執筆する最大の理由はここにある。
それこそ、人を肌の色で差別してはいけないという「道徳」から来るものですね。しかしそれは科学的根拠ではないわけです。「やはり人種差別は科学的にも間違っている」ことの証左をしてくれるという大変にありがたい本著。
位置: 1,363
インカ皇帝アタワルパがペルー北方の高地カハマルカで出会ったときである。アタワルパは、アメリカ大陸で最大かつもっとも進歩した国家の絶対君主であった。対するピサロは、ヨーロッパ最強の君主国であった神聖ローマ帝国カール五世の世界を代表していた(皇帝カール五世は、スペイン王カルロス一世としても知られている)。そのときピサロは、168人のならず者部隊を率いていたが、土地には不案内であり、地域住民のこともまったくわかっていなかった。いちばん近いスペイン人居留地(パナマ)から南方1,000マイル(約1,600キロ)のところにいて、タイミングよく援軍を求めることもできない状況にあった。一方、アタワルパは何百万の臣民を抱える帝国の中心にいて、他のインディアン(インディオ)相手につい最近勝利したばかりの八万の兵士によって護られていた。
168人対80,000。結果は火を見るより明らかのような気もしますが、現実は違ったというわけです。ここもすごいよね、実際どんな感じの無双を168人が見せたのか。
位置: 1,562
ところが、スペイン人のインカ征服では、銃器はたいした役割を果たしていない。火縄銃と呼ばれていた時代の銃は、装塡して発射するのに手間がかかった。しかもピサロ側が持っていた銃はたった12丁だった。たしかに発砲したときには、すさまじい心理的効果はあっただろう。しかし、スペイン人のインカ征服において銃器よりもずっと重要だったのは、スペイン側が鉄製の剣や槍や短剣などを持っていて、ほとんど武装していなかったインディオたちをそれらの武器で惨殺できたことである。
しかも銃は12丁。しかし勝った。
鉄や槍ってのはそんなにすごいんだね。投石とかじゃ相手にならないわけだ。
位置: 1,602
世界史では、いくつかのポイントにおいて、疫病に免疫のある人たちが免疫のない人たちに病気をうつしたことが、その後の歴史の流れを決定的に変えてしまっている。天然痘をはじめとしてインフルエンザ、チフス、腺ペスト、その他の伝染病によって、ヨーロッパ人が侵略した大陸の先住民の多くが死んでいるのだ。たとえば、アステカ帝国は1520年のスペイン軍の最初の侵攻には耐えているが、その後に大流行した天然痘によって徹底的に打ちのめされた。皇帝モンテスマを継いだばかりの皇帝クイトラワクも、やはり天然痘で死んでいる。ヨーロッパからの移住者たちが持ち込んだ疫病は、彼らが移住地域を拡大するより速い速度で南北アメリカ大陸の先住民部族のあいだに広まり、コロンブスの大陸発見以前の人口の95パーセントを葬り去ってしまった。北アメリカ大陸でもっとも人口が多く、もっとも高度な社会組織を有していたミシシッピ首長社会も疫病の犠牲となり、1492年から1600年代後半にかけて消滅してしまったが、それはヨーロッパ人がミシシッピ川流域に住みはじめる以前のことである。
実際、天然痘でアメリカ大陸人口の95%が死んだなんて言われて納得できますか。できませんよ。しかしそれくらい猛威を奮ったわけですな。そこで無力化された土地に、ピューリタンたちが乗り込んできたというのがダイヤモンド氏の主張なんだな。
すごい壮大な話。
位置: 1,635
ピサロの功績にかかわる出版は、彼の部下クリストバル・デ・メナ船長によるものが最初であるが、アタワルパの処刑からわずか九カ月後の、一五三四年四月にセビリアで出版されている。この本はたちまちベストセラーとなり、すぐにいくつものヨーロッパ語に翻訳されている。
やっぱりみんな新大陸に興味津々なわけだ。そりゃそうだ。
月面旅行記読みたいもんね。
位置: 1,681
ピサロを成功に導いた直接の要因は、銃器・鉄製の武器、そして騎馬などにもとづく軍事技術、ユーラシアの風土病・伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、ヨーロッパ国家の集権的な政治機構、そして文字を持っていたことである。本書のタイトルの『銃・病原菌・鉄』は、ヨーロッパ人が他の大陸を征服できた直接の要因を凝縮して表現したものである。
なんとなく「銃」と「鉄」がかぶっている気がするけど。
位置: 1,767
野営地から野営地へ移動しなければならない狩猟採集民の母親は、身のまわりのものを運びながらの行動を強いられ、幼児を一人しか連れて歩けない。つぎの子供は、先に生まれた子供がみんなの足手まといにならずに歩けるようになるまでは産めない。現実に、移住生活をしている狩猟採集民の女性は、授乳時の無月経や、禁欲、間引き、中絶などによって、つぎの子を産むまでに約四年の間隔をあけている。
これ、本当にそうね。
4歳位にならないと子どもって目が離せないからね。ウチも今、その真っ最中。大変よ、もう。
置: 1,816
それ以前においても(紀元前四〇〇〇年頃)、まだ人びとが鞍を使わずに馬に乗っていた時代に、もともとウクライナ地方でインド=ヨーロッパ言語を話していた人びとの居住地域が西方に広がっていった背景には、軍事的要素としての馬の存在が欠かせなかったのではないかと思われる。こうして広まっていったインド=ヨーロッパ言語は、バスク語を除く初期の西ヨーロッパ言語のすべてにとってかわっている。
バスク語の凄さったら。よく生き残ってますな。しかし馬は武力も輸送力も病原菌も運ぶんだからすごい。
位置: 1,821
たとえば紀元前一六七四年には、まだ馬を持たないエジプトを、遊牧民のヒクソスが馬のおかげで征服し、一時ファラオの地位に就いている。
その後、鞍や 鐙 が発明されると、フン族などのアジアの遊牧民族が馬に乗って西方に押し寄せ、ローマ帝国やその後に興った国々を脅かしている。結局、十三世紀および十四世紀には、モンゴル人がアジア大陸の大部分とロシアを征服している。位置: 1,829
征服戦争において馬と同じく重要だったのは、家畜から人間にうつった病原菌の果たした役割である。天然痘、麻疹(はしか)、インフルエンザなどの伝染病は、人間だけが罹患する病原菌によって引き起こされるが、これらの病原菌は動物に感染した病原菌の突然変異種である(第 11 章を参照)。家畜を持った人びとは、新しく生まれた病原菌の最初の犠牲者となったものの、時間の経過とともに、これらの病原菌に対する抵抗力をしだいに身につけていった。すでに免疫を有する人びとが、それらの病原菌にまったくさらされたことのなかった人びとと接触したとき、疫病が大流行し、ひどいときには後者の99パーセントが死亡している。このように、もともと家畜から人間にうつった病原菌は、ヨーロッパ人が南北アメリカ大陸やオーストラリア大陸、南アフリカ、そして太平洋諸島の先住民を征服するうえで、決定的な役割を果たしたのである。
やはり病原菌のくだりが面白すぎる。まったく欠けていた視点です。特にコロナ禍で読むと震えるね。
位置: 3,217
肥沃三日月地帯の人びとは、ニューギニアや合衆国東部の人びとよりずっと早い時期に、土着の野生植物を栽培化している。より生産性の高い植物、より有用な植物を栽培化し、より多様な作物を作りだしている。集約的な食料生産システムを発展させ、地域の人口密度をより早期に増加させている。その結果、肥沃三日月地帯の人びとは、ニューギニアや合衆国東部の人びとにくらべて、歴史上より早い時期に、より発展した科学技術、より複雑な社会構造、そして、他民族に感染しやすい伝染病に対する免疫力を発展させたのである。
長い歴史において、知力や武力よりも免疫力こそが生き延びる力だという。目からうろこの歴史観。面白い。
位置: 3,420
このように、重要な大型家畜の野生祖先種が世界じゅうに一様に分布していたのではなく、大陸ごとに偏って分布していたことが、結果的にユーラシア大陸の人びとが銃器や製鉄の技術を発達させ、各種疫病への免疫を発達させたことにつながっている。
多様な動物がいたほうが抗体を獲得しやすい。真理のような気がしますね。
位置: 3,760
この二つの大陸に対比するように、ユーラシア大陸は東西に伸びている。このように、世界の三大大陸は、その東西南北の広がりにおいて、驚くほど異なっている。大陸が東西に広がっていること、あるいは南北に広がっていることが、その大陸の人びとの歴史的展開に影響をあたえたとしたら、それはどのようなものだったのだろうか。位置: 3,934
季節ごとに変化する日照時間や気温、そして降雨量は、植物に発芽のタイミングを教え、苗木の成長をうながし、開花や成熟のタイミングを知らせる自然のシグナルである。植物は自然淘汰の過程を通じて、生存環境の気候に適した反応を示すように遺伝子がプログラムされている。そして、その生存環境の気候的要因は、その場所がどの緯度に位置するかによって決まるものが多い。
緯度が大事ってね。なるほどもっとも。
そう考えると多様性って本当に大切ですね。
位置: 4,158
戦史は、偉大な将軍を褒めたたえているが、過去の戦争で勝利したのは、かならずしももっとも優れた将軍や武器を持った側ではなかった。過去の戦争において勝利できたのは、たちの悪い病原菌に対して免疫を持っていて、免疫のない相手側にその病気をうつすことができた側である。
病原菌は、コロンブスの1492年の航海にはじまるヨーロッパ人のアメリカ大陸征服において、もっともおぞましい歴史的役割を果たした。もちろん、残忍なスペインの 征服者 に殺されたアメリカ先住民の数ははかりしれない。しかし、スペイン側の持ち込んだ凶悪な病原菌の犠牲になったアメリカ先住民の数は、それよりはるかに多かった。
愕然としますね。震えるほど興味深い。人間って面白い。
位置: 4,285
人類史上、もっとも猛威をふるった疫病は、第一次世界大戦が終結した頃に起こったインフルエンザの大流行で、そのときに世界で2000万人が命を落としている。1346年から52年にかけて流行した黒死病(腺ペスト)では、当時のヨーロッパの全人口の1/4が失われ、死亡率70パーセントという都市もあった。1880年、カナダ太平洋鉄道がサスカチェワン地域を貫いて建設されたときには、それまで白人や白人の持つ細菌にさらされることがほとんどなかったサスカチェワン地域のアメリカ先住民の人口のじつに9パーセントが、毎年、結核の犠牲となって死んでいった。
如何に人類がウイルスと戦ってきたか、ですよね。ペストじゃ1/4が死んだ、なんてね。
やはり血が混じるというのは大切なことなんだな。
位置: 4,454
人間の病気で、病原菌が新しい環境に適応すべく変化した例としては、梅毒菌があげられる。今日、梅毒といわれても、二つのことが頭に浮かぶだけだろう──性器に炎症がおこる。治療せずに放置しておくと、ゆっくりと何年かかけて進行し、やがて死に至る。しかし、1495年にヨーロッパで最初に記録された梅毒の症例によると、患者は頭から膝まで膿疱でおおわれ、顔から肉が削げ落ちて、たった数カ月で死亡している。ところが1546年になると、今日われわれがよく知っている症状を示す病気に変化しているのである。前例の粘液腫症と同様、梅毒を引き起こすスピロヘータ(螺旋状細菌)は、感染者がより長く生きて、菌を周囲にふりまきつづけ、自分の子孫が伝播できるように変化したのである。
伝播できるよう変化したのか、たまたま突然変異が残ったのか。疑問の余地はありますが、梅毒ですよ。落語で言う「かさをかく」ってやつね。
位置: 4,465
1519年、コルテスは、人口数百万人を誇り、勇猛果敢な軍隊を擁するアステカ帝国を征服するために、600人のスペイン兵士とともにメキシコの海岸に降り立った。コルテスがアステカの首都、テノチティトランに達したあと、自軍の「たった」2/3を失っただけで生き延び、応戦しながら海岸へ戻ることができたのは、スペイン側の軍事力が優れていたからであり、アステカ人が当初 愚直 だったからである。だが、コルテスがつぎに猛攻撃を仕掛けたときには、アステカ人はもはや 愚直 ではなかった。彼らは、いたるところで激しい戦いを挑んできた。結局、スペイン側の勝利を決定づけたのは軍事力ではなかった。一人の奴隷が1520年にメキシコにもたらした天然痘の大流行のおかげで、スペイン側は勝つことができたのである。この流行によって、アステカ帝国の人口のほぼ半分が死亡した。犠牲者のなかには皇帝クイトラワクもいた。アステカ人の命だけを奪い、スペイン人には何もしないという謎めいた病気は、生き残ったアステカ人にすれば、あたかもスペイン側の無敵さを示すもののように思え、士気は低下していった。2000万人だったメキシコの人口は、天然痘の大流行によって、1618年には160万人にまで激減していたのである。
そんな風に人口って減るんだね。いや、だって1/10以下じゃないですか。
そうやって人類は何万年も生きてきたんだな。
この天然痘とか疫病の歴史って面白いですね。武力とかじゃないわけだ。
位置: 4,483
北米にもアメリカ先住民たちが数多く住んでいた。現在でも有数の肥沃な農地が広がっているミシシッピ渓谷を中心に、人口の稠密な集団社会を形成していたのだ。これらのアメリカ先住民たちは、ヨーロッパ人征服者によって滅ぼされたわけではない。北米のアメリカ先住民社会は、ヨーロッパ人がやってきたときには、すでにユーラシア大陸の病原菌によって壊滅状態におちいっていた。たとえば、北米に最初にやってきたヨーロッパ人征服者であるエルナンド・デ・ソトは、1540年、合衆国南東部を行軍したとき、廃墟と化したアメリカ先住民の村落をいくつも見かけている。それらは、デ・ソトの行軍の二年前に大流行した疫病によって住民が死に絶え、遺棄されてしまった村落であった。
ミシシッピ渓谷には文明があったわけです。しかし、デ・ソトがみたときにはすでに廃墟だったわけで。
こういうの、知らないよね。教わらない。面白いです。
位置: 4,535
新世界で家畜として飼われていた動物の種類が少なかったのは、家畜化の対象となるような野生動物がもともとあまり生息していなかったからである。南北アメリカ大陸では、野生の大型哺乳類の80パーセントが、およそ13,000年前の最終氷河期の末期に絶滅してしまっている。しかもアメリカ先住民が家畜化できた数少ない種類の動物は、牛や豚にくらべると、集団感染症の病原菌の祖先になるような菌を持っていそうにもない。
アメリカ大陸では家畜になれる動物が少なく、だから抵抗力を獲得できなかったということですね。実に興味深い。
逆に、今コロナウイルスが欧米で猛威を奮って、アジアでは収束気味なのはなんでか。面白いですね。
位置: 4,559
ハワイ諸島では、1779年にクック船長とともに梅毒、淋病、結核、インフルエンザが上陸した。それにつづいて1804年には腸チフスが流行した。そして、伝染病のちょっとした流行がつぎからつぎへとつづき、その結果、1779年に50万人あったハワイの人口は、1853年には84,000人に激減してしまった。さらに、天然痘がハワイを見舞ったときには、残りの人口のうちの約一万人が犠牲になっている。このような例は、それこそ枚挙にいとまがない。
ちなみに、病原菌は、ヨーロッパ人だけに好都合にはたらいたわけではない。南北アメリカ大陸とオーストラリア大陸には、ヨーロッパ人を待ち受ける土地特有の集団感染症は存在しなかったが、熱帯アジア、アフリカ、インドネシア、ニューギニアはそうではなかった。たとえばマラリアは、熱帯地域全体に分布していた。熱帯東南アジアのコレラ、熱帯アフリカの黄熱病は、もっともよく知られた熱帯地方における死因だった(現在でもそうである)。そのため熱帯地域にヨーロッパ人が移り住むにあたっては、これらの病気がもっとも深刻な障害となった。これらの地域の植民地支配の確立が、南北アメリカ大陸より約400年も遅れたのは、こうした病気がヨーロッパ人進出のさまたげとなったからである。マラリアと黄熱病は、ヨーロッパ船の行き来によって南北アメリカ大陸に広がり、熱帯地域の植民地支配の確立を遅らせた要因となっている。パナマ運河の建設において、マラリアや黄熱病が、フランス人の努力を失敗に終わらせたことや、それを引き継いだアメリカ人に困難をもたらしたことはよく知られている。
コレラ・黄熱病・マラリアが植民地支配を遅らせた、というのは本当に面白い。人間の武力とかの問題じゃないわけだ。
下巻
位置: 123
たとえば、英語には、音素が40個ほどあるが、われわれはアルファベット26文字でこれらの音素をすべて記述している。ということは、記述にアルファベットを使う言語では、英語もふくめて、一つの文字が複数の音素を表したり、ギリシア語やロシア語では一文字で表される音素が英語の「 sh」や「 th」のように複数の文字の組み合わせで表されることになる。
一つの文字が、そのままである意味を表すかたまり(単語)であることを表意文字といい、中国語の文字や、日本語の表記でよく使われる文字(漢字)がこれである。アルファベット表記法が世界各地に広がる前は、エジプトの象形文字、マヤの絵文字、シュメールの 楔形文字などをふくめ、表意文字で表記する手法がいまよりも広く用いられていた。
文字や文明の話になっていきます。この本の扱う範囲広すぎ。
むしろ今は表意文字が少ないんですね。アルファベットが席巻してるから、仕方がないか。
位置: 130
一つの文字が一つの音節を表す手法は、本書の読者にはもっともなじみがないかもしれないが、音節表記法とよばれるこの方法では、子音と母音からなる音節に、個別の文字を割り当てる(たとえば、英単語の「family」が「fa-mi-ly」の三音節を表す三つの文字で表記される)。音節表記法は、古代において多く見られた。ギリシアのミケーネ文明の線文字Bなども音節表記法を採用している。もちろん現在でも、音節表記法は残っている。日本で使われている「カナ文字」はその代表格であり、電報、銀行通帳、点字などは「カナ文字表記」をもとにしていることが多い。
我々の言語が主流ではないことを、普通は知りませんよね。
いや、誰だってそう。本は世界を広げてくれる。己が異質であることに意識的であることのほうが難しいですよ。
位置: 559
人類の技術の進歩は、そうした個人によって突然もたらされたようにも見える。ヨハネス・グーテンベルク、ジェイムズ・ワット、トーマス・エジソン、ライト兄弟。彼らはみな、生っ粋のヨーロッパ人かヨーロッパ系移民の子孫である。アルキメデスをはじめとする古代の天才たちもみなそうである。そういう天才は、ナミビアやタスマニアでは誕生しなかったのだろうか。人類の科学技術史は、類まれな天才たちが誕生した場所の偶然性によって左右されるものにすぎないのだろうか。
これは非常に面白いテーマですよ。偉人はなぜ、ヨーロッパ系ばかりなのか。
位置: 582
これらの事例は広く知られている。そしてわれわれは、著名な例に惑わされ、「必要は発明の母」という錯覚におちいっている。ところが実際の発明の多くは、人間の好奇心の産物であって、何か特定のものを作りだそうとして生みだされたわけではない。発明をどのように応用するかは、発明がなされたあとに考えだされている。また、一般大衆が発明の必要性を実感できるのは、それがかなり長いあいだ使い込まれてからのことである。しかも、数ある発明のなかには、当初の目的とはまったく別の用途で使用されるようになったものもある。飛行機や自動車をはじめとする、近代の主要な発明の多くはこの手の発明である。内燃機関、電球、蓄音機、トランジスタ(半導体)。驚くべきことに、こうしたものは、発明された当時、どういう目的で使ったらいいかがよくわからなかった。つまり、多くの場合、「必要は発明の母」ではなく、「発明は必要の母」なのである。
必要だから発明されるものはごく少数で、多数は発明したら必要とされたのだ。ってこと。へぇ。面白いね。
進化論みたいだ。進化したんじゃなく、あくまで突然変異が適合したら残ったってだけ、みたいなね。
位置: 593
エジソンは、蓄音機の発明から数年を経た頃、自分の助手に向かって、蓄音機には商業的価値がないと告げたことさえある。ところが彼は、数年後に考えを変え、蓄音機を 口述用録音再生 装置 として売りはじめた。しかし、蓄音機をジュークボックスに作り変えて販売するものが登場すると、自分の発明の品位をけがすものだと反対している。エジソンが、蓄音機の主要な用途は、音楽の録音再生にあることをしぶしぶ認めたのは、発明から約20年たってからのことだった。
面白いね。エジソンだってそうだったんだな。口は災いの元。誰だっていつ失言するか分からないね。
位置: 706
二つめの要因は、経済性より社会的ステータスが重要視され、それが受容性に影響することである。たとえば、ブランドもののジーンズを買うために、品質はまったく同じノンブランド品の二倍の値段を払う人は何百万人もいる。ブランドものの社会的ステータスが、金銭以上のものをもたらしてくれるからである。日本人が、効率のよいアルファベットやカナ文字でなく、書くのがたいへんな漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いからである。
いや、ステータスが高いからがメインな理由じゃないよ。漢字の方が伝わるからだよ。ってダイヤモンド氏は奥さんから言われないかしら。
位置: 831
同じ社会が、時代によって異なる対応を示すこともある。中東地域の現代イスラム社会は、比較的保守的である。技術的に最先端を行っているわけでもない。しかし、中世においては、革新を受容する社会であり、技術的にも進んだ社会であった。
これは全くそのとおり。
位置: 838
今日、科学技術は、ヨーロッパからイスラムに向かって流れている。しかし、中世にあっては、圧倒的にイスラムからヨーロッパに向かって流れていた。この流れが反転したのは、西暦1500年以降のことである。
つまり、偉人は世界中に生まれていたわけだ。ただ習わないだけか。
位置: 840
西暦1450年頃まで、中国は、ヨーロッパよりも、中世のイスラムよりも、技術的に進歩した社会であった。運河の水門、鋳鉄、掘削技術、能率的な家畜の引き具、火薬、凧、磁針、 可動式活字、紙、磁器、印刷術(ファイストスの円盤は例外として)、船尾舵、猫車(一輪の手押し車)などは、すべて中国で発明されたものである。
これは歴史の先生は必ず言うね。しかし中国人発明家のネームバリューはそれほどでもない。
位置: 853
しかし、これらの事例の一つひとつの理由がどうであるかは、人類史のなかで繰り返し起こるパターンを研究するわれわれにとって大きな問題ではない。社会の革新性に無数の要因がかかわっていることは、歴史学者の仕事を逆説的に容易にする。社会ごとの技術面での革新性のちがいを、本質的に任意変数とみなせるからである。これは、大陸全体のように充分な面積のある地域では、どの時代においても、ある割合で革新的でありうる社会が存在しえることを意味している。
難しい言い回しですが、なんとなく分かるかな。
つまりは発明はどこでも起こりうる、っつーことか。
位置: 934
江戸時代の日本で、銃火器の技術が社会的に放棄されたことはよく知られている。日本人は、1543年に、中国の貨物船に乗っていた二人のポルトガル人冒険家から火縄銃(原始的な銃)が伝えられて以来、この新しい武器の威力に感銘し、みずから銃の製造をはじめている。そして、技術を大幅に向上させ、1600年には、世界でもっとも高性能な銃をどの国よりも多く持つまでになった。位置: 944
やがて幕府が銃の注文を減らす段になると、実用になる銃は日本からほとんど姿を消してしまったのである。
近代ヨーロッパの統治者のなかにも、銃を嫌い、その使用を制限しようとした人びとがいた。しかし、一時的にせよ銃を放棄すれば、銃を持つ近隣諸国に侵略されてしまうヨーロッパにあって、そうした銃の放棄は長くつづかなかった。日本が新しい強力な軍事技術を拒絶しつづけられたのは、人口が多く、孤立した島国だったからである。
文明は退化することもある、ってことですね。これは難しいけれど興味深いですよ。なるほど、進むだけじゃないわけだ。
位置: 1,081
人類の科学技術史は、こうした大陸ごとの面積や、人口や、伝播の容易さや、食料生産の開始タイミングのちがいが、技術自体の自己触媒作用によって時間の経過とともに増幅された結果である。そして、この自己触媒作用によって、スタート時点におけるユーラシア大陸の「一歩のリード」が、1492年のとてつもないリードにつながっている──ユーラシアの人びとがこういうリードを手にできたのは、彼らが他の大陸の人びとよりも知的に恵まれていたからではなく、地理的に恵まれていたからである。
結局ユーラシア大陸が横に長く広く動植物の多様性に富んでいるから、スペイン人は南米をかんたんに征服できた、ということなんですって、奥さん。
位置: 2,425
ところが中国は、五〇万年前から人間が住んでいたことが人骨化石からわかっているのに、ほとんど単一の言語が話されている。この長い歴史のなかで中国で生まれたはずの何万という言語は、いったいどうなってしまったのだろうか。
中国人の支配は言語や宗教にまで及ぶからね。多様性を認めないところがこの国の現状を作っている。逆行するようだけど歴史的に強いのは「多様性を認めない」方であった、少なくとも今まではね。
位置: 3,114
これらの途方もないちがいは、主として、南北アメリカ大陸の大型野生動物が更新世末期に絶滅したことに端を発している。
そりゃ、条件が悪すぎるわ。
位置: 4,286
─ヨーロッパの社会、肥沃三日月地帯の社会、そして中国の社会は同じユーラシア大陸内に位置するのに、なぜヨーロッパの社会がアメリカ大陸やオーストラリア大陸を植民地化し、もっとも進んだ技術を持つようになり、政治経済の分野で世界の主導権を握るようになったのか。紀元前八五〇〇年から西暦一四五〇年のあいだにいた歴史学者が、もしその後の人類史の展開を予測したなら、ヨーロッパ社会が世界の主導権を握ることなど、まずありえないと断言したにちがいない。この一万年間において、社会の発達がもっとも遅れていたのがヨーロッパだったからである。位置: 4,305
肥沃三日月地帯が圧倒的なリードを失ってしまった理由については答えがはっきりしている。この地域の人びとが初めの一歩を早く踏みだせたのは、適性のある野生種に恵まれていたからである。しかし、彼らが地理的に有利であったのは、その点においてだけであった。肥沃三日月地帯は、強力な帝国が西へ西へと移動していく過程を通じてリードを失っていった。
人類史を一つの流れとするならば肥沃三日月地帯は早熟すぎたわけですね。
位置: 4,313
こうした変化をもたらした要因は、肥沃三日月地帯の現状と古代の記述をくらべてみれば一目瞭然である。現在、「肥沃三日月地帯」を「世界をリードする食料生産地」とみなすことは、あまりにもばかげている。かつての肥沃な土地の大部分は農業に不向きな砂漠か、それに近い乾燥地や 草原地帯 になっており、土壌の風化や塩害が進んだ土地になってしまっている。現在、この地域の国々は、使ってしまえば再生できない石油という資源に頼りきっている。位置: 4,319
古代において、ギリシアをふくむ地中海地方東部および肥沃三日月地帯のほとんどは森林におおわれていた。それが、風化の進んだ砂漠地帯や灌木地帯へと変わっていった過程については、古植物学者と文化人類学者によって解明されている。
そうなんや。あのあたりは森だったんですね。しかし偉いことになっちまったもんだ。まったく今じゃ砂漠だもんね。
位置: 4,327
古代のローマの従属国であったナバテア王国の首都ペトラ(隊商都市)は現代のヨルダンあたりに位置していたが、その近辺に茂っていた最後の森林は、第一次世界大戦開戦の少し前にヒジャーズ鉄道を建設しようとしたオスマントルコ帝国によって伐採されてしまった。
つまり、不運なことに、肥沃三日月地帯や地中海地方東部は環境的に脆弱だったのである。そして、これらの地域に繁栄した人びとは、自分たちの環境基盤を破壊し、自分で自分の首を絞めてしまったのである。
ペトラは今じゃ砂漠の真ん中だけどね。昔は森の中にあったわけだ。
昔から砂漠の真ん中にあったような解釈の本かテレビを見た気がするけど、気の所為かしらね。
位置: 4,339
それでは、中国の場合はどうだったか。中国は、肥沃三日月地帯と同じくらい古い時代に食料生産をはじめていた。北部から南部に、そして沿岸地帯からチベット高原にまで広がる中国は、地形や環境の変化に富み、多様な作物や家畜や技術が誕生している。位置: 4,356
なぜ中国は、自分たちよりも遅れていたヨーロッパにリードを奪われてしまったのだろうか。
これらの謎を解く鍵は、船団の派遣の中止にある。この船団は、西暦1405年から1433年にかけて七回にわたって派遣されたが、その後は中国宮廷内の権力闘争の影響を受けて中止されてしまった。これは 宦官 派とその敵対派の抗争であったが、この種の政治的争いはどこの国でもよくあるものだ。船団派遣の政策を推進していたのは宦官派だったので、敵対派が権力を握ると船団の派遣をとりやめたのである。やがて造船所は解体され、外洋航海も禁じられた。
政治的に鎖国をとって、それが文明的退廃の原因であるということか。
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このように、ヨーロッパと中国はきわだった対照を見せている。中国の宮廷が禁じたのは海外への大航海だけではなかった。たとえば、水力紡績機の開発も禁じて、十四世紀にはじまりかけた産業革命を後退させている。世界の先端を行っていた時計技術を事実上葬り去っている。中国は十五世紀末以降、あらゆる機械や技術から手を引いてしまっているのだ。政治的な統一の悪しき影響は、1960年代から70年代にかけての文化大革命においても噴出している。現代中国においても、ほんの一握りの指導者の決定によって国じゅうの学校が五年間も閉鎖されたのである。
あらゆる愚策が中国を退廃させたが、いまそれが盛り返して覇権をとる勢い。
恐ろしい国だね。
結論
なんだかすごく広範囲に専門的な知識を浴びて疲れました。
しかし読むこと自体は面白い。
本著を理解できる日は来ないと思うけど、それでも読んでよかった一冊。
人類の敵は病原菌。それはこのコロナ禍のなかで改めて我々の認識するところになったわけで。