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これは純文学でしたね。
第171回芥川賞受賞作!
同じ身体を生きる姉妹、その驚きに満ちた普通の人生を描く、芥川賞受賞作。
周りからは一人に見える。でも私のすぐ隣にいるのは別のわたし。不思議なことはなにもない。けれど姉妹は考える、隣のあなたは誰なのか? そして今これを考えているのは誰なのか――三島賞受賞作『植物少女』の衝撃再び。最も注目される作家が医師としての経験と驚異の想像力で人生の普遍を描く、世界が初めて出会う物語。
一つの体の右左にそれぞれ人格が宿った女性の話。
荒唐無稽のような気がしますが、しかし語り口は落ち着いている。「え?本人そうなん?」と思うような視点の細やかさ。そして、なんともいえない読み応え。
位置: 339
アビー&ブリタニー姉妹は胴体が全部くっついているが、首は二本で頭は二つある。ベトちゃんドクちゃんは腰部がくっついていても、それぞれの上半身を持っている。
私たちは、全てがくっついていた。顔面も、違う半顔が真っ二つになって少しずれてくっついている。結合双生児といっても、頭も胸も腹もすべてがくっついて生まれたから、はたから見れば一人に見える。今でも初対面の人は、私たちの顔を見た時、面長の左顔と丸い右顔がくっついたものとは思わない。結合双生児ではなく、特異な顔貌をした「障がい者」だとみられる。
うーん、小説のテーマとしてよくこれを持ち出したよね。すごく挑戦的。
描くこと自体が差別的と言われかねないと危惧する人はいたんじゃないかな。でも、小説ってそういうことだよね。タブーに切り込むのが、人の心を揺さぶるのに一番手っ取り早い。
位置: 377
彼は名前を順番に呼んだ。濱岸杏さんと呼ばれると私は左手をあげて、濱岸瞬さんと呼ばれると瞬は右手をあげて元気よく返事をした。そして、右半身と左半身を交互に観察した後、彼は私と瞬のどちらでもない場所、つまり境界を見いだした。
読んでいるうちに、やっぱり「人間を人間足らしめているものってなんだろう」ってなる。思考?身体?でも、思考が流入している主人公みたいな人は? フィクションだからこそ、なんとも言えない気持ちになる、そうなることが許される。
位置: 474
大学を卒業した後で知り合った人には何の説明もしていない。初対面の人に濱岸杏ですと杏が自己紹介すればわたしは黙り、わたしが濱岸瞬と名乗れば杏は黙っている。深く知り合う前から自分たちの状況を説明したところで惨めでしかない。
杏と名乗った人と瞬と名乗った人が同時に存在する状況ではどうするんだろう。そんなことはないのか。だから工場がいいのか。 この距離の取り方、なんとなく現代の処世術な気がするんだよね。必要以上に開示しない感じ。
位置: 505
ロッカーが離れ離れになったあたりからどうも扱いが雑になって、卒業式でも中学の卒業証書授与は二枚重ねてもらえたが、高校では杏が証書を受け取って、同じ名字の浜岸 泉 が呼ばれて壇上にあがる間にぐるりと回ってもう一度壇上にあがるハメになった。わたしたちを良く知らない市長は校長に耳打ちしていた。なんであの子だけ二回取りにいったの、とでも聞いていたのだろう。校長が一言二言返すと、市長は頷いていたから、校長も校長で、中学生のときにわたしたちのことをあしゅら男爵と揶揄した体育の先生みたいに、都合の良いキャラクターでも引用して市長に説明しているのかもしれなかった。
ほんと、あたくしも失礼ながら、最初にあしゅら男爵だと思った。もしこういう人間がいるんだとしたら失礼な話だ。ただ、自分の知っているカテゴリに事象を当てはめて理解するムーブはやめられない。
位置: 551
そもそも父と伯父の関係もそうだ。胎児内胎児だって 50 万出生に1組。人口が何十億人もいることを考えれば、たびたび結合双生児も胎児内胎児も生まれてくる。たいしたことではない。
これ聞くとさ、この話のようなことって本当にあるのかと思うよね。脳みそ半分ずつ、顔半分ずつ、みたいな。いるのかな?
位置: 668
意識はどこからも独立している。タチアナとクリスタの意識は脳からも互いからも完全に独立している。思考や感覚が混じっても、意識が混じることはない。人間存在は内臓や心身のすべてを超越している!
じゃあ、人間を人間足らしめているのは、あたくしをあたくしたらしめているのは? デカルトは何をもって「我」としたのか。東洋哲学みたいになってきたな。自分とは、みたいな。
位置: 938
以前から時おり、二人の間に挟まっているものの薄さに怯えていた。身体の中では二人をわけている薄っぺらい何らかの隔たり。その隔たりを、血や内臓、感覚も記憶もひょいと跨いで行き来している。
ひょっとしたらそれは、決して他人事ではないのでは。自分を自分たらしめているのがなにか、自分でもよくわかっていないんだから、ひょいと跨いで何かが一時的に自分を動かす、ということもないとはいえない。あたくしは自分を単一人格の単一個体だと思っていますが、果たしてそうかな。
位置: 1,123
あぁ、これは伯父のお腹の左側、父の反対側に居た父の弟、私たちにとって叔父にあたる人物の水子供養の墓石だと杏が感づいた。
ふむ、予想外の展開。急に水子が出てきた。双子が生まれやすい家系というのがあるように、くっついて生まれやすい家系というのもあるのかもしれませんね。
そしてさらに、自分を自分たらしめているものが何なのか、分からなくなりました。自分は様々な人格を経由した先の現在の一時的な人格に過ぎないんじゃないか、とか思ってみたり。