『談志の十八番』 談志ファンによる談志語り

久々に読み返しましたが、熱量が半端ないです。

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広瀬和生氏による談志の名演ガイドです。
広瀬先生は今でも落語会をプロデュースされていて、もはやロックの人なのか落語の人なのか。落語がロックなのか。

先日のガラパゴスイッチで語られていたので、懐かしくなって改めて読んだら、やっぱり面白いのなんの。

重箱の隅にこそ神が宿る

この本は、とにかく観察眼を要求してきます。
「このCDの談志はここをこうしているから、よく見ろ」
「このDVDはここを前回から変えている」
始終ずっとこのテンション。正直、ファンじゃないと食傷になるでしょう。

しかしだからこそオタク。だからこそ突き詰められる世界があるということ。
広瀬氏のこの本は、自分がどれだけの観察力をして芸術を観ているか考えさせられます。

まるで、「重箱の隅にこそ神が宿る」と言わんばかりのもの。
談志の魅力というのは果たしてそこなの?と談志ファンのあたくしは思います。

あたくしは談志には達者であって欲しかった

著者はこう言います。

圓蔵はよく「志ん朝さんは上手い落語家、談志さんは達者な落語家。自分はどちらにもなれないので面白い落語家を目指した」と言っていたが、若き日の談志はまさに「達者な落語家」だった。威勢の良い芸風に現代的なセンスを取り入れた談志の新鮮な落語は寄席で大いにウケた。at location 184

筆者にとって、談志のピークは00年代。あたくしが生で談志を観ていた頃です。
とはいえ、親の金で観させてもらっていた時代なので偉そうなことは言えませんが。

でも、あたくしにとって好きな談志は絶対に三十~四十五くらいまで。
若いころの、達者で、威勢がよくて、江戸っ子の気風そのものである、そういった談志。だから筆者とは「談志のピーク」に関する捉え方が違うんですな。

それでも、主観長屋や『やかん』の考え方は膝を打つ

とはいえ、筆者の言うことはだいたい好き。
だって、談志への愛がビシビシ伝わってくるから。

また、文章にして改めて談志を読むというのもすごく気持ちがいい。
まだまだあたくしの心に談志師匠が生きてるってぇことですかね。

「いい加減にしろ、往生際の悪いヤツだな! だから毎朝顔を洗えって言ってるだろ? 人間、顔洗って髭でも剃りゃあ鏡を見るだろ。鏡を見りゃ自分の顔がわかるだろ? 俺なんざ毎日自分の顔見てるから向こうから俺が来ても『あ、俺だな』ってわかる。お前がお前だってこともわかる。お前のことがわかって俺のことがわかって両方わかってる俺が死骸を見てお前だって言ってるんだからお前だろ! お前は死んだんだろ! 死んだ! 死んだ! 死んだ!」 「……死んだ」 「ほら見ろ死んだ!」 「悲しいな……この悲しみは死んだ者にしかわからない」at location 985

これは粗忽長屋ですね。

兄が本心から弟のことを思って三文を与え、心の中で泣いていたのであれば、これは「美談」だ。  だが談志は「美談」にはしていない。彼は、こう主張する。 「あの兄貴は善意でやってない。三文やったのも、十年後に来た弟にあんな話をしたのも、成り行きだと思ってます。仮に善意だったらイヤな噺ですよ、演りたくない」  人間、所詮は成り行き。「人と人とが通じ合う」という常識の学習を肯定する「美談」として『鼠穴』を演りたくない、というのである。兄と弟が通じ合ったと思うのは大間違い、「火事が夢でなく現実だったとしても、あの兄貴はあのとおりだったかもしれない」というのが、談志の『鼠穴』なのだ。at location 1191

ねずみ穴。

談志の『やかん』はいつ聴いても面白かったが、「努力とは馬鹿に与えた夢」「未来とは修正できると思っている過去」といった談志の哲学がふんだんに盛り込まれて「談志の真髄は『やかん』にあり」と自他共に認める十八番となったのは二十一世紀に入ってからだろう。at location 2989

やかん、ですね。
いやはや、何とも。
「努力とは馬鹿に与えた夢」「未来とは修正できると思っている過去」遠慮がねぇなぁ、師匠は。とほほ。