『エンタテインメントの作り方』 なるほど、明確である。

『新世界より』の貴志祐介さんの著書。なるほど、わかりやすい。

読者を魅了する物語はどのようにして作られるのか? ホラー、ミステリ、SFで文芸賞を受賞し、『黒い家』『青の炎』『悪の教典』と年代を超えてミリオンセラーを出し続けるエンタメ・キングが手の内を明かす!

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『悪の教典』も『黒い家』も積んであります。
そんなあたくし、先にこれを読んでしまいました。

もしも、インフルエンザ・ウイルスがもたらすものが〝苦しみ〟ではなく、〝快楽〟だったら──」  高熱や激しい咳をともなうインフルエンザは苦しい。かかりたくないと誰もが思う。だから私たちは、インフルエンザが流行する季節になると感染を回避すべく、マスクの着用や手洗い、うがいの徹底に努める。しかし、もしインフルエンザが快感をもたらす病であったら、人は予防のための努力をするだろうか? おそらく、しないだろう。
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発想がすごい。けど、やっぱり貴志先生はSFの人なのね。
「すこし不思議」ではなく「サイエンスフィクション」の方の。ジェイムズ・P・ホーガンの方の。

過去に私が感銘を受けたのは、ビル・S・バリンジャーの『歯と爪』という作品だ。殺人事件が発生するものの、現場には焼け焦げた義歯と脛骨、右中指の先などが残るのみで、肝心の遺体が見つからない。この妙な事件をめぐって、検事側と弁護側のあいだで激しいやりとりが展開されるという物語。それぞれの視点での複数のエピソードが展開され、それらが合流する際のサプライズもしっかりと準備されており、エンタテインメントとしての読み味が抜群だった。自分でもいつかぜひやってみたいと強く感じたものだ。
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なるほど、メモメモ。
こういう作家さんのフェイバリット作って是非読みたくなりますな。
未読も未読。きっとこの本を読んでいなかったら一生読まなかったであろう本。
ただ、kindleはないのね。無念。

たとえば『新世界より』では、一〇〇〇年後の日本を舞台にしているが、これには明確な理由がある。  前提から説明すれば、この物語は生物の攻撃抑制に対する興味から着想したもの。もし、人間にトラやライオンのように生身で他人を殺められるレベルの高い攻撃力が備わっていたら、どのような社会が生まれるのだろう、と考えたのが始まりだった。  私はその〝高い攻撃力〟を超能力と設定し、一人ひとりが特殊な能力を身につけている世界を創出した。なぜ過去でも現在でもなく、未来に設定したのか。また、なぜ一〇〇年後、二〇〇年後ではなく、一〇〇〇年後だったのか。
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新人賞の応募作品には、あらかじめ「自分はこういう社会状況を告発したいんだ」という主題をもって書かれた作品が多く見られるが、そういう作品ほど、キャラクターに〝演説〟させてしまっている傾向を感じる。これは読み手としては興醒めで、エンタテインメントとしては瑕疵と言わざるを得ない。  理想は、物語が内包する主題が、読み進めるうちに自然に頭のなかにインプットされるような小説だろう。
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隠さず話してくれますねぇ、貴志先生。
素晴らしいサービス精神。

セリフに頼りすぎるな  選考委員を務める新人賞の応募作品に目を通していると、昨今、しばしば感じる傾向がある。それは、構成が良くも悪くもシナリオチックであることだ。  これはどういうことかというと、文章中に会話の占める割合が多く、描写よりもセリフまわしによってストーリーを展開させている作品が多いということだ。もっと言えば、地の文を軽んじているように思える作品が目につく。
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それが効果的な演出につながるケースもあるが、少なくともアマチュアレベルの原稿でいえば、会話偏重が逆効果になっていることがほとんどと言っていいだろう。
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昨今のラノベブームへの警鐘でしょうか、考え過ぎか。
でも確かに、SFで会話偏重をやられると、あまりにファンタジーぽさが強すぎてわけがわからない実感のない物語になってしまう傾向ってありますよね。それこそホーガンほどじゃなくとも、SFだからこそ現在と地続きの部分が大事だったり。

小説は必要最低限のことだけ描写すればいいと思われがちだが、実際には〝書いていない部分〟をどれだけ具体的にイメージできているかが、表現の質を大きく左右する。
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こんなこともおっしゃっている。
至言ですね。会話以外を読み飛ばしてもあらすじは分かる。けど、あらすじじゃ物語の面白さは全くといっていいほど伝わらない。そういうことなんじゃないでしょうか。せっかく読書するなら作者の表現全てを味わうべし。ってところかしら。

最後に、あたくしがこの本で最もはっとさせられた言葉を引用。

とくに危険なのは比喩表現だ。文章を書いていると、気の利いた比喩が閃くことがあるが、それが本当に素晴らしいものであるなら、おそらくとっくに使われているだろう。逆に、これまで誰も使ったことのないような比喩というのは、使われなかっただけの理由があることが多い。まったく新しい比喩表現というのは、現実的に考えてそう生まれてくるものではない。 「○○のように」という直喩は、そうした表現のなかでは比較的無難な部類だが、それでも使いすぎると文章がごちゃごちゃしてしまう。やはり多用は避けるべきだろう。
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あー、これ、あたくしは無意識でやっちまうやつです。困った。
一人で悦に入っちゃう痛い奴だ。

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