長編よりはるかに面白い『或る「小倉日記」伝』①

あたくしは『点と線』や『砂の器』より好きだな。

身体が不自由で孤独な一青年が、小倉在住期の鴎外を追究する芥川賞受賞作『或る「小倉日記」伝』。旧石器時代の人骨を発見し、その研究に生涯をかけた中学教師が、業績を横取りされる『石の骨』。功なり名とげた大学教授が悪女にひっかかり学界から顛落する『笛壺』。他に9篇を収める。

芥川賞受賞も頷けます。
悲哀がすごい。詰まってる。

位置: 171
耕作が、 外のものに親しむようになったのは、こういうことを 懐かしんだのが始まりだったが、 鴎外の 枯渋 な文章は耕作の孤独な心に 応えるものがあったのであろう。

孤独な時に文豪の作品が沁みるというのはあるあるです。
孤独と上手く付き合うきっかけになりえる。

位置: 194
だから、他人は知るまいが、時には彼はわざと 阿呆 のポーズさえ誇張して見せた。これを擬態だと思い、時には自分の本来の身体さえ擬態のように錯覚してわずかに慰めた。人が 嗤 っても平気でいられた。こちらから嗤ってやりたいくらいである。

メンタル強すぎ。あたくしなんざ、いまだに人に良い評価をされたくて虚勢を張ってしまうときが多々あるというのに。進んで阿呆のふりをするというのは人の道に外れた行為のように感じます。

位置: 235
鴎外が小倉に来た時は、年齢も四十前という男ざかりである。その独身生活は簡素をきわめ自ら後の作品「独身」、「鶏」に出てくるような風姿であった。その後、母のすすめる美人の妻と再婚したのもここである。満三年間の「小倉日記」の喪失は世を挙げて惜しまれた。いよいよ失われて無いとなると、「小倉日記」は、そのかくれている部分の容積と重量を人々に感じさせたのだった。
耕作の心を動かしたのはこの事実を知ってからだ。幼時の伝便の鈴の思い出がはからずも鴎外の文章でよみがえって以来、鴎外を読み、これに傾倒した。いま、「小倉日記」の散逸を知ると未見のこの日記に自分と同じ血が通うような憧憬さえ感じた。

まさに傾倒。そして憧憬。
失われた小倉日記を求めて、ってことですね。
続々します。

文学というのは時に人の生きる目的になりえる。素晴らしいことだ。

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