上下巻の大作。しかしこれまで十二国記を読んできた者からすると、とても読み易い。

人は、自分の悲しみのために涙する。陽子は、慶国の玉座に就きながらも役割を果たせず、女王ゆえ信頼を得られぬ己に苦悩していた。祥瓊(しょうけい)は、芳国国王である父が簒奪者に殺され、平穏な暮らしを失くし哭いていた。そして鈴は、蓬莱から辿り着いた才国で、苦行を強いられ泣いていた。それぞれの苦難を負う少女たちは、葛藤と嫉妬と羨望を抱きながらも幸福を信じて歩き出すのだが──。

正直、早く読みたかった陽子のその後。政権を取り戻すまでは良かったけど、政権をとってからは、今度は全く違う素養が求められますからね。そう上手くいくはずがない。そこのところの描写は見事だったなぁ。

上巻

p177

「景麒がわからないように 私にもわからない。一体何が道なんだろう。少なくとも諸官の顔色を窺って、誰の意見を重用するか 退けるか、それに苦労することじゃない。それだけが分かっている」
「ですが……」
「少し、時間をくれないか。ここはあまりに、私の知る世界とは違っているんだ」
 景麒は困り果てたような表情をしていた。
「私は今 玉座にいることが苦しい」
陽子の言葉に、景麒は軽く目を見開く。
「私は 蓬莱で人に嫌われることが怖かった。始終 人の顔色を窺って、誰からも気に入られるよう無理な綱渡りをしていたんだ。-----今とどう違う? 愚王と呼ばれることが怖い。ため息をつかれることが怖い。諸官の、民の、景麒の顔色を伺って、誰からも頷いてもらえるよう 無理している」

素晴らしい独白です。景麒を信頼しているからこそ出る言葉。
この物語の世界設定でとてもいいのは、王と麒麟の関係が運命共同体として、とても効果的なところ。麒麟も王も、それぞれの度量で協力し合っているのがよく伝わってきて気持ちがいい。

p180

内宮を退出しながら景麒は雲海を見やる。
大変なことになった、と思いながらも、妙に暖かい思いがしていた。

p181

陽子に初めて会った時、予王によく似た娘だと思った。またか、と思った。正直に言うと 辟易していた。
「だが お変わりになられた」
少なくとも 陽子は予王と 違い、己と戦うことを知っている。予王と同じく、官に萎縮して玉座を疎んじる気配があったが、陽子はそれを 己で自覚した。それを乗り越えるために自ら動き始めた。------この差は大きい。

ほんと、それな。いい信頼感。みていて嬉しくなる。

p260

「どうしてあんたたち 麒麟は、その憐れみが他の奚や下官----まっとうに正直に生きている人たちへの侮辱だということがわからないの?」
(中略)
祥瓊はその責任に気づかなかった。その責任を果たさなかった。野良仕事は辛い、掃除は辛い、いやだいやだって駄々をこねて逃げ出す人間を許すことはね、そういう仕事をきちんと 果たしている人に対する侮辱なの。

きもちのいい啖呵だね。これはきっとこっちの世界にいる誰かに対するものでもある。哀れみは近視眼的に行われがちだが、大局的には侮辱になる。わきまえておいて損はない事実。

p323

陽子は黙って頷く。この世界にもやはり 被差別者がいる。職業による差別はあまりない。家系によって職業が受け継がれることがないからだ。子供はどんな家の子供でも必ず数えで二十歳になれば公田をもらって独立する。大きな店も商売も、そのまま 子供に継がせることはできない。身体に障害のあるものも手厚く 養われる。だが半獣や浮民はやはり 隔てられるのだ。

人間の脳構造の仕様なんだろうな、差別って。どこに線を引くか、なんですよね。残酷なようだけど大局的には合っている気がしちゃうな。

下巻

p70

「天は親の人柄を見て子供を授けるとか。つまり 親になるということは 天に人柄を認められるということじゃな。----夜に子供の魂が抜け出て五山に飛び、 天帝に親の報告をするそうな。 死後、それに従って人が裁かれるとか」
「……ひょっとして すごく 宗教的なことなんですか」
「修道的と言った方がよかろうな。----子を与えられ、その子を立派に育てることが、人にとって道を治めるということじゃな。実際、子を持ってもいいことはあんまりありません。育てるには 手がかかり金がかかる」
「 そのくせ20歳になれば 家を出て行ってしまうわけですよね」
「 そういうことじゃの。だから親は子に尽くす。 子に蔑まれることは 天に蔑まれることじゃ。子を通して天に仕えておるのじゃな」

天とかそういうのは全く信じちゃいませんが、あたくしも子育てについて、同じようなことを思ったりもします。育ててるようでいて、育てられている。それによって、何か(あたくしの場合は遺伝子の軛かな)に報いている。

確かに修道的、ストイックと言っていいかもしれません。

p302

「人間って、不幸の競争をしてしまうわね。本当は死んでしまった人が一番かわいそうなのに、誰かを憐れむと負けたような気がしてしまうの。自分が一番かわいそうだって思うのは、自分が一番幸せって思うことと同じぐらい気持ちいいことなのかもしれない。自分を憐れんで、他人を恨んで、本当に一番やらなきゃいけないことから逃げてしまう

自己憐憫は楽だが、醜悪であります。

p388

「主上----!」
宰輔の制止に、王の返答はそっけない。
「 もう決めた」
「侮られだと怒るものがおりましょう」
「それがどうした」
「----主上!」
「 他社に頭を下げさせて、それで己の地位を確認しなければ安心できないもののことなど、私は知らない」
宰輔は絶句したし、諸官も呆れて口を開けた。
「そんなものの矜持 など知ったことではない。----それよりも人に頭を下げるたび、壊れていくものの方が問題だと、私は思う」
「ですが」
「人はね、景麒」
王は宰輔に言う。
「真実、相手に感謝し、心から尊敬の念を感じた時には、自然に頭が下がるものだ。礼とは心の中にあるものを表すためのもので、形によって心を量るためのものではないだろう。礼の名のもとに他者に礼拝を押し付けることは、他者の頭の上に足を乗せて、地になすりつける行為のように感じる」

振り切れた陽子の格好良さ、あるよね。

投稿者 写楽斎ジョニー

都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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