ジェーン・スー著『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』感想 男にもおすすめ

読者のどれくらいが男性なのかしら。もしかしたらジェーンスーさんのファンは男性のほうが多いのかもしれませんが。

「女子会には二種類あってだな」「ていねいな暮らしオブセッション」「私はオバさんになったが森高はどうだ」……誰もが見て見ぬふりをしてきた女にまつわる諸問題(女子問題、カワイイ問題、ブスとババア問題……etc.)から、恋愛、結婚、家族、老後まで——話題の著者が笑いと毒で切り込む。“未婚のプロ”の真骨頂。講談社エッセイ賞受賞作。

現代人の心理を非常にうまく書いてあります。少なくとも「ていねいな暮らしオブセッション」に取りつかれている人の何人か知ってます。あたくしも危うくそこにハマるところでした。いや、今だって気を抜けばそうなりかねない。

位置: 47
明確な根拠なくなにかを嫌悪したり、下手したらきれいな夕陽を見て涙をこぼしたり。世間で女子特有の行動とされているものは、合理性と無縁の地に存在しています。「なんとなく」が立派な理由になる。なんとなく、にもホントは理由があるんだけど、それを説明するのは無粋なのが、女子。馬鹿にしているのではありません。

あたくしも妻によく「論理的に説明してくれなきゃわからない」と言いますが、改めて考えればなんて野暮な話でしょうか。ロマン主義過ぎても生活は成り立ちませんが、野暮だと生活はつまらない。

位置: 69
大人の女の女子アピールは刺青アピールと同義だと思ってから、私は女子会の写真を見るのが楽しくて仕方ありません。美味しそうなケーキと一緒にアヒル口の大人カワイイ女子(三十歳以上)が写っている写真を見ると、物騒な輩が深夜に集まって金ピカジャラジャラのネックレスをぶら下げ、腕に入ったタトゥーを見せびらかしてメンチ切ってる写真に見えてくる。

なるほど。同族間でのみ通用するマウント取り合いだと思えってか。そうすりゃ、確かに、多少は可愛く思えます。この辺のたとえが、ジェーンスーさんは本当に上手。

位置: 137
すると、彼女はこう言いました。「また、ていねいに暮らしそびれる!」
ああ、それわかる。ていねいな暮らしオブセッション。
ていねいな暮らしオブセッションとは、『暮しの手帖』に体現されるような、正しい佇まいの暮らし方に取り憑かれること。朝は早めに起き、朝食の前に古着をリメイクした雑巾で、さっと拭き掃除を済ます。一汁二菜の質素な朝食を用意している間に、夕飯の魚を下ごしらえしましょう。物質的な豊かさよりも、精神的に豊かになることを尊び、「きちんと暮らす」ことに矜持を持つ。ネオ清貧とでも言いましょうか、とにかく毎日をきちんときちんと暮らすのです。

ネオ清貧。なんてキラーワード。そうなんですよ。
物理的な豊かさに疲れたり、獲得不可能だと思ったら、もはやそっちしか道はないじゃないですか。まったくもってその通り。
あたくしのシンク下にも、使わなくなった鰹節削り器があります。丁寧に暮らすために実家から持ってきたのにね。

位置: 217
胸が膨らんできた十代前半、自身に性的な意味合いが付加されていくことに戸惑ってから、三十年が経過しました。自分の意思に関係なく体の変化で女の舞台に上げられて、ようやく心と体の辻褄が合ってきたあたりで、今度は体が舞台から降りようとするのです。 堪ったものではありません。

身体と意思のつじつまが合うまで恐ろしく時間がかかる。でもそんなものかもしれません。あたくしだってそうか。自分が10人中9人は「醜男」だと言われる美貌であることを、20代前半くらいまで受け入れられずにいましたものね。

位置: 295
額が異なると、受けるサービスが異なることを、身を以て知ることができました。無駄遣いの良いところは、自分に不必要な贅沢がハッキリ見えるようになること。体験しないうちは、どれもが素晴らしいものに見えたままです。

無駄遣いは大切。子どもたちにもじゃんじゃん無駄遣いさせたいね。なるべく効果的にね。

位置: 455
同時に、「自分はどうやってもうまくいかない」という思い込みを、自らに証明しようとやっきになっていました。手に入りそうもない型の幸せの獲得にキツキツの矯正ギプスをはめて挑み、「ほうら、やっぱりダメだった!」と鏡の中の自分を指さしてNGを出していたのが当時の私です。なんでも白黒ハッキリつけたがり、ほぼ視界ゼロの色眼鏡で自分と人を見て、わかった気になって自分にバツをつけていたのだと思います。手に入りそうもない型の幸せが自分を幸せにしなそうならば、手放せば良いだけなのに。

その割り切りは凡人には30年かかります。
あたくしも30数年かかりました。手に入りそうな型の幸せを捨てるところから、大人が始まると言ってもいい。

位置: 517
可愛さ格差が生む大人からの扱いと、享受する好機の差に愕然とした「そこまではかわいくない女児」たち、たとえば私などは、幼児期に親以外からの扱いで自己を肯定するのがとても難しかった。もともと少なかった私の小ささ資源やか弱さ資源は、成長に伴い一瞬で枯渇。潤沢な資源を保持したまま成長していく女児との扱い格差は、どんどん開いていきました。

その状況で「ズルい!」といって固執して駄々こねていたのがあたくしです。小ささや可愛らしさで評価される世界ではありませんでしたが本質は一緒。

どれだけ「自分が幸せになれるか」を真っ直ぐに考えられるか。その大切さを子どもたちには伝えたいですな。

位置: 669
隙のある状態に耐えられる能力は、あいまいな空気を他者との間に漂わせたままにできる強さです。一見主体性のない女の子の方が、強気な女よりずっと強いと思うことがあるのは、己を漂わせる強さを彼女たちが持っているからです。

特に思春期は白黒つけたがる時期ですから。あたくしもむやみにゼロイチで考えてました。かたっ苦しい。自分に自信がないせいですね。ま、無理もない。

位置: 1,539
結婚も出産もせず生き長らえていると、生きることはまるで 賽の河原で石を積むのと同じに思えてきますね。それでも、いくつになってもみずみずしいあだ花を咲かせるのは楽しい。  勤労と納税と己の再教育には抜かりがないので、国民としての義務は果たしていると言えよう。私たちは、当面これでいいのだ。

いいんですよ、それで。
憲法のことは詳しくはないですが、教育を「己の再教育」としても問題はないのかしら。子女がいなきゃ構わないのか。

位置: 2,149
SNS浸透以前の脳内リベンジでは、火種は元彼のささいな進捗情報。それを自分の妄想を燃料にして燃やしていました。ささいな現実(進捗情報)をA子さんの妄想で肉付けしていくので、妄想と現実(元彼の本当の生活)はどんどん乖離します。そうなれば、いつか現実と妄想の答え合わせをする日が来た時に、A子さんは必ず現実に切りつけられ、鮮血を流してブッ倒れる。大量出血はするものの、傷跡はスパッと切れの良いものなので、時間が必ず傷を癒やしてくれるでしょう。脳内リベンジには、都合の良い妄想で己を鼓舞する作用と、現実と妄想の乖離による過去への決別の二つの作用があります。勝手な妄想は、必要な通過儀礼なのです。この大事なフェイズが、SNS浸透以降では省かれてしまう。

昔の想い人などが容易に生活に浸食してきては、平常心で生きていられません。だからあたくしはFacebookをやらない。おのれの情報も公開しない。

位置: 2,210
次から次へと東京というリングに上がってくるレスラーは煩いものですが、趣向を凝らしたマスクにはハッとするほど素敵なデザインもあり、なによりリングの上で戦うのは楽しそうに見える。実のところそれはちょっと羨ましくもあるのですが、派手なマスク姿を幼馴染に見られでもしたら恥ずかしいので、私たち東京出身者は、このリング上で覆面レスラーになりづらい。東京生まれ東京育ちにとって、ここはリングではなく地続きの人間関係がある茶の間ですから、かぶりつきで伝説の試合を見るのがせいぜい。その場に立ち会っていたことを、のちのち人に羨ましがられたらラッキーです。

東京は東京出身のために存在しない。マスクド・地方民のためにあるという新説。あたくしは大いに賛同します。あいつらマスク被ってやんのか。だからはっちゃけられるんだ。

あたくしは出来ない。限りなく地続きだから。親もいるし。

位置: 2,216
地方出身の友達が「東京はみんなのもの」と言ったことがあります。これには大変驚きました。「いろいろしがらみはあるけど、やっぱり落ち着ける地元」を残したまま、東京でやりたい放題やってる癖に、なにを自分勝手なことを言っているのか。

だからこそ、ちょっとこういう意見にムッときたりする。「お前らが好きかって荒らした土地で、あたくしは死ぬまで生きるんだ」と怒鳴ったりしたくなる。

ま、死ぬまで東京かどうかは知りませんが。

位置: 2,222
東京に生まれ育つ者は、既得権益に恵まれるか、自覚的に強者にならない限り、前向きな意欲に満ちた来訪者から悪意なくレイプされ続けるのです。

言葉は過激ですが、まぁ、言っていることはさもありなん。

位置: 2,427
Facebookの子供の写真を見て私の感情が揺らぐのは、私が結婚していないからとか、私に子供がいないからとか、そんな理由ではなかったのです。私の持っていない「婚姻関係」や「親子関係」を持つ同年代の友人知人に、嫉妬していたのではなかった。むしろ立ち位置は逆でした。私は、父親に世話をされている女児(つまり数十年前の私と同じ存在)に嫉妬していました。なぜなら、子供時代にそんな風に父親に可愛がられた覚えが、私にはなかったから。

親として、これほど恐ろしくも嬉しくもある言葉はありません。
いま、子どもたちを愛することが、数年後の娘にもしっかり影響を与えてると思えば、背筋も伸びる。

位置: 2,445
これはマズいことになった! 私は焦りました。なぜって、私が中年にもなってまだ「幼少期に父親にも母親と同じようにかまって欲しかった」と思っているのだとしたら、現在育児に参画している男性は、それこそもろ手を挙げて私に賛同されるべきなのです。なのに、私はその人たちに「働けよ」と思ってしまう。自分がその機会に恵まれなかったという身勝手な理由で、彼らの積極的な育児参画を否定的に見ているのです。これは、見知らぬ女児に「私より良い思いをしてはいけない」と思っているのと同じ! 私は自分が恐ろしくなりました。

とても人間臭い、いい告白ですね。
「私よりいい思いをしてはいけない」というのは人目をはばかるセリフではありますが、何よりも人間臭い。その気持ちといかに付き合うか、どう付き合うかが大人かどうかを決めるのかもしれません。

パーソナリティーとしてジェーンスーさんが愛される理由が分かったような気がします。

位置: 2,596
とは言え、自分の功績をまるで認められないと、働くモチベーションが下がります。私は手柄アピールマンが視野狭窄 に陥って直属の上司だけに焦点を合わせている間に、他部署とのコネクション作りに専心しました。特に、他部署の上長を頼りにするのはオススメです。自分がいまやっていることを話しながら、その上でどうしたら良い結果につながるかを、ガンガン聞きに行きました。
上長は上長同士つながっているので、直属の上司に手柄を過剰にアピールしなくとも、私の働きはそれとなく直属の上司の耳に入ります。縁の下の力持ちは誰か、周囲にじわじわと知らしめながら、私の知識も増えました。

ビジネスパーソンとしてのスーさんも、とても優秀。あたくしは傍にいたら苦々しく思っていたでしょうが。仕事頑張っている人を素直に応援できない。嫌な性分ですね。

コネクションとか作っている人を鼻で笑う、そういう根性があります。よくない。

とはいえ、本著は大変面白い。男にもお勧めしたい。

By 写楽斎ジョニー

都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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