車谷長吉著『錢金について』感想 車谷氏の金銭観、聞きたい

時々、読みたくなるね、この人。

人が「銭金の問題じゃねえだろッ」と怒るとき、実際のことの発端はやはり銭金の問題なのである! 貧乏、借金、挫折、嫉妬……欲望渦巻く人間の金がらみ人生を赤裸々に綴った表題作など、一大不況の時代を乗り切るための救済と覚悟を示すエッセー集。

身も蓋もないこと、が核心をついているケースはままあれど、「核心しかついていない」ために遠ざけられることはそれ以上にあります。

車谷長吉さんの文章にはそれが程よい。狂人としてのイメージがあるから、最初から色眼鏡で見れる。本人は嬉しくないだろうけどね。

位置: 193
現実においては、どうあっても許すことが出来ないのだ。するとまた二通の手紙が来た。同じようなことが書いてあった。
小説はここで未完に終っている。

そういえば、金色夜叉ってちゃんと読んだことない。未完なんだ?

位置: 296
「俺はお前が週刊誌を読んでる姿、見たことねえぞ。これは何だ。こんなもの読みやがって。こんなもの読んでて、金に頭を下げられると思ってんのか。人間の心は捨てろ。そうすれば、どんなことだって平気で出来る。人におべんちゃらを言うことだって、人を 騙すことだって平気で出来る。俺たちは人に頭を下げることによって、飯を喰ってんじゃねえぞ。金に頭を下げることによって、喰ってるんだ。いいか。お前はその屈辱にもよう堪えん男じゃないか。金に頭を下げることのありがたさを知ったら、どんなことだって出来る。屈辱に堪えること、それがお前の喰う飯の味だ。お前だって、金なしには飯が喰えん男じゃねえか。その金は誰からもらっているんだ。おう。どんな 別嬪 も便所へ行ったら、パンツを脱いでしゃがむんだ。人間の心を捨てろ。いいか。」
上司はさすがに「ソークラテースの弁明」をごみ箱へ捨てることはしなかった。私に返してくれた。が、私はこの男の言う「俺たち」の仲間として生きることを請求されているのだった。この男の言うことには、それ相応の「深い」理があり、私が「よう屈辱にも堪えん男」であるのは、それはそうに相違なかった。

大学の友人が会社に入って工場研修で、中卒工員に「大卒のくせに工具の使い方も知らねぇのか」と罵倒されたことがある、という話を思い出した。

あたくしも、最初の会社はそんな感じだったな。妙にしんみりしてしまう。

位置: 321
私にあっては、この小事件は大きな意味・価値を持っていた。私はプラトーンを読みながら、併しまた同じくプラトーンを読む他人で、これを読むことに屈辱を覚えない人には、も早何も共感を覚えなくなっていた。世の中にはプラトーンを読む人は多く、寧ろこれを読むことを己れの「誇り」にしている人の方が多い。私にはその自慢がましい精神態度が、頓珍漢な思い上がりにしか見えなくなった。

位置: 328
この屈折は、私に苦痛を強いた。プラトーンを読むことに「誇り」を味わっていた男が、「苦痛」の中でプラトーンを読みはじめた。難儀なことであった。

言いたいことはわかる気がする。「プラトーン読んでる俺かっこいい」と「プラトーンにすがる俺ダサい」の間、っつーことかな。

車谷さんの本心は、あたくしには分からないが、しかし、どっちにせよ難儀でありがたい文章であります。

位置: 405
ところがそれから半月ほどが過ぎたころ、奇怪なことが起こった。男から現金書留が届いた。中をあらためて見ると、私に尻拭いさせたはずの銭が、一円一銭の利子も付けることなく入っていた。それだけだった。添えの言葉はなかった。男としては、ヨーロッパへ旅発つ前に、むかしの古傷を 糊塗 しておきたいということであるらしかった。私にとっては「大金」であるが、いずれ男が受け継ぐであろう遺産の高からすれば、鼠の糞一粒ほどの銭であった。それで己れの古傷は忘れたいという了見であるらしかった。
して見れば、この男の中にも小心者の心細さが働いているらしかった。寧ろ踏み倒し切って欲しい銭であった。併し送金して来たのであった。これで己れの「誠意」を見せた積もりであるらしかった。己れの「良心」を撫でさすりたい了見の銭であった。

銭金の話だ。あくまで「自分の良心を撫でさすりたい」了見です。
これ、似たようなこと、してるよね。黙ってりゃ誰も損しないのに、良心の呵責で喋っちゃうとかね。あります。

位置: 564
振分け荷物に三度笠、縞の合羽に 草鞋 履き。 沓掛 時次郎。番場ノ忠太郎。鯉名ノ銀平。駒形茂兵衛。等々。子供の時分、股旅映画で、あのいなせな股旅姿を見るたびに、あの荷物の中には何が入っているんだろうとよく思うた。

憧れますな。寅さんのトランクもそれか。

位置: 1,182
私は子供の頃から、人から「変人」だと言われて人となりをとげた。結婚後、六年が過ぎて、嫁はん(高橋順子)は「私はあなたほど 卦 ッ 体 な人は、見たことがない。」と言う。たとえば、私は原則としてズボンの前を閉めない。こういう男と付き合うのは、さぞや大変だろうな、と思う。

じゃあ閉めろよ。なんでなんでしょうね。

位置: 2,060
文学の本質は悪である。反社会性である。反「世間の常識」である。こういう文学が裁判に掛けられたら、かならず負けるのは、はじめから分かり切ったことである。裁判所は人間の悪を裁くところである。だが、人間の本質は悪であって、その悪を書くのが文学の主題であるのだから、負けるのは分かり切った話だ。柳さんは最高裁判所に上告した、と新聞が報じていたが、これも負けるだろう。

文学の本質は悪なのか。あたくしは、文学の本質は、強いて言えば個だと思うけどな。悪が文学なら文学ってよほど狭い。

位置: 2,132
ある晩、渋谷の酒場でいっしょに酒を吞んでいる時、前田氏に尋ねた。「前田さんは、今日のような世の中において、幸福ということをどう考えていらっしゃいますか。」「うん、それは恐ろしく困難な質問だけれど、僕は少し貧乏というのが、いまの世における幸福だと思うね。」
こういう答えが返って来た。

ふむ、なんかあったんだろうね。確かに金持ち過ぎる、貧乏過ぎると、それはそれで幸福から遠のくというのは分かる。

でも、正直、少し金持ちくらいがいいなぁ。

位置: 2,917
この汚穢屋になりたいという「夢」から、氏の自決までは一筋道である。それは太宰治がその処女創作集「晩年」の始まりに記した「死なうと思つてゐた。」に真ッ直ぐに通じる、人生のむごい 主題 である。つまり下降志向という快楽である。

下降志向という快楽、確かにある。三島由紀夫のようなおぼっちゃんには特にあるのかもしれぬ。ある意味すごく文学的だ。

位置: 3,050
本に付された著者略年譜によれば、町田氏は泉州堺の生れなのだそうであるが、由来、大阪人の文学には二つの系譜がある。川端康成、梶井基次郎等に代表される、「ダメ人生を笑いのめす」ところなどかけらもない、生真面目な文学。もう一つは、宇野浩二、織田作之助、田辺聖子等に代表される、のらりくらり捉えどころのない、言うなれば瓢簞鯰のような文学。

町田康について。

川端か、織田作か。オダサクのようなユーモアのほうが、あたくしは憧れますね。

位置: 3,479
まったくの無名者として生きた二十二年の間に、実はただ一度だけ、見ず知らずの読者から手紙を頂いたのである。新潮昭和六十年五月号に「吃りの父が歌った軍歌」を発表したところ、翌々年の昭和六十二年十二月二日になって、いきなり白洲正子さんから墨筆でしたためられた長い手紙が届いたのである。中を読むと、私の「吃りの父が歌った軍歌」を褒めて下さる言葉が、書き連ねてある。驚いた。 慄 えた。

白洲正子と車谷長吉の思わぬ繋がり。面白いね。
全然違う毛並みのようでいて、何かあったんだろうね。

位置: 3,810
嘉村礒多の私小説は、極道と言うか、 我儘 と言うか、馬鹿息子と言うか、豪農の跡取り息子が、古里の生家に 妻子 がありながら、それを捨てて、女と東京へ駆け落ち、その己れの所業を有りのままに書いたものである。いや、私はいま有りのままと言うたが、その作品のある部分はひどく誇張されたものであり、妻・静子を取り扱った「父となる日」「牡丹雪」「不幸な夫婦」などは、相当に露悪的に、自己の醜さ、愚か、悪を、容赦なく抉り出したものである。その 惨憺 たる凄まじさは、他に類を見ない。

北町貫多の多は嘉村磯多から来た、というのをどこかで読んだ気がする。

まだどれも読んだことないけど、読みたいな。

位置: 3,943
(水俣湾に水銀をたれ流した㈱チッソの元社長江頭豊は江藤淳の叔父であり、雅子皇太子妃の祖父である。)

そうなん!?調べたら本当でした。

位置: 4,073
田岡典夫が「強情いちご」で昭和十七年下半期の直木賞をもらった時、志賀直哉が「僕の書く藝術小説は、きみの書くような大衆小説とはわけが違うんだからね。」と言った、という有名な小事件がある。

がっかり志賀直哉。好きだったのに。なんだか幻滅した。

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