柞刈湯葉著『人間たちの話』感想 テッド・チャン味ある

日本のテッド・チャンと聞いて。

SFマガジンに掲載された「宇宙ラーメン重油味」「たのしい超監視社会」をはじめとした、『横浜駅SF』で話題の、SF界若手最注目の奇才による初短篇集。全六篇収録。

確かに面白かった。好奇心を刺激されます。やっぱり定期的にSF読まないと、脳のSF理解筋肉が落ちる気がする。

あらゐけいいち先生の絵、ちゃんと物語にそって描かれてて、すげーってなった。先生も好きなんかな。

楽しい超監視社会

位置: 607
「豚兄弟をやっつけろ!」
字幕と音楽に合わせて、道路を埋める群衆が叫ぶ。さっきまで 虚ろな目をしていた歩行者たちが、顔をキラキラと輝かせて手を振り上げる。 「豚兄弟」はオセアニアの最高指導者の 蔑称 である。

まさに1984。オマージュですね。bigとpigをかけるとか、安直な気もしつつも、面白い。

位置: 622
「三分間ヘイティング」は群衆の声を使ったビデオゲームであり、声量とタイミングに基づいて地域ごとに得点がつく仕組みとなっている。
順位が高くても特典はないが、国民はこの集団遊戯に熱心であり、中には個人用電幕を使って自主練に取り組む者もいる。

先日、辻田真佐憲さんの本でも読んだんですが、戦中のプロパガンダには国民の積極的介入が、我々の思っているよりあったという話でしたね。

1984よりポップに書かれている分、嫌な感じではある。

位置: 649
三分間ヘイティングについても、彼らがオセアニア軍に汚い言葉を投げかけるのはそれが集団遊戯のルールだからであり、映像が終わればすぐにイースタシア国内で完結した日常に戻っていく。監視社会における若者たちは皆、そういう分離可能な精神を身につけているのである。
だが話はともかく街コンである。

この「ともかく街コン」の感じ、怖いっちゃ怖いね。

位置: 672
「いつも見てますよ。小説、頑張ってください」
「あっ、はい。どうも」
薄井がぺこりと頭を下げると、能面男も首だけで礼をした。その体勢で数秒ほど黙っていると、話すべきことがないと相互理解を得たらしく、男は瓶を持ったまま別のテーブルへ消えていった。
「任意監視か」
頭上から大村が話しかけてくる。
「……だろうね。見覚えないし。国民服だから学生じゃないんだろうけど」
「貴様を任意で見る暇人がいるとはな」
「馬鹿にすんなよ。僕には一七人いるぞ」

この監視している人数がまた、承認欲求の対象になったりするんだろうね。怖い怖い。
全体的なポップさが、逆にこええっていう。1984のオマージュでありながら、逆のアプローチで怖い。

人間たちの話

位置: 1,045
図鑑や博物館で「奇想天外な動物たち」と紹介されている熱帯動物や深海生物、化石にのみ姿を残す絶滅種たちは、すべて造形が奇抜なだけの親戚にすぎない。生命世界はすべて同質であり、孤独な遠祖の単調な写し身だけがこの青い球面を満たしているのだ。彼はそのように理解した。

この感覚、なんとなく考古学にも通じるんだよね。スケールは違えど。縄文人の前で歴史や文化の違いなんかは無価値だ、とかよく考えたな。

位置: 1,065
この父の見込みは間違っている。境平はなにも人間社会に対し広い視野を持っていたわけではない。むしろ逆で、彼にとって日本人と中国人はおろか、アジア人と白人の違いも理解できなかった。そういった国籍や人種の多様性といったものはすべて、彼にとっては「孤独な巨人」の構成要素にすぎなかった。

日本の衰退を嘆く父と、それをなんとも思わない息子。面白いね。皮肉こそ最もわかりやすいSFの魅力じゃないかな。

位置: 1,076
境平は特別身体的に 脆弱 というわけではなかった。彼が宇宙飛行士を少年時代の夢としても考えなかったのは、宇宙に行くのが自分である必要性を感じなかったからだ。
地球上の人類はDNAで見れば 99%以上同質であり、ほんの数万年前に分化した近い親戚にすぎない。そのうちの誰かが宇宙に行くのであれば、それは自分が行くのと本質的に同等だ。人間の業績は人間全体に帰せられるものであり、個人はそれぞれの適性に応じた役割を果たせばよい、と彼は思っていた。

嫉妬みたいなものと無縁なんだよね。楽だろうな、生き方。こういう人間になりたいね。

位置: 1,606
境平が人生をかけて探している他者とは、すなわち、地球に生きる生命の兄弟なのだ。
宇宙のどこかに他の生命体が存在することで、自分たちが生まれるべくして生まれたものだと、信じることができるのだ。
もちろんそれは空想だった。宇宙の摂理は生命を愛したり 慈しんだりはしない。ただ、もうひとつの生命が存在しているという、その事実を確認するだけで、人間たちの存在が、必然性に基づいた結果だという空想に浸ることができるのだ。
皆が皆、それぞれ求めている空想があるのだ。どうしてそれを否定することができるだろう?
「帰ろう、累。僕たちの家に」

科学の話と、人間臭い話の、妙な接地点をみて、不思議な気分になる。これぞSF。

位置: 1,616
有機分子と水を 湛えた多孔質の岩石は、相変わらず火星の地中に存在していた。
地球から送られてきた無人の探査機が、いくつかの石をサンプルとして持ち帰ろうと、科学者たちがその分子組成にどんな意味を見出そうと、その事実がどれだけの人間の心を揺さぶろうと、それは彼らの預かり知らぬ話である。  これはあくまで、彼らとは無関係の惑星に住む、人間たちの話なのだ。

ぐっと来る、最後の一行。

宇宙ラーメン重油味

位置: 1,699
「銀河住民の調和と共生」をモットーに民主政を敷く銀河連邦だが、その選挙においてはトリパーチ星人の人口を内臓袋の数で決め、それぞれに選挙権を与えていた。連邦に複頭種が少ないゆえの差別的措置だった。このため内臓を共有する頭脳の政治的意見が食い違うと、それだけで非常なストレスとなり、心療内科的疾病の原因となっていた。
それが課長の生まれる少し前、さまざまな政治闘争の末に「1頭脳あたり1人」として銀河連邦の市民権を得て、別々に選挙権が認められるようになったのだ。
そういった歴史がある以上、部長の世代にとって自分たちを「ひとり」とみなされるのは、差別されていた過去への回帰であるとしてひどく 忌み嫌われていた。

一身体一頭脳が前提の社会を当たり前に生きていると、こういう考えにならない。よき。

位置: 1,731
「地球人がトリパーチ星人向けと称してシリコーンを売る店は何箇所かあった。だがどれも工業繊維を申し訳程度に加熱しただけで、ゴワゴワで食えたしろもんじゃない出来だった。
だがこの麵はどうだ。おそらく高圧下で分解し、結晶質と非晶質のバランスが絶妙に調整されている。ちゃんと消化管の歯で嚙み砕ける。
ただのシリコーン麵じゃない、きちんとトリパーチ星人の生態を考えた麵だ!」
どうやら彼は課長に話しかけているのではなく、心の叫びが内臓袋につながった神経系に漏れ出しているようだった。

まるで美味しんぼ。これに比べれば山岡さんの鮎はカスや。この話、昨今のグルメコンテンツブームを揶揄するようで好き。

記念日

位置: 2,167
つまりこの話を一般化するとこういう事になる。
個々の存在が寄り集まって集合体を形成し、互いに強く依存するようになると、やがて全体のために個が死ぬという「機能」が獲得される。

ゾットする話。

位置: 2,246
息子は父の背中を見て育つというが、もし父親の息子に対する義務が「生き様を見せること」であるとするならば、あの父はきわめて忠実にその義務を実行したといえる。
「人間には死ぬ機能がある」
という事実を僕はこの上なく納得し、受容し、満足した。もし本当に生命にとって「死」があらゆるリスクを取ってまで回避すべき事態であるならば、僕は生きることを死ぬほど苦痛に思ったに違いない。
あれから 3 年が 経ったが、少なくとも今の僕にとって、生きることは苦痛ではない。大学の仕事は着々と進んでいるし、経済的にもまあまあ余裕がある。部屋に巨大な岩があることを除けば生活も平穏だ。

「ではこの岩はなぜ?」と思わせる淡々とした描写。効果的。

位置: 2,280
うるかすのも面倒

うるかす、って方言かな。調べたら北海道・東北だそうな。

NO REACTION

位置: 2,610
要するに、これも一種の「不透明人間の透明化願望」だと思う。肉体の透明化を望む思春期の少年がいれば、精神の透明化を望む大人たちもいるのだ。

しょうもないけど、これが人間だね。思うに、SFはこれが大事。舞台が現代でなくなっったときに、残った「人間ぽさ」がリアルかどうか、これが大切。

あとがき

位置: 2,909
■人間たちの話(書き下ろし)
宇宙生命とのファースト・コンタクトは探査機による発見ではなく会議による認定だろう、という個人的確信にもとづいて書かれた宇宙生命SF。

おもしれー発想。でも、そうかもね。

位置: 2,918
■宇宙ラーメン重油味(初出:SFマガジン2018年4月号)  とある漫画雑誌の編集者から「漫画原作やりませんか」と誘われて「いま飯漫画ブームだから、SFグルメやったら売れる」という俗物きわまる発想で作られた企画。漫画には別の案が採用されたので、こちらは小説になった。

逆かと思ったわ。「おれもグルメコンテンツやってみたい」かと。
でも、結果、良いものが出来てる。

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