『虞美人草』感想4 何度目かの挑戦でようやく読破

使われなくなった言葉の数々に味を感じるのは懐古趣味だからでしょうか。

位置: 4,902
「いや、あの女の云う事は、非常に能弁な代りによく意味が通じないで困る。 滔々 と述べる事は述べるが、ついに要点が分らない。要するに不経済な女だ」
多少 苦々しい 気色 に、 煙管 でとんと 膝頭 を 敲いた 父さんは、視線さえ 椽側 の方へ移した。最前植え 易 えた 仏見笑 が 鮮 な 紅 を春と夏の 境 に今ぞと誇っている。

不経済な、という言葉はあまり使われなくなりましたね。明治の御代からコスパ思想というのはあったんですね。ちなみに、ぶっけんしょう、は野ばらだそうですね。

位置: 5,017
「いつって、ちゃんと及第しちまったんだよ」
「あら、本当なの、驚ろいた」
「兄が及第して驚ろく奴があるもんか。失礼千万な」
「だって、そんなら早くそうおっしゃれば好いのに。これでもだいぶ心配して上げたんだわ」
「全く御前の 御蔭 だよ。大いに 感泣 しているさ。感泣はしているようなものの忘れちまったんだから仕方がない」
兄妹は 隔 なき眼と眼を見合せた。そうして同時に笑った。
笑い切った時、兄が云う。
「そこで兄さんもこの通り頭を刈って、 近々 洋行するはずになったんだが、 阿父さんの云うには、立つ前に嫁を 貰って人格を作ってけって責めるから、兄さんが、どうせ貰うなら藤尾さんを貰いましょう。外交官の妻君にはああ云うハイカラでないと将来困るからと云ったのさ」
「それほど御気に入ったら藤尾さんになさい。――女を見るのはやっぱり女の方が上手ね」

温かい会話だ。

位置: 5,422
「藤尾には君のような人格は解らない。 浅墓 な 跳ね返りものだ。小野にやってしまえ」
「この通り頭ができた」
宗近君は 節太 の手を胸から抜いて、 刈り 立 の頭の 天辺 をとんと敲いた。  甲野さんは眼尻に笑の波を、あるか、なきかに寄せて 重々しく 首肯いた。あとから云う。
「頭ができれば、藤尾なんぞは 要らないだろう」
宗近君は軽く うふん と云ったのみである。
「それでようやく安心した」と甲野さんは、くつろいだ片足を上げて、残る 膝頭 の上へ 載せる。宗近君は巻煙草を 燻らし始めた。

やる、やらない、だの、本当に女性をモノ扱い。まぁ、この時代の価値観だね。

位置: 5,430
「これからだ」と 独語 のように云う。
「これからだ。僕もこれからだ」と甲野さんも独語のように答えた。
「君もこれからか。どうこれからなんだ」と宗近君は煙草の 煙 を押し開いて、元気づいた顔を 近寄 た。
「本来の無一物から出直すんだからこれからさ」

無一文から、親を捨て、財産を捨て、やり直す。
あたくしにはとてももったいなくて出来ないね。こういう人が文七元結とかの任なんでしょうね。あたくしはとてもとても。根っからのケチですね。

位置: 5,455
――見たまえ、僕が 家 を出たあとは、母が僕がわるくって出たように云うから、世間もそう信じるから――僕はそれだけの犠牲をあえてして、母や妹のために計ってやるんだ」
宗近君は突然 椅子 を立って、机の 角 まで来ると 片肘 を上に突いて、甲野さんの顔を 掩 いかぶすように 覗き 込みながら、「貴様、気が狂ったか」と云った。
「気違は頭から承知の上だ。――今まででも蔭じゃ、馬鹿の気違のと呼びつづけに呼ばれていたんだ」  この時宗近君の大きな丸い眼から涙がぽたぽたと机の上のレオパルジに落ちた。
「なぜ黙っていたんだ。 向 を出してしまえば好いのに……」

気高いなぁ、甲野くん。泣くほどのプライド。あたくしにはないなぁ。

位置: 5,563
「理由はですな。博士にならなければならないから、どうも結婚なんぞしておられないと云うんです」
「じゃ博士の称号の方が、小夜より大事だと云うんだね」
「そう云う訳でもないでしょうが、博士になって置かんと将来非常な不利益ですからな」
「よし分った。理由はそれぎりかい」
「それに確然たる契約のない事だからと云うんです」
「契約とは法律上有効の契約という意味だな。証文のやりとりの事だね」
「証文でもないですが――その代り長い間御世話になったから、その御礼としては物質的の補助をしたいと云うんです」
「月々金でもくれると云うのかい」
「そうです」

小野くん、そりゃないぜ。それしか無いにしても、だ。それを言うのは思いやりとは言わないよ。自己満足だろう。と、ほぼすべての読者が思ったろうなぁ、ここ100年くらい。漱石はどういう気持でこれを書いたんだろう。

位置: 5,572
「君は妻君があるかい」
「ないです。貰いたいが、自分の口が大事ですからな」
「妻君がなければ参考のために聞いて置くがいい。――人の娘は 玩具 じゃないぜ。博士の称号と小夜と引き替にされてたまるものか。考えて見るがいい。いかな貧乏人の娘でも 活物 だよ。 私 から云えば大事な娘だ。人一人殺しても博士になる気かと小野に聞いてくれ。それから、そう云ってくれ。井上孤堂は法律上の契約よりも徳義上の契約を重んずる人間だって。――

まったくそうだ。あたくしも大概気骨のない人間ですが、やっぱり同じことをされたら同じこというよ。

位置: 5,746
「君は学問も僕より出来る。頭も僕より好い。僕は君を尊敬している。尊敬しているから救いに来た」
「救いに……」と顔を上げた時、宗近君は鼻の先にいた。顔を押しつけるようにして云う。――「こう云う 危うい時に、生れつきを 敲き直して置かないと、 生涯 不安でしまうよ。いくら勉強しても、いくら学者になっても取り返しはつかない。ここだよ、小野さん、 真面目 になるのは。世の中に真面目は、どんなものか一生知らずに済んでしまう人間がいくらもある。 皮 だけで生きている人間は、 土 だけで出来ている人形とそう違わない。真面目がなければだが、あるのに人形になるのはもったいない。真面目になった 後 は心持がいいものだよ。君にそう云う経験があるかい」
小野さんは首を垂れた。
「なければ、一つなって見たまえ、今だ。こんな事は生涯に二度とは来ない。この機をはずすと、もう駄目だ。生涯 真面目 の味を知らずに死んでしまう。

あたくしは真面目の味を知っているだろうか。37歳。胸を張って知っているとは言えないなぁ。知りたがってはいるけれども。

しかし響くなぁ。泣きそう。

位置: 5,803
「連れて行っても好いですが、あんまり 面当 になるから――なるべくなら 穏便 にした方が……」
「面当は僕も 嫌 だが、藤尾さんを助けるためだから仕方がない。あんな性格は尋常の手段じゃ直せっこない」
「しかし……」
「君が面目ないと云うのかね。こう云う 羽目 になって、面目ないの、きまりが悪いのと云ってぐずぐずしているようじゃやっぱり 上皮 の活動だ。君は今真面目になると云ったばかりじゃないか。真面目と云うのはね、僕に云わせると、つまり実行の二字に帰着するのだ。口だけで真面目になるのは、口だけが真面目になるので、人間が真面目になったんじゃない。君と云う一個の人間が真面目になったと主張するなら、主張するだけの証拠を実地に見せなけりゃ何にもならない。……」

ここにおける宗近くんの格好良さはすごい。やはり真面目な人なんだろう。

つい逃げがちな自分を恥じ入りますね。そういうんじゃないんだ。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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