「読書の学校 特別授業『坊っちゃん』」、養老孟司さん啓蒙家だな

30を越え、ますます漱石が好きに。

学校では教えない、生きる上で大切なこと

「本は読まなくてもいい」「効率は求めない」……。生徒との対話は、世間の常識を覆すことから始まった。人間が成熟するとはどういうことなのか? 他人の評価を気にせずに道を切り開く術とは? 漱石と「坊っちゃん」の姿を自身に重ねながら、養老流・人生の極意を伝授!

はじめに──本ばかり読んでも意味がない
第1講 「大人になる」とはどういうことか
第2講 自分の頭で考えろ
第3講 先生が教えない大切なこと
第4講 寄り道のすすめ

落語に傾倒してから、また俄然漱石が好きになりました。

位置: 206
漱石は一八六七年、慶応三年生まれ。一八六七年といえば日本の歴史の大きな転換点です。そう、 岩倉具視が薩摩藩と手を組んで幕府を倒し、第一五代将軍の 徳川慶喜が 大政奉還 を行った。翌年には元号も明治となりました。漱石はまだ残る江戸の空気に包まれながら明治を生きた人

まだ江戸っ子やちょんまげが普通にあった時代ですかね。
漱石自身は江戸っ子だったのかしら。そのイメージあるけどね。

位置: 245
こんな風に正義感を前面に出した小説、いまでもありますよ。ほら、皆さんもよく知っているはずです。「倍返しだ」のセリフで有名になったでしょう。  そう、 池井戸潤。坊っちゃんはゲンコツで返しますが、池井戸潤が書いた「半沢直樹」は倍返し。元銀行マンの池井戸潤が銀行の内幕を明かして組織の 葛藤 や人間ドラマを描くように、元教師の漱石は、学校という組織の葛藤や正義、そこで繰り広げられるドラマを描きました。

確かに、半沢直樹は現代の『坊っちゃん』と言えるのかもしれません。

位置: 386
漱石の研究で知られる文学評論家の 江藤淳 は、漱石の松山行きに関してこう分析している。
「彼はなによりも遠い所に行きたかったのである。『罪』からのがれるために、そして『生』に出逢うために。それはまた自己 流謫 でもあり、かつ自己回復への希求でもあった」
その「罪」とはなんだろうか。漱石は、 嫂 であり、同じ屋根の下に暮らす 登 世 を敬愛していた。登世は明治二一年に三兄の 和 三郎 の妻となったが、漱石と同い年だった。実際にどのような関係だったかは諸説あるが、漱石が想いを寄せていたのは間違いない。明治二四年七月、その登世は懐妊中に死去した。明治二五年に和三郎が再婚すると漱石は分家した。分家したのは、徴兵を逃れるためだったとも言われている。兄の新しい嫁との同居を避けたかったのかもしれない。

なんだか複雑っすね。『行人』みたい。
漱石なりに身を引いたのか、あるいは。恋しちゃってんだなー。

位置: 443
漱石にとって、それが、自分が発した疑問「文学って一体なんなんだ」の答えでした。文学とはどういうものか、自分で文章を書きながら取り組み始めた。答えといっても、君たちが試験で答案用紙に書くような答えではありません。人生には正解なんてどこにもない。答えは自分で探すものです。そしてまた、見つけたと思った答えが変わることもある。
「自分で考えるしかない」
漱石はそう腹をくくりました。漱石はこれを「自己本位」という概念として語っています。これは自分中心、自分勝手ということではありません。自分で考えるということです。考える人の自立です。  つまりこれが、「大人になる」ということだと私は考えています。

考える人の自立、か。難しいです。自分の頭で考えるだけでも難しいのにそれをアウトプットしようってんだからね。神の所業。

位置: 625
私に言えるのは、「その人生を自ら縮めるようなことをしちゃいけないよ」ということぐらいです。
「いま失敗したら取り返しがつかなくなるわよ」
「いましか勉強できないぞ」
なんて、よく親が子どもを 脅かすようですが、あれは全くの噓です。私たちはいつだって、挽回できないということはない。
人間の作った世間の理屈で「取り返しがつかない」と思われていることも、君たち自身がある意味自立をして、考え方がガラッと変わってしまったら、君たちの人生には全く関係ないことかもしれない。

養老さんが言うと説得力がありますね。
人間、遅いということはないんですな。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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